救済
「風が出てきましたね。そろそろ帰りましょうか」
「ええ、そうね」
怜司は再び自然と椿の手を取り、駐車場へ向かった。
やがて到着すると、空いた方の手ですっと車のキーを取り出し、少し離れた場所からロックを解除する。
繋いでいた手を放した後、スマートに後部座席の扉を開けてくれたが、椿は乗り込むのを躊躇った。
「あの……」
「何でしょう?」
「さっき、私の願いを叶えてくれると言ったでしょう?」
「はい」
「帰りは助手席に座りたい、と言ったら迷惑になる……?」
小さな声で提案すると、彼は僅かに驚きを浮かべた。けれどすぐに優しく微笑み、椿の背中に手を回す。
「いいえ、全く。では助手席にどうぞ」
「! ありがとう」
椿にしてみれば、かなり勇気が必要なお願いだった。これは警護の一環であってデートではないのは分かっているが、彼の運転する姿を隣で見ていたかった。
怜司に助手席の扉を開けてもらい、中に乗り込む。互いにシートベルトを締めたのを確認し、車が走り出した。
運転中の彼は集中しているため、真顔で口数が少ない。それでも運転する怜司を間近で見ると、痺れるほど格好良かった。
車の走行中、夕暮れの光に照らされる彼の横顔を盗み見ていると、怜司はふっと悪戯な笑みを零した。
「そのように見つめられますと、顔に穴が空いてしまいますよ」
「!!」
見ていたのがしっかりバレていて、居たたまれずに慌てて視線を逸らす。
心臓がバクバクして、あまりの羞恥でまともに顔を見られなかった。
怜司が笑いを噛み殺す気配がして、内心恨めしく思う。
「ここから屋敷まで二時間ほどかかります。私のことはお気になさらず、ひと眠りしてください。到着しましたらお声掛けします」
「……ありがとう」
目を瞑る口実を得てほっとした。滑らかな運転は振動が少なく、とても快適だった。
すぐ側にいる怜司の気配に安心して、眠気が襲ってくる。
心地良い眠りに誘われ、抗わずに意識を手放した。
*
一時間ほど経った頃――椿は夢の中にいた。
四ノ宮家の邸で、理人と二人きり。意味もなく見下され、いわれのない中傷を浴びせられる。反論しようとしても彼が耳を傾けることはなく、一方的に詰られるだけ。
内心理人に恐怖を感じながら、決して怯えを見せまいと気丈に振舞っていた。けれど、積み重なったストレスのせいか、眠りにつくと頻繁にうなされるようになった。
自室でひとり眠っていた椿を、起こしてくれる者はいなかった。毎回じっとりと嫌な汗をかいて目覚め、乱れた呼吸を整える。それが当たり前の日常になっていた。
あまりに頻繁にうなされるので、一度、心療内科の受診を考えた。思い切って理人に直談判したものの、外聞が悪いからやめろと吐き捨てられた。
使用人の平野と山崎には最後まで悩みを打ち明けなかったが、理人と過ごす時間は常に緊張を強いられた。隣にいると空気がとても薄くなった心地がした。
無意識に眉間に皺が寄る。溺れるような苦しみに喘いでいると、よく通る声が意識を浮上させた。
「椿様!」




