第2章12話 赤い獅子
俺は今どうなっているんだ。手足を鎖で繋がれていて、そうだ。確かアウレリウスに身体を斬られて、じゃあ生きてるのはおかしいな。俺は死んだのか? すると目の前に見たことのある男が現れた。
「アウレリウスか。じゃあ俺は生きてるのか?」
「ああ。延命治療に時間かかったぜ! 斬りすぎた! でも素材はもう死ぬ。だけど安心してくれ素材は魔獣になれるんだ。だから一度死のう?」
アウレリウスは俺に告げる。俺は何を言われているんだろうか。家族になるとはどういう意味だ?
…………そういうことなのか。そういえば技術を学ばせるとか言ってたよな。鎖が腕に食い込んで痛む。血と汗で濡れた灰色のシャツが肌に張り付き、冷たい石床に血が滲んで乾き始めている。遺跡の薄暗い空気が肺に重く、頭がぼんやりする。
「俺を魔獣にするんだな。そして魔獣たちが意思疎通できて群れになっていたのはお前が魔獣にした人間たちだったってことか」
「察しが良いな素材! そうだ素材は魔獣になって魔獣になるんだ!」
アウレリウスは嬉しそうに言う。そして俺の意識はまた薄れていく。俺は死ぬのだろう。だが家族ができるなら、もういいかな。ルーナ達の姿は見当たらない。生き延びてくれたみたいだな。彼女たちの笑顔が頭に浮かぶが、ここには誰もいない。鎖の音が耳に響き、肩の傷口から血が滴って床に小さな染みを作る。革ベストがずり落ち、汗に濡れた胸が冷たい風に晒される。
「言い残す言葉はあるか?」
「…………俺の意識ってさ魔獣になったらどうなるんだ?」
「残ると良いな」
そういってアウレリウスは液体の入った瓶のふたを外す。なるほど、あれを飲んだら俺はあいつの家族になるのか。どうせ殺されるなら、ルーナがいいな。ルーナは俺と知らずに殺すだろうけど、俺は成長したお前を最後に見て眠るのも悪くないかもな。彼女の薄い青のローブが風に揺れる姿が、なぜか鮮明に思い出される。瓶の中の赤黒い液体が松明の光に鈍く光り、不気味な気泡が浮かぶ。
そして瓶の中身をアウレリウスは一気飲みし始めた。
「え?」
「あ? なんだ飲みたかったか? これ素材にはまずいって聞いてるぜ?」
アウレリウスは驚いている。いや、飲みたかった訳じゃねーし、それただのお前の飲料なのかよ。俺は身体を動かすのもしんどい身体をなんとか動かす。ジャラジャラと音が鳴り、初めて鎖に繋がれていることに気付いた。暗褐色のズボンにこびりついた血が硬くなり、膝が動かしにくい。革靴の踵が剥がれかけ、石床に擦れる音が響く。
「そうじゃねーよ」
こいつ俺を魔獣にするって言ったけど、それどうやってだよ。頭が混乱して、アウレリウスの緑の目が俺を嘲笑うように見える。
「素材を魔獣にするにはな。こうするんだよ!」
アウレリウスは丸薬を机から取り出し、それを俺の口に突っ込んだ。無理やり押し込まれた丸薬が喉に引っかかり、飲み込むのが苦しい。
「これをあと三回飲んだらお前は魔獣になるんだ」
飲まされた丸薬は甘く甘いものが苦手な俺でもまたそれを口にしたくなるそういう中毒症状が発生し始めた。俺は何とかアウレリウスをにらみつける。舌に残る甘ったるい味が頭をクラクラさせ、喉が渇いて仕方ない。鎖を引っ張ると腕に痛みが走り、血が滲む。
「おぉ! 素材の割にははっきりとした意思だ! さてと…………ん? 一個足りないな二つしかない。作ってきてやる」
そしてアウレリウスは丸薬を持ってどこかに行ってしまった。すると何者かが俺に声をかけてくる。足音が遠ざかり、遺跡の通路に消える中、低い唸り声が近づいてきた。
「で、お前はこれからどうするんだ? 魔獣になる気はないんだろう?」
目の前にいたのは人語を話す赤毛の獅子だった。こいつは俺がここに連れてこられる途中に見た魔獣だ。赤い毛並みが松明の薄暗い光に映え、鋭い牙が口元から覗く。体躯は俺の倍近くあり、独房の狭い空間を圧迫する存在感だ。
「あんたも元人間か?」
「そうだ。大切な任務中にこの姿だ」
獅子は顔を歪める。俺はこいつに聞いてみたいことがあったんだ。それを今尋ねてみるか。鎖が腕に食い込み、痛みが走るが、声を絞り出す。
「あんたもアウレリウスにやられたんだろ? どうだ魔獣になった気分は」
