英雄体質と魔法と
その教会は、ひと目見てそれと分かる造りをしていた。ギリシャ風のの神殿柱が立ち、荘厳な雰囲気を湛えた白い建物は、人の目を引きつける。ひと目でそこが、神を祀る為の施設だと分かるものだ。
入り口は広く開かれ、何人も制限する事なく自由に出入りできる。中に入れば椅子が整列されて並び、正面には教壇のようなものが置かれている。背後には恐らく祀っている神であろう巨大な像がいくつも立っている。水瓶を持つ女神、弓矢を持つ長髪の神、はたまたまるで魔法使いのような鍔広の帽子を被り杖を持った老人のような神の像もある。数多の神が祀られているこの場の空気は、いっそ大森林よりも清浄な空気に満ちていた。
教壇の周囲には神父、シスター然とした格好の男女が埃を掃いたり椅子を拭いたりと、設備を綺麗に保つための作業をしている。手を抜いているような様子も無く、皆真面目に作業をしていた。
その様をとりあえず眺めていると、シスターの一人がノゾムに気付き、声をかける。
「こんにちは。今日は参拝ですか? それとも熟練度の確認でしょうか」
にこやかに笑顔を浮かべたシスターがノゾムを見て、背中に背負った大鎚に気付くと共に熟練度の確認か否かを問いかけてくる。よく教育されているなと思いつつ、ノゾムは応えた。
「あぁ、えぇと。実は俺洗礼というものを受けた事が無くて。洗礼を受けに来たんですけれど」
「まぁ。それでは洗礼ですね。かしこまりました、それではこちらへ」
ノゾムの言葉に一瞬驚きを示した後、シスターはその柔らかい物腰のまま、ノゾムを教壇の前へと誘導した。導かれるままに教壇の前へ立つと、シスターは教壇の向かい側へと立ち、説明をする。
「それでは。今から私が神へ語りかけ聖水を生み出します。それを両の掌にて受け取った後、飲み下してください。その後、熟練度の確認を行います。その際に両手を私に預けていただきますので、よろしくお願いいたします。お名前はなんと仰るのでしょうか」
「えっと、ノゾム、です。手順については分かりました、よろしくお願いします」
ノゾムの言葉に頷くと、シスターは早速洗礼の儀式を始める。
「大いなる我らが父、我らが母たる神々よ。今ここに、父母の子たるノゾムを認め、彼に恵みの水を分け与えたまえ」
その言葉と共にシスターが受け皿とした両手の内に、輝きと共に水が生成される。その出来事に少し驚いたが、慌てて自分の掌に受け皿を作ると、そこにシスターが水を流し込んだ。水は丁度ノゾムの掌に収まる量が生成されており、一息に飲めるくらいの量だ。
「さぁ、父母の子たるノゾム。その恵みの水を飲み下し、神々の子たる証を立てるのです」
言われるがまま、ノゾムは一息で水を飲み込む。それと同時に、シスターは両手を上げ笑みを浮かべた。
「今ここに、証が立てられました。神々は我らを見ておられます。父母たる神々の名に恥じない行いをするように」
その言葉と共に、周囲に居た他の神父、シスターがパチパチと拍手をする。どうやらここまでが洗礼の一連のお約束らしい。根が控えめな日本人特有の性根であるノゾムは周囲の神父、シスターに頭を押さえながらペコペコと頭を下げて回る。その様子を見ていた洗礼をしたシスターは、教壇の下に一瞬屈むと、中から少し大きめの銅板のようなものを取り出して教壇の上に乗せた。
「洗礼の儀式は終わりました。次は熟練度の確認です。ノゾムさんは、こちらの銅板へと両手を乗せて下さい」
「はい」
銅板の上へ両手を預けたノゾムを確認すると、シスターはその上からノゾムの両手を包むように手を被せる。その女性らしい柔らかな手の感触と暖かさに一瞬ドキリとしつつも、冷静さを装ってノゾムは前を見つめていた。そしてシスターは再び神々へと問いかける。
「大いなる神々よ。ノゾムの可能性を今映したまえ」
その言葉と同時に、ノゾムとシスターの間にまるで空間投影ディスプレイのようなものが浮かび上がる。宙に浮くそれには、どこか機械的な文字が記されていた。
「さぁ、これがノゾムさんの熟練度です。儀式の都合上私には見えてしまいますが、他の人からは見えないようになっています。ゆっくりとご自身の熟練度を確認して下さい」
「これが、熟練度、ですか……」
初めて見る自身の熟練度。ノゾムはごくりと唾を飲み込むと、じっくりと表示を眺めた。その表示には、いくつかの項目があり、単純な記載のみがされている。ノゾムの記載された熟練度はこうだ。
<英雄体質> <棒術・小> <短剣・小> <長柄・小> <農耕・小>
かなり簡素な項目だが、何となく言いたい事は分かる。そして、一番初めに表記されている『英雄体質』の記載が、ノゾムに何か嫌な予感を感じさせた。一緒に眺めていたシスターも、一番最初の表示を見て、目を見開いている。
