仕事帰りのコンビニで
「気になりますか?」
「…………」
「でもこれはお酒だからまだだめですよ」
「…………」
「かわいいデザインですもんね。でも、ひよこはお酒を飲んじゃだめなんです。こっちのオレンジジュースはどうですか?」
「…………」
「そうですよね、美味しそうですもんね……でも今はこっちにしておきませんか? お酒はにわとりになってからでなきゃだめなんですよ、ね?」
コンビニの奥、冷えた飲み物がたくさん並んだドリンクコーナーからなんだかゆるい会話が聞こえる。いや、会話じゃないか。聞こえるのは一方的に誰かに語りかけるよく知った声だけだ。
仕事帰りに甘いものが食べたくなって立ち寄ったコンビニ。馴染みのある声がする方に行くと、やっぱりクマがいた。黒くて大きなツキノワグマがしゃがみ込んで誰かと話している。
「何をしているの?」
「あ、ゆり子さん! こんばんは」
「はい、こんばんは」
にこにこしながら立ち上がり挨拶をしてくれたクマ。クマは私と同じマンションの一階に住んでいるご近所さんだ。因みに私は二階に住んでいる。
クマの足元を見ると一羽のかわいらしいひよこがいた。黄色くてふよふよした丸っこいひよこ。つぶらな瞳をきらきらさせてこちらを見上げている。
「この子は?」
「おつかいに来たひよこさんです! お母さんから食パンと牛乳を買ってくるように言われたそうなんですが、このオレンジの缶チューハイが美味しそうで気になるみたいで……」
説明の途中から声がどんどん小さくなり、最終的には困った顔をしたクマ。クマはそう言うと、ひよことお酒を交互に見てから私に「助けてください」と書いた顔を向けた。心なしか毛並みもしゅんとしていて元気がない。
クマが指を差したお酒は確かに美味しそうだった。オレンジ果汁100%の缶チューハイ。爽やかなブルーのパッケージにみずみずしいオレンジが描かれている。私が子どもでもきっと飲んでみたくなっただろうな。それに果汁100%ってジュースみたいだし。
一方ひよこはというと、クマを不満そうにじとっと見てから私にはきらきらとさせたつぶらな瞳で視線を送ってきた。大きな木の下にひよこがいたらこんなふうに見えるのかしら、なんて考えるとついつい顔がゆるむ。
かわいいなあ、なんて思ってひよこを見つめていると上からなにやらちくちくしたものを感じた。ちくちくした視線の送り主を見ると、不満そうに頬を膨らませている。針でつんとしたら弾けそうなぐらい。
あ……しまった。恥ずかしい。
私は顔が赤くなりそうになるのを堪えながら小さく息を整えた。それからさっきまでのデレデレをなかったことにするために顔をなんとか普通に戻す。
立ったままお話するとかなり高低差があったので私はしゃがみ込んでひよこになるべく目線の高さを近づけた。
「このお酒が気になるの?」
手始めに聞いてみた。聞くまでもなくわかってはいるけどとりあえず。
無言で頷くひよこ。ああ、かわいい。思わず撫でたくなるのをぐっと我慢する。ここででれでれしちゃいけない。
「でもお酒は大人になってからでないとダメなのよ」
ひよこの顔が曇る。小さな小さな体の後ろに「この人もわかってくれない……」と、心の声が浮かび上がっている気がした。ああ、不服そうな顔もとってもかわいい。私は思わず緩みそうになる顔の筋肉を何とか引き締める。
私は少し考えてからひよこに顔を近づけてある事を告げた。
「!?!?」
大慌てのひよこ。冷蔵庫のお酒を見る。私を見る。お酒を見る。私を見る。ひよこは何度か素早くきょろきょろすると、がくんと肩を落とし、がっかりした顔をしながらお酒コーナーを後にした。
私は「ごめんね」と心の中で言いながら、どこか寂しそうに丸くなったひよこの後ろ姿を見送る。許せひよこ。意地悪をした訳ではないけれどなんだか少し胸が痛む。
「さ、私たちも買い物を済ませちゃいましょう」
よいしょ、っと立ち上がりクマを見るとクマの目がビー玉のように点になっていた。まんまるで綺麗な目の中に私が映っている。なんだか鏡みたい。
「どうしたの?」
「ゆり子さん、一体ひよこさんになんて言ったんですか? 私が苦戦していたのにあんなにあっさり諦めさせるなんて……」
困惑しているクマを見て、こんな表情もするんだなあ思うと少し面白かった。
「ふふふ、内緒」
私はそう言い残して果汁100%のオレンジの缶チューハイを2本買い物カゴに入れてからスイーツコーナーに向かった。ちらりと振り向いてみるとクマがお酒コーナーの前でぽつねんと立ったままだった。
〜 クマからのお願い 〜
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ゆり子さんに「近所迷惑でしょ!」と怒られるまで飛び跳ねます
あ、でも怒られるのは嫌だなあ……
でも、すごく喜びます!
以上、クマからのお願いでした




