初恋1
はじめて恋をしたあの日のことを、鮮明に覚えている。
十二歳の春。歴史ある名家の令嬢だった一条椿は、父に呼ばれ、屋敷の執務室へ足を運んだ。
そこで出会った、とてつもなく綺麗な男。
視線が交わり、柔らかく微笑んだその人に、一瞬で心を奪われた。
艶やかな黒髪と、切れ長の凛々しい瞳。
甘く整った顔立ちは一目で女を虜にする蠱惑的な魅力があるが、落ち着いた物腰と穏やかな雰囲気が安心感を与えてくれる。
けれど長身で引き締まった体は明らかに鍛えられていて、彼の纏う空気には張りがあり、一切の隙がなかった。
今思い返しても、間違いなく、これまでの人生で出会った最も極上の男だ。
ダークスーツ姿の彼に思わず見惚れていると、父が満足げに笑った。
「ははっ。あまりにいい男で、言葉を失うほど驚いたか? 彼は今日からお前の専属ボディーガードだよ」
「……え?」
「お前は今年十二になっただろう。来年は中学に進学し、行動範囲がぐっと広がる。そこで安全のため、お前が無事に嫁ぐまでの間、ボディーガードを雇うことにした。彼は若いが凄腕だぞ。――鷹野、娘の椿だ。挨拶を」
「はい」
父に命じられた青年は颯爽とこちらへ歩み寄ると、目の前で片膝をつき、顔を上げて微笑んだ。
「はじめまして。ご紹介に与りました鷹野怜司と申します。お目にかかれて光栄です。本日からお嬢様の身辺警護を担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
低めのベルベットボイス。彼の声に聞き入っていると、父に眼差しで返事を促される。はっと我に返り、口を開いた。
「一条椿です。はじめまして。こちらこそよろしくお願いします、鷹野さん」
「私に敬称は不要ですよ。どうぞ鷹野とお呼びください」
「でも、鷹野さんは年上なのに……」
困惑を隠せずにいると、父が穏やかに言った。
「椿。年上の男を呼び捨てるのに抵抗があるのは分かる。だが契約上、私は彼の依頼主であり彼は使用人だ。娘のお前が畏まっていては周囲に示しがつかない。互いの立場を明白にするためにも必要なことだ。はじめは戸惑うだろうが、そのうち慣れる。今後のためにも頑張りなさい」
「……分かりました」
「よし。ではさっそく、親睦を深めるのを兼ねて屋敷を案内してやるといい。彼は屋敷に来てまだ日が浅い。鷹野、くれぐれも娘を頼む」
「承知しました。お任せください」
すっと腰を上げ、父に体を向けて一礼した怜司がこちらを振り返る。
「それではお嬢様、参りましょうか。お手数ですが案内をお願いできますか?」
「え、ええ」
生来内気で人見知りの椿は、突然ボディーガードになった怜司にひどく緊張した。
父に言われた通り広い屋敷の案内を始めたものの、後をついてくる怜司のことが気になって仕方なかった。
彼が静かに説明に耳を傾けているのも落ち着かず、思い切って訊いた。
「あの……鷹野は結婚しているの? それか恋人はいる?」




