春はお花見弁当を
満開の桜の木の下、コンビニで買った春限定の缶ビールを飲む。ビールのお供はもちろんお花見弁当。お弁当は当然私の手作りではない。三毛猫の定食屋さんのテイクアウトだ。
「春だから新しいことをしてみようと思ってね」
先週お店に行ったら味見をさせてくれた。鰆の西京焼きも菜の花のからし和えもとっても美味しかった。
「すごく美味しい。お花見に行く前に絶対に買いに来ますね」
私がそう言うと三毛猫は澄まし顔で「褒めても何も出ないよ」と言ったけれど尻尾は後ろでぴーんと立っている。よく見ると顔もにやけるのを我慢しているようだった。
お花見弁当は二つ。桜の下のベンチには私一人。クマはまだ来ていない。
春になり桜の見頃がやってきた。
今朝、天気もいいしそろそろお花見にでも行こうかしらと考えながら朝ご飯を食べていると
「やったー! 春だー! ぽかぽかだー!」
と外から大きなクマの声が聞こえた。その声を聞いて私は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。クマは相変わらず元気みたいだ。
せっかくだからお花見に誘ってみよう。私は思わずにやりとしながら朝ごはんの続きを食べ始めた。そうかやっと起きたんだ。なんだか胸の辺りが温かくなった。
朝ごはんの食器を片付け、洗濯物を干し、掃除機かける。平日に溜まった家事を終わらせると私はそのままの勢いで身支度を始めた。
くすんだデニムのシャツワンピースに黒のパーカーを羽織る。化粧はいつも通り最低限。私はショルダーバッグを下げブーツを履くと家を出た。
階段を降りてクマの家に行くと『食事中』と書かれた看板がドアにぶら下がっていた。冬眠明けでお腹が減ってるのかしら、そう思いながらそっと看板の裏を見てみる。看板の裏には『冬眠中』と書かれていた。
「冬眠中の裏は食事中だったんだ」
面白くて思わず呟いてしまった。食事中ならどうしよう、声をかけると迷惑になるかもしれない。私はインターホンを鳴らすか悩んだ。
「あ、ゆり子さん!」
私が悩んでいると後ろから明るい声がした。振り向くと両手に食べ物でぱんぱんに膨らんだレジ袋を二つずつ持ったクマがいた。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
クマはぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
「明けましておめでとう。こちらこそ今年もよろしく」
私もクマに倣って頭を下げた。季節外れなのはわかっているが仕方がないことなのでスルーしよう。
「起きたのね」
「起きました!」
クマは今年も相変わらずニコニコしている。
「食事中?」
「はい、お腹が減って家にあった食べ物をひたすら食べていたんです。そしたら食べ物が底をついちゃって。スーパーに買い出しに行ってました」
冬眠明けのクマの食欲はすごいみたいだ。おそらく私が一ヶ月は余裕で生活できるであろう量を今クマは持っている。重くないのかしらと少し気になった。
「お出かけですか?」
クマが首を傾げる。
「うん。お花見に行こうかなと思って」
「いいですね!」
「クマも一緒にどう?」
「いいんですか!」
クマの顔が輝いた。
「三毛猫の定食屋さんでお花見弁当を買って行くの」
「お花見弁当ですか!」
クマの顔がさらに輝いた。本当にわかりやすいクマだ。
「クマの準備が終わるまで待ってようか?」
私がそう言うとクマは申し訳なさそうな顔になった。
「今、腹八分、いや腹五分目ぐらいなんです。もう少し食べてお腹を落ち着かせてから行きたいんですみませんが先に行っててもらえますか?」
「いいわよ。じゃあ先にお弁当もらって待ってるわ。定食屋さんの近くの河川敷に行こうと思ってるの。場所はわかる?」
「はい、そこなら私もわかります」
「じゃあまた後で」
「はい、また後で」
私はクマが家に入るのを見届けると三毛猫の定食屋さんに向かった。
「そう、あの子起きたんだ」
お弁当を買いに来た定食屋さんでクマのことを伝えると三毛猫は嬉しそうに目を細めた。
「そうなんですよ。冬眠明けでお腹が減っているそうです。たくさん食べてお腹を落ち着かせてから来るって」
「そうかい、じゃあこれも持っていきな」
三毛猫はそう言うとお花見弁当が二つ入った袋とは別にもう一つ袋を渡してくれた。中を見ると美味しそうな唐揚げとカラフルな手まり寿司が詰められたパックが入っていた。
「ちょっと作り過ぎちゃってね。置いていても仕方がないから持って行ってちょうだい」
「いいんですか?」