「えっと、これって」
「――え、えぇっと。こういう時の対応は。そうだわ、落ち着いて、不安を感じさせないよう丁寧に」
ノゾムの言葉に反応せずブツブツと一人呟いていたシスターは、自分を落ち着かせるようにフゥー、と一つ長い溜息を吐いてから、ノゾムへと笑顔を向けた。
「ノゾムさん。申し訳ありませんが、私と司祭長の所までご一緒していただけますでしょうか」
「え、えぇ。それは構いません」
「ありがとうございます。それではこちらです、どうぞ」
熟練度の表示を止め、ノゾムを教会の奥へと誘うシスター。それに大人しくついていくと、教会の奥の部屋へと通された。一つの大きな扉の前で立ち止まるとコンコンとノックをし、シスターが声をかける。
「司祭長、ネーミルです。ご相談がありましてお声をかけさせていただきました。部屋にいらっしゃるでしょうか」
「……入ってください」
扉の向こうからは柔らかな女性の声が返ってくる。それに応えるように扉のノブに手をかけて、シスターは扉を開けた。
「失礼します。……ノゾムさん、どうぞお入り下さい」
「あ、はい。すみません、失礼します……」
シスターに誘われるままノゾムが部屋に入るとシスターはすぐに扉を閉める。部屋の中には様々な調度品の他、奥には執務用の机と椅子、手前側に来客用のソファーがある、執務室と呼ぶに相応しい部屋が広がっていた。執務用の机には中年に差し掛かっただろうか、温厚そうな笑みを湛えた女性が座っている。
「おや、シスターネーミル。そちらの方は?」
「はい、司祭長。実はこの方の熟練度を確認した所、英雄体質の表記がありまして……」
シスターネーミルがそう言うと、司祭長の女性はピクリと眉を動かした。
「それは……間違いないのですね」
「はい、間違いありません。ノゾムさんも、英雄体質と記載されていた事は確認しておりますよね」
「え、えぇ。確かに俺の熟練度表示の一番目に英雄体質という記載がありました」
ノゾムがそう言うと、司祭長はハァ、と短くため息をつく。そうして椅子から立ち上がると、ノゾム達へと近づいた。
「とりあえず、そちらのソファへと腰掛けてください。今お茶を用意いたしますから。シスターネーミルも、お座りなさい」
「あ、司祭長。私がお茶を入れます」
「あら、そうですか。ではよろしくお願いします」
ネーミルは慌てて部屋の中にあったティーセットへと向かい、司祭長は部屋の中にある本棚の中からいくつかの書籍を取り出し、それを持ってソファへと向かう。ノゾムもとりあえず促されたソファへと腰かけると、その向かいに司祭長が座った。それと同時に、横からネーミルが入れたお茶を持って差し出していく。
「どうぞ、ハーブティーです。落ち着きますよ。司祭長もどうぞ」
「あぁ、ありがとうございます」
「ありがとう、ネーミル」
三人分のお茶を入れたネーミルはそのまま司祭長の隣へ座ると、お茶を飲んで一息ついた。その様子を確認してから、司祭長がノゾムへと声をかける。
「改めまして。私はこの聖堂教会の司祭長を努めますミリニオラと申します。こちらはシスターネーミル」
「改めて、ネーミルです。よろしくお願いしますノゾムさん」
「わざわざご丁寧に。ノゾムです」
お互いに頭を下げた後に、司祭長であるミリニオラが話を続ける。
「取り急ぎ、ノゾムさんの熟練度表示にあった英雄体質からご説明するのが良いでしょうね。ノゾムさんも気になっているでしょうし」
「えぇ、まぁ。英雄などと大層な表記がされているので、さすがに気にしない訳には」
「でしょうねぇ。私も、教会での仕事に長いこと携わっておりますが、英雄体質の方は初めてお見かけしました」
「それで……英雄体質って、何なんでしょう」
ノゾムの端的な問いかけに、ミリニオラはお茶で口を濡らすと応えた。
「英雄体質。それは神々の祝福とも、生命に対する呪いとも教会内では言われています。その体質を持つものには、大いなる力を与える代わりに、数多の選択肢を奪うというものです。その者が大成する為には、英雄としての道しかない、と」
「英雄としての道
……」
「その体質を簡単に説明します。その体質を持つ者には、無尽蔵の体力、腕力などの身体的な力が宿り、また魔力も無尽蔵に湧き出てくると言われております」
ミリニオラの説明に思わず驚きの表情を浮かべる。そう言えばこの世界に来てから肉体的な疲れとかを覚えた事が無い事、背中に背負った巨大な大鎚を振り回しても全く問題が無い事が頭をよぎる。
「ですがその代わり、その体質の者は魔法の一切を使えないと言われています」
「えっ」
