夏のお出かけは手土産を持って
「そんなに悩まなくても大丈夫よ……ね?」
難しい顔でショーケースを睨みつけるクマの顔は少し怖い。こういう時、クマがツキノワグマであることを思い出す。クマの表情を見て店員のシカのお姉さんも顔がこわばっている。
「あのー、どれにするかお悩みでしょうか? もしよかったらお話をお伺いしますが……」
白シャツの制服がよく似合うシカのお姉さん。目がぱっちりしていてとってもかわいい。大学生ぐらいかしら? そんなことを考えながら再びクマを見る。クマに反応はない。
クマの視線の先にはお菓子の詰め合わせがたくさん並んでいる。クマはそれを見ながらずーっと小声で「マドレーヌはどうかな? いや、でもビスケットかな……いやいやゼリーにした方がいいかな……」と呟いている。
クマは麦わら帽子をかぶっているのだけれど、ショーケースに近づきすぎているせいで帽子のつばがガラスに当たって曲がっている。そこまで真剣にならなくてもいいのに……
「来週夏休みがとれたから実家に遊びに行くけど、クマも一緒に行く?」
こないだの日曜日のお昼、クマの家でそうめんを食べている時に声をかけてみた。うちの母の親子丼が食べたいと前に言っていたからどうかなと思ったのだ。
因みにそうめんは冷たい麺つゆに細切りの大葉、きゅうり、みょうが、錦糸卵にハム、梅干しというクマのおばあちゃん曰く『王道のトッピング』だった。この夏、私は何度もお昼にそうめんをこの王道のトッピングでいただいている。
「いいんですか!? やったー! 行きます行きます!」
クマは嬉しそうにはしゃいだ。そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので私は少しびっくりした。そしてそんなこんなで今日は私の実家にクマと遊びに行くことになった。
朝9時に私たちはマンションを出た。大きな麦わら帽子をかぶってきたクマ。麦わら帽子はクマにとっても似合っていた。歩きながら「似合ってるわね」と声をかけたら、クマがにこにこしながら「ありがとうございます!」と大きな声で言った。
蝉の大合唱を聞きながら駅に向かう途中、クマが手土産を買いたい言い出した。そんなの気にしなくていいよって言ったけれどクマがぶんぶん首を横に振ったので、私たちは今、駅前の洋菓子屋さんに来ている。
「あのー、お客様……」
シカのお姉さんが再びクマに声をかける。でもやっぱりクマに反応はない。私たち以外にお客はいないけれど流石にお姉さんが可哀想だ。
私はやれやれと思いながらクマがかぶる麦わら帽子のてっぺんに右手で軽くチョップした。ぽすっと軽い音が鳴る。
「ほへ? ゆり子さん?」
クマがきょとんとした顔で私を見る。
「クマ、真剣に考えてくれるのは嬉しいけれど」
「けれど?」
「顔が怖いしショーケースに迫りすぎ」
「え? あ! わっごめんなさい」
クマははっとした顔になると、あわあわしながらシカのお姉さんに謝った。そんなクマを見ながらシカのお姉さんを横目でチラリと見ると、ちょっとほっとした顔をしている。うん、やっぱりお姉さんはかわいい。
「私、フィナンシェとマドレーヌが食べたい」
「フィナンシェとマドレーヌですか? ゆり子さんのお母さんもフィナンシェとマドレーヌは好きですかね?」
腕を組み「うーん」と言いながらクマが聞いてきた。
「味の好みは私と同じだから大丈夫よ」
私はさらりと嘘をついた。母の味の好みはよく覚えていない。フィナンシェもマドレーヌも単に私が食べたいだけだ。
「わかりました! お姉さん、このマドレーヌとフィナンシェのセットを一つください!」
クマがようやく注文したのでシカのお姉さんは安心したのかとっても明るくてかわいい笑顔で「かしこまりました!」と言ってくれた。
うん、やっぱりかわいい女の子はいつまででも見ていられる。そんなことを思いながら、怖がらせてごめんねと胸の中で謝った。
手土産を買って駅に向かい、クマと並んで電車に揺られること二時間。クマは私の右隣でずーっと気持ちよさそうに寝ていた。電車に乗って暫くは本を読んでいたけれど気が付いたら私も寝てしまっていた。
実家の最寄駅の一つ手前の駅に到着するアナウンスが聞こえて目を覚ます。すると私はクマに思いっきりもたれかかっていた。
「あ、ごめん!」
私は慌てて座り直してクマを見る。でも、クマはまだぐっすりと寝ていた。なんだよ、気づいてないのかよ。ほっとしたようなそうでないような、ちょっと恥ずかしいような……うまく言えないけれど胸の中がもやっとした。
そうこうしていうちにアナウンスが実家の最寄駅に到着することを告げる。
「クマ! ほら、起きて! 行くわよ」
電車の停車と同時に私は右手でクマの鼻をぎゅっとつまんだ。
ほががっ!
クマが何事かときょどきょどしながら飛び起きる。本当に無防備なクマだ。戸惑うクマを置いて私は先に電車を降りた。私のすぐ後ろにクマがついてきているだろうと思い振り向いた時、
がたん、ぷしゅー……
ドアが閉まる。
『あ! わ! ゆり子さん、ごめんなさい! すぐ戻りまぁ……』
「え!? クマ、あんた!」
クマが降りる直前にドアが閉まり、そのまま電車がゆっくりと走り出してしまった。
「まったくあの子は……もう……」
そう言いながら私はため息をついた。
わかっている、私が悪かったってことぐらい。わかっているけどこんなことになるなんて予測できるわけないでしょ!
炎天下の中、私はホームのベンチに座りクマが戻ってくるのを待つことにした。




