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或る冷めた女の一生  作者: 重原水鳥


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22/23

【22】或る女の一生

 アヒムは公爵家でも重要な人間である。そのアヒムが、エラを妻にと望んだ。

 それだけで、ほぼ、二人の結婚は決まったようなものであった。


「貴女が強く拒絶するのでしたら、流石に諦めました」


 とアヒムはいうが、本当かは定かではない。


 娘溺愛のアダルブレヒトが強く反対するのではと思っていたが、アダルブレヒトは「エラの暮らす家はここだ」という条件を出して、それを守るのなら構わないと言った。娘の結婚は、父親が許せば確定である。アヒムがこの屋敷に越してくる形で、二人は結婚した。

 他国に行くよりは、よくよく人間性が分かっている甥に託すのが百万倍マシだと漏らしていたと知るのは、後の事である。


 四十にもなるのに、子供も成人しているのに、今更、結婚。

 しかも年下の男。


 呆れた話である。望んだ訳ではないが、昔のエラの知り合いたちはとんでもない玉の輿だと騒ぎそうであった。


「貴女に結婚の話がないのであれば、今まで通りでも良かったのですが」


 実際、アヒムは父と息子以外で唯一エラが触れ合う異性であった。エラもなんとなく、家族みたいな枠組みには思っていた。


 アヒムに最後の一手を打たせたのは、やはりあの、エラへの婚姻の打診だ。恐らくアヒムが夫として名乗りを上げなければ、エラは他国に嫁いでいただろう。

 それを阻止した事で、ビルからもアヒムはたいそう感謝された。


「式は貴女がしたければ」

「しない」


 という訳で、式も上げずに、二人は結婚した。

 公爵夫人からはアヒムが何か言われていたようだが、アヒムは完全に無視していた。


 こうなるとノートブルクは、エラの従兄で義兄という事になってしまうので、一度彼の一家と会食をした。ビル一家も巻き込んだのは、せめてもの抵抗だった。


 アヒムを慕ってエラを睨んできていた下の娘の傍には、婚約者だという青年がいた。どうやらアヒムへの恋心は幼少期の思い出として消化されていたようで、睨まれる事はなく祝福された。


「社交なんて絶対にしません」


 エラは強く決意した。


 形だけの結婚かと思えば、アヒムはエラを求めた。


「不能ではなかったでしょう?」


 と言われ、かつての発言が根に持たれていた事をエラは初めて知った。


「いつの話を……っ!」

「はっ、我が家は執念深いのですよ。ご自分の父君でようく、それはご存じかと思っていましたが」

「っ~!」


 それを言われると何も言えない。


 夜は度々共にしたが、アヒムはハッキリと「無理をして子供を欲しいとは思わない」とエラに告げた。


「貴女は子を生むには、高齢ですから。高齢になればなるほど、出産の際に母体は危険だというではありませんか」

「そうですか。では子供が欲しい時はどこか他所の女性に」


 口をふさがれた。嫌らしいのでエラは二度は口にしなかった。





 ――こんな事を言っていたのに、エラは驚くほどあっさり妊娠した。



 アヒムはエラの事を心配し、子供は諦めた方が良いのでは……といった。エラの身を案じるのはアダルブレヒトもビルも同じであったが、エラはそんな男共の言葉を無視した。


 最初は不安そうだったアヒムとビルは、すぐに手のひらを返した。なんでそんなに変わったのかと訝しんでいたが、二人は「精霊様が大丈夫というので」と同じような顔で同じような事を言った。


 二人がいうのなら大丈夫だろう。


 何故かエラとアダルブレヒトの二人が、彼らの言葉でそう納得するのであった。



 ◆



 精霊様のご加護のお陰で、エラは高齢でありながら安産で子を生んだ。アヒムによく似た、女の子であった。

 娘はロズィーナと名付けられた。

 ロズィーナが無事に生まれてくるのを見守って、ぴぃが静かに逝った。猫らしく、誰にも見られないところで死んでいたのを、使用人が見つけてきたのだった。


 その後、ロズィーナはすくすくと成長した。


 娘が大きくなる間に、公爵が代替わりし、従兄で義兄のノートブルクが新しい公爵となった。エラの名前も変わったが普段使わないので忘れた。ロズィーナは、ロズィーナ・ユンゲレールブルーダー=アヒム・ピンクダイヤモンドである。自分の事はどうでもいいが、子の事はよく覚えているのは親だからかもしれない。