すると獅子は少し考えてから答えた。低い声が独房の石壁に反響し、どこか重い響きを持つ。
「そうだな……俺は半年前までとあるお方に仕えていたんだが」
獅子は懐かし気に、だけどどこか悲し気に語り始めた。記憶が残るというのは、思ったよりも残酷なことだ。俺はみんなと気づけても、みんなは俺と気付けないんだろうな。ルーナの蒼い瞳や、セレナのボウガンを構える姿、マーレアの鋏を握る手が頭に浮かぶが、もう会えないかもしれない。
「あのお方は素晴らしい方だった。彼女の里帰りについていっては、美しき友…………いや、俺が一方的に愛した女と俺の二人で振り回されたものだ。彼女の笑顔は陽光みたいで、里の森で風に揺れる髪を見てるだけで幸せだった。だが俺はアウレリウスの奴にやられてな。 俺は魔獣になったことでこの姿にな……正直後悔しているよ。 願わくばもう一度二人に…………会って、昔みたいに笑い合いたかった」
獅子は自嘲するように笑う。そして事情はよくわからないがこいつはこいつで色々あるのだろう。それにしても愛した女か。俺にはルーナがいるが、あいつは俺をどう思ってるんだろう。鎖がジャラジャラと鳴り、肩の傷が疼く。
「まあ、俺もあいつにはやられたからな」
「そうか……お前もか。 それでこれからお前はどうするんだ?」
鎖で繋がれているし、どうしよもないだろう。じゃらじゃらと鎖を鳴らす。それにあの丸薬はもう一度口にしたくなる。早くこの中毒症状を解毒しないと俺はあの丸薬を渡されれば喰らい付くだろう。喉が渇いて、甘い味が頭から離れない。血と汗で濡れたシャツが冷たく、胸に張り付く感覚が気持ち悪い。
「そうだな。魔獣になるんだろうな。魔獣になったら人間と戦うのにためらいはないのか?」
獅子は少し考えると俺の問いに答えてくれた。赤い毛がわずかに揺れ、目を細める。
「内心は辛いさ。だけど殺せ殺せと心の中の魔獣が騒ぐんだ。俺はそれを抑え込んでしまってな。 アウレリウスが仕方なくここの独房の看守に任命したという経緯だ」
「そうか、魔獣になるとそういう風になるのだな」
獅子は頷いた。それにしてもアウレリウスの奴は戦わない仲間すらも面倒を見るくらいには悪いやつって感じはしないな。あくまで魔族の中ではといったところか。だが、俺には関係ない。この鎖と丸薬が俺の運命を縛ってる。
「魔獣と人間は生きる場所が違う。だから俺たちも戦うのに戸惑いはない。それがせめてもの救いだろう」
そして獅子は質問してきた。低い声が独房に響き、静寂を破る。
「お前、家族は?」
そう言われると、俺はルーナの顔が頭に浮かんだ。彼女の華奢な肩と、泣きそうな蒼い瞳が蘇る。…………家族か……………………
「ああ、いないよ」
俺がそう告げると獅子は悲しそうな表情をして座り込んで眠りについたようだ。俺もこいつのように意識を保ち続けられるのだろうか。俺はあの丸薬を渡されれば、きっと魔獣になるのだろう。喉が渇いて、甘い味が舌に残る感覚が消えない。すると扉が開き、アウレリウスがやってきた。黒い革ブーツが石床を叩く音が近づく。
「おぉそういえば素材はなんて名前なんだ?」
「…………誰が教えるか」
俺がアウレリウスの質問を無視していると、奴はからかい始めた。それにしても俺は一体これからどうなるのだろう。魔獣になったら人間を襲うんだろうな。それをルーナが見たらどう思うだろうか? 彼女が俺を斬る姿が頭に浮かぶが、意識が薄れて考えるのも億劫だ。
「丸薬だがもうしばらくかかるから待っていてくれ! 俺は素材を取りに行くよ」
「……………………」
この身動きができない状況はいつまで続くんだろうか。魔獣になっても自由意志があるなら、なってもいいのかもな。アウレリウスは丸薬の報告だけしてどこかに行ってしまった。俺は丸薬のことが頭から離れず、そのことばかり考えていた。徐々に俺は疲れで眠くなり、ゆっくりと瞼を落とす。もう今日は寝よう。今日? そういえば今ってあれからどれくらいたったんだ? もういいかそういうこと考えるの。俺はもう魔獣になるんだから。鎖の冷たさが腕に染み、血の臭いが鼻をつく。
そして俺の意識は深い闇へと落ちて行った。血と汗に濡れたシャツが冷たく肌に張り付き、鎖の音が遠くに響く中、俺は眠りに沈んだ。
喋る獅子って声帯どうなってんだろ。