続く説明に、声をあげる。そう言えば今まで魔法だのの類のものを使おうとした事が無かった事を思い出す。
「あの……今まで魔法というものを使った事が無いので分からないんですが。魔法使えないんですか、俺」
「そう、伝え聞いております。ノゾムさん程の年齢ではまだ魔法を使う機会はないかと思いますが、大人になるにつれ魔法は使えて当たり前の力、常識の一つとなります。折角ですから今、簡単な魔法をお教えしますのでお試しになってください」
ミリニオラはそう言うと持ってきた書籍の一つを開いてノゾムに見えるように開く。そこには簡単な文章が記載されていた。
「私はまずは試しますね。魔力を用いて光となれ、ライト」
ミリニオラがそう言うと、彼女の掌の上に小さな光球が生まれる。その光を眺めてからノゾムは彼女と同じように掌を上に向けて詠唱した。
「魔力を用いて光となれ、ライト」
ノゾムがそう詠唱した所、掌には何の変化も生まれず、しーんとした空気が広がる。
「……この呪文は、完全呪文と呼ばれるもので、詠唱するだけで勝手に魔力を引き出し調整され行使されるものなのです。初めて魔法を使う者にとっての良い練習となる呪文なのですが。やはり魔法が使えないのですね」
「え、えーっと。魔力を用いて光となれ、ライト。魔力を用いて光となれ、ライト」
何度か同じ呪文を呟くが、全く何も起こらない。その事に焦りを覚えつつノゾムはミリニオラへと問いかけた。
「ほ、他の。他の呪文は無いんですか、何か」
「そうですね、では。魔力を用いて水となれ、ウォーター」
ミリニオラが指先をティーカップへ向けて唱えると、そこには水が生まれティーカップを満たした。ノゾムも同じようにティーカップへと指先を向け唱える。
「魔力を用いて水となれ、ウォーター」
再び、しんとした空気が流れる。もちろんティーカップは水で満たされる事は無く、カラのままだ。その様子に、ノゾムの事を気の毒そうに見つめるミリニオラとネーミル。
「……魔法は、現代の世では当たり前の力です。ですが英雄体質の方はその当たり前の力を行使できません。ゆえにその者から数多の選択肢を奪う生命に対する呪い、とも言われるのです」
「……確か、無尽蔵の魔力があるんでしたっけ」
「えぇ、そうです」
「でも、魔法は使えない、と」
「はい」
「……魔力があっても、魔法が使えないんじゃ意味ないんじゃ」
「……例えば、ドレインタッチや分譲の魔法陣と呼ばれるものがこの世界にはあります。前者は強制的に魔力や生命力を吸い上げる魔法で、後者は任意にその魔法陣を利用して自身の魔力を分譲するというものです」
「要するに、魔力の供給源としてしか魔力を活用できない、と」
「後はそう、こちらの本に教会の魔術師が英雄体質を研究した日誌があります。この中では英雄体質の者の無尽蔵な魔力はその身体の強化へと勝手に割り当てられ、無尽蔵の体力などを生み出している、と。結果的に、身体強化の魔法が自動で行使されている為に他の魔法が使えないのではないか、と結ばれております」
「なるほど……なるほど」
差し出された書籍を見てみるとなるほど、研究者の日誌であった。最終的に魔法が使えない原因まで憶測ではあるがされている事に関心しつつ、死んだ目で眺める。そんなノゾムに、ネーミルがパン、と手を叩いて言った。
「で、ですが! その英雄体質の方で大成された歴史に名を残す方には悪竜を倒したとか、世界の果てから財宝を手に戻ってきたとか、国を立ち上げ王になるだとか、それこそ英雄に相応しい方が数多くいらっしゃいます! かの冒険王ゲオルグも英雄体質であったと言われておりますし」
「冒険王、ゲオルグ」
「はい、冒険王ゲオルグです! 絵本にもなっていてとても有名な方でしょう!? 子供の憧れです!」
「子供の憧れ……」
「ま、まぁ確かに大人向けに出版されている彼の冒険譚の基となる彼自身の記した日誌には魔法が使えない事に対する苦労の描写が数多くありますが……」
「魔法が使えない事で異端視され爪弾き、良い仲間に巡り合うのも後年になってから。それまでは体力バカとして利用されるふんだりけったりな人生に、魔法を使えない苦労に関する描写は鬼気迫るものがありますね」
「司祭長! なんでそういう事言うんですか!?」
「誤魔化したって誰の得にもならないのですよ、シスターネーミル」
司祭長の言葉に思わずどもったネーミルは、相変わらず死んだ魚のような目をしているノゾムに向かって、ゴホンと一息入れてから声をかけた。
「だから、その……。げ、元気だして下さい、ね」
「……は、はは。あ、あぁ」
ネーミルの言葉に、ノゾムは乾いた笑みを浮かべる事しかできなかった。




