花火で締める夏
「花火はまた次回ですね」
クマにきっぱりと言われてしまった。明日、隣町の端っこを走る大きな川で花火大会が開かれる予定だったので、私とクマは見に行く約束をしていた。私は行く気だったけれど、腫れ上がった私の足を見たクマはそれを許してくれなかった。
「そんな足で遠出するなんて危ないですよ」
「大丈夫よ、ゆっくり歩けば痛くないし」
私は食い下がった。今年は花火を見て夏を締めくくりたいと考えていたから。
「でも、悪化したらどうするんですか?」
クマの正論すぎる発言に、私は返す言葉がなかった。
馬に乗った私を見たクマは、最初は目を輝かせていたものの、ゴリラさんから事情を聞いた途端一気に光を失った。
「ここまでありがとうございました」
まるで私の保護者かと思うぐらい、ぺこぺことお礼を言うクマを見て、ゴリラさんは「そんな、とんでもないことでございます」と丁寧に言った。ゴリラって今までごつごつとしてワイルドなイメージだったけれど、ゴリラさんにそんな雰囲気はなく、白髪初老の紳士にしか見えない。このゴリラ、一体何者なんだろう。
「ゆり子さん、降ろしますよー」
私がゴリラさんの正体をぐるぐると考えていると後ろから聞き慣れた声がした。そしてその声の後、私の体はひょいとクマに持ち上げられた。馬の背中が名残惜しいなと思う間も無く私は地上に降り立った。
「痛くないですか?」
「もう痛みは引いてきたから大丈夫よ」
「救急セットがあるからうちに来てください。簡単にしかできませんが手当てしときましょう」
「ありがとう。じゃあお邪魔するわ」
私の家には絆創膏と消毒液ぐらいしかないので、クマの申し出はとてもありがたかった。
「早く良くなるといいですね」
爽やかな笑顔で言う馬を見て、「ここまでありがとうございました」と言いつつ私は頭の中で別のことを考えていた。馬の背中はとっても高くて楽しかったから、いつかまた馬に乗りたいなーと思っていた。そんなことを考えいると、視界の端にきらきらと光る何かがちらついた。
「あの、いつかウマさんに乗ってみたいなーと思っているんですが……」
目を輝かせて馬に話すクマを思わず私は二度見した。クマよ、あんたは重すぎるだろう。馬を見ると、もともと小ぶりで可愛らしい目がさらに小さく真っ黒の点になっていた。
「私でも乗れそうなウマさんはお知り合いの中にいらっしゃいませんか?」
クマの質問を聞いて私は思わず膝から崩れ落ちそうになった。乗せてくれって言うんじゃないんかい! 確実に今の雰囲気は乗りたいって言う感じだっただろ! 心の中で私は叫んだ。でもまあそりゃそうか。この爽やかイケメン馬がクマを乗せることは誰が見ても不可能だ。クマはちゃんと自分を客観視できていたようだ。
「え? あ、知り合いにですか? そうですね……そうだ! 運送業をやっている伯父がいるんですが、その伯父なら乗せてくれると思いますよ」
きっとこの爽やかイケメンも自分に乗りたいと言われると思ったのだろう、顔に安心の色が見える。そんなイケメンを見て紳士ゴリラが面白そうに笑っていた。
「本当ですか!」
「はい、今度伯父に聞いてみますね」
「やったー! ありがとうございます!」
嬉しそうに飛び跳ねるクマを見て私はなんだかほんわかとしたあたたかい気持ちになった。
「それじゃあ私たちはこれで」
紳士ゴリラはそう言うとイケメン馬とともに歩いていった。遠ざかる彼等を見送り、さあクマの家に行こうと思った瞬間、私の体はまたまたひょいと持ち上げられた。
「ゆり子さん、足が腫れてるんだから無理に歩いちゃだめです」
「いやいや、少しぐらい大丈夫よ」
「だめです」
クマはそう言って私をお姫様抱っこしながら歩き始めた。周りには誰もいない。誰にも見られていないとわかっていても、まさかこの歳で自分がお姫様抱っこをされるなんて思っていなかったから、なんだかすごく恥ずかしかった。
「せっかく浴衣でも着ようかなと思っていたのに、こんなに足が腫れるなんて……本当に残念」
クマが手当てをしてくれるのを見つつ、私が口を尖らせながら言うとクマがきょとんとした顔で私を見た。
「治ってから浴衣を着たらいいじゃないですか?」
「でも花火大会は明日よ?」
「何言ってるんですか? 明日は花火大会行っちゃだめですよ」
「え?」
テーピングを巻き終えると、クマはビニール袋に氷を入れて持ってきてくれた。氷を手渡しながら「そんな足で歩き回るなんてだめです」とぴしゃりと言った。私は何度も「大丈夫」と言ったがクマは聞き入れてくれなかった。
「明日は大人しくしときましょう。花火は来年行けばいいじゃないですか」
「私は今年花火が見たいの」
「だめです」
「えー」
私は思わず顔を膨らませた。少しぐらい無理したっていいじゃないか。
「なので、明日の夕方はマンションの前でこれをします」
そう言うとクマは立ち上がり、どたどたと小走りで廊下に消えた。そしてまたどたどたと戻ってくると、自慢げに細長い紙の小箱を私に見せた。
「なにこれ?」
「開けてみてください」
クマはにこにこしながら私を見ている。促されるまま箱を受け取り開けてみると、中には線香花火が入っていた。線香花火は何色もの色で綺麗に染められた和紙でできていて、このままでもとってもかわいくて美しい。線香花火は全部で十本。どれも手作りなんだろう、とっても丁寧に作られている。
「どうしたのこれ?」
「テレビで素敵な花火屋さんが紹介されていたので買ってみました! 夏が終わる前にゆり子さんとできたらなーと思いまして」
えっへん、と何故かクマは自慢げに胸を張っている。私はあえて何も言わないことにした。
線香花火なんてもう何年もしていない。線香花火で締める夏。うん、そんな夏もありかもしれない。
「明日はマンションの前でこれをしながらビールでもどうですか? ご飯はそうですね、三毛猫さんのテイクアウトなんてどうです?」
クマがにこにこしながら聞いてきた。なんて魅力的な提案だろう。私には断る理由がなかった。