 ロズィーナは自分より年上の姪や、年下であるが兄弟ぐらいしか年の差のない甥姪らと、仲良く育つのだった。


 アダルブレヒトはロズィーナのデビュタントを楽しみにし、「結婚するまで死ねない」と言っていたが、社交界デビューを前にして亡くなった。

 エラは母の時以来の、親との別れに、本当に泣いた。泣いて泣いて留まらない涙を、流し続けた。


 アヒムとロズィーナと三人で暮らす事になった屋敷でも、エラの生活は変わらなかった。社交にも出ず、出掛ける夫や娘が帰ってくるのを屋敷で待っている。

 度々遊びに来る息子一家をもてなしたりするのが、数少ない社交であった。


 ロズィーナも無事に公爵令嬢として育ちきって、婚約者も決まった。




 そんな中、エラの最期が訪れた。一家にとっては突然であった。




 昨夜も普通に、横に並んで眠った妻が、朝になったら息をしておらず、アヒムは心底驚いた事だろう。エラも驚いた。昨日の夜は普通にただ寝ただけだったのに、気が付いたら、眠っている自分を上から見下ろしていたのだから。

 困惑するエラの周りを、キラキラした何かが飛び回る。


(――精霊?)


 肯定された感覚があった。


 エラは最期まで精霊を見る事も声を聴く事も叶わなかったが、死んだ事で見れるようになったらしい。


(急に死んで悪い事したな~)


 自身の葬式を見下ろすという不思議な事をしながら、エラは思った。


 ビルもロズィーナも泣いていて、アヒムも喪主として体裁は保っていたが、酷く辛そうであった。

 彼らが、心の底からエラを思ってくれているのが、死んでいるせいかダイレクトに伝わってきて、エラは恥ずかしいやら嬉しいやら、という感じであった。


(ロズィーナに、申し訳ない事したなあ……延期するだろうなあ、式……)


 ロズィーナの実母が死んだのだから、比較的すぐにしようかと話していた娘の結婚式は、延期だろう。まだ口約束の段階でしかなかったが、婚約者には迷惑をかけてしまった。


(まあ、きっと大丈夫)


 ビルには寄り添う妻も子もいる。

 ロズィーナにも、泣き崩れる彼女を支えてくれる、婚約者がいる。


(不安なのは貴方よ貴方)


 ビルもアヒムも、精霊は見えたり、声は聞こえたりするが、人間の霊は見えないらしく、エラが魂だけになって彼らのそばによっても声をかけても、反応しない。


(あまり落ち込まないでちょうだいよ)


 エラがそう言葉を吐くと、近くにいた精霊が「伝えてあげる」とばかりに動いた。止める間もなく、精霊は、アヒムの耳元で、エラの言葉を伝えたらしい。アヒムは目を丸くして、周囲を見渡していた。しかしやはり、すぐ傍にいるエラの事は見えないようだ。


 ただ、彼は、少しの沈黙の後に、小さい声でこう言った。


「落ち込みますよ。当然でしょう。――でも、貴女を不安にはさせません。ビルも、ロズィーナも、幸せになるよう、生きている限り私が支えますから」


 エラは自分の葬式が終わるまで、アヒムの傍にいた。


 葬式が済んでも離れがたく、暫くの間エラはアヒムの傍にいた。


 ただ、ひと月経つ前に、精霊たちがエラを上に向かって必死に引っ張り出した。どうやら、そろそろ、観念して天の国に行かなくてはならないらしい。


 ふわりと体が浮く。だが、浮遊感を感じる事はない。浮き上がる肉体がないからかもしれない。


 長い一生であった。

 でも、幸せに終わった一生であったと、エラは生涯の殆どを過ごした屋敷を見下ろして、微笑んだ。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。



【余談】

 エラの人生にはさほど関係ないので触れていませんでしたが、コメントで質問をいただきましたので、いくつか追記させていただきます。


◆ビルの血縁上の父親の家 → ビルとエラは橋から飛び降り死んだと判断されたため、故伯爵の後継者はいなくなり(自称息子の中には本物もいましたが、証拠が弱かったので認められませんでした。)、親戚が跡を継ぎました。


◆宿屋の人々 → エラは唐突に消えそうな根無草女だったので、いなくなった事にはたいして驚かれませんでした。逃げたなら伯爵が探していたのはやはりビルだったのでは? という噂は立ちましたが、本人もおらず真相は謎のままに。ビルのことは多少心配されましたが、その後はエラたちのことを特に思い出す事もなく普通に生きていました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 淡々としてるのに大河ドラマですね…スゴい話だ… まさかの娘が生まれて息子の子供と一緒に育つのがいいですね。年の近い甥姪ってなんかいいな〜!! 父親に恨みをぶつけて泣くところ本当に良かったです…
[一言]  泣けました。  心地よい涙でした。
[良い点] 短編がランキングに入っていたのを読んで面白かったので、こちらも読んでみましたが面白かったです。 波乱万丈な人生を送った女性の物語、良いですよね…。 特に半生をいっぱいいっぱい生きてきた主人…
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