「いいのいいの、おまけだから」
澄まし顔で言う三毛猫。そんな彼女が私にはすごく素敵な女性に見えた。
定食屋さんのすぐ近くのコンビニでお酒を買い、私は上機嫌で河川敷に向かった。河川敷ではたくさんの桜の木が花を満開にしていた。既にお花見客がたくさんいたけれど、運良く大きな桜の木の下のベンチが空いていたので私はそこに座った。
お腹が減った私はクマを待たずにお花見弁当を開けた。中を見るだけにしようと思ったけれど駄目だった。美味しそうなお弁当を見た途端、私は割り箸を割りその5分後には缶ビールも飲み始めた。
「ゆり子さーん! あ、もう始めてる」
ビールを飲んでいるとクマが走ってきた。もちろん二足歩行で。クマは郵便屋さんみたいな黒っぽいショルダーバッグを下げ、頭には黒いキャスケットをかぶっている。
「食べるの待っててくれたら嬉しかったんですが」
クマが少し不満そうに顔を膨らませる。まるで子どもみたいだ。
「先に食べ始めちゃった」
私はそう言いながらクマの分のお花見弁当とビールを渡す。クマは「ありがとうございます」と言ったけれどまだ少し不満そうだ。
「それからこれ、おまけだよって三毛猫さんにもらっちゃった」
私は唐揚げと手まり寿司を見せた。するとクマの顔はたちまち明るくなりニコニコし始めた。
「やったー! 三毛猫さんの唐揚げ大好きなんです。冷めても固くならなくてとっても美味しいんですよ」
クマはそう言いながらお花見弁当を食べ始めた。
「やっぱり美味しいですね。よかった、家でお腹を落ち着かせてきて」
「やっぱり違うの?」
私は気になって聞いてみた。
「違いますよ。冬眠明けのお腹が減った状態だとお腹を満たすためにすごいスピードで食べちゃうんで味わえないんです」
クマはそう言うと何故か得意げな顔をした。今の内容のどこにそんな要素があったんだろう。わからなかったけれど私は聞かずにふふふと笑って流した。
「クリスマスプレゼントと年賀状、ありがとうございました」
ご飯を食べ終えてひと段落しているとクマが嬉しそうに言った。
「早速かぶってくれたのね」
「はい、そりゃもちろん!」
そう言うとクマは嬉しそうにキャスケットを手に取った。クマのクリスマスプレゼントはキャスケットにした。なんとなく似合いそうな気がして。
百貨店の紳士服売り場、その隅っこにクマ向けコーナーはあった。普段紳士服売り場なんて行かないから売り場が分からず彷徨っていると優しい店員さんが声をかけてくれた。店員さんはシロクマだった。
「何かお探しですか?」
「シロクマさんは冬眠しないんですか?」
私は思わず聞いてしまった。そして衝動的に聞いてしまった自分が恥ずかしくなり顔が熱くなった。
「ごめんなさい、いきなり失礼ですよね」
「いえいえお気になさらず。シロクマは冬でも動けるんですよ」
シロクマの店員さんは爽やかな笑顔で教えてくれた。怒っていなさそうだったので少しほっとした。シロクマの店員さんにクマ用のキャスケットを探していることを伝えると彼は売り場まで連れて行ってくれた。
「私でこれぐらいのサイズですのでツキノワグマさんならこのサイズがいいかと」
シロクマの店員さんに相談しながらキャスケットのサイズを選んだ。だからサイズは大丈夫だと思うけれどどうだろうか。
「もしかして小さかった?」
私は不安になって聞いてみた。
「もし小さかったらサイズ交換もできるって言ってたから……」
「え、ぴったりですよ。すごく嬉しいです!」
クマはニコニコしながら言った。ニコニコ笑うクマにキャスケットはとても似合っていた。私はそんなクマを見てふっと肩の力が抜けた。それからこっそり一度深呼吸をしてから覚悟を決めた。
「クマ」
「はい、なんでしょう」
私の呼びかけにクマは首を傾げる。
「私からのバレンタインチョコはありません」
「え、そんな。残念」
クマの顔が一気に曇る。見るからにしょぼんとしている。
「でも、その代わり」
「その代わり?」
「美味しい親子丼を食べに行かない?」
そう言いながら私はちょっと照れくさくなった。少し顔が熱い。いやすごく熱い。なんとか目を逸らさないように我慢しようとしたけれど無理だった。私は少しだけ缶に残っていたビールを飲み干した。
クマはそんな私を見て優しい笑みを浮かべ嬉しそうにこう言った。
「いつ行きます? 明日にします?」
相変わらずせっかちなクマだ。それは唐突すぎるだろう。私がクマに呆れていると突然強い風が私たちの間を吹き抜けた。
風に乗って桜の花が舞う。そして一枚の花びらがクマの鼻の上に着地した。私はそれを見て思わず笑ってしまった。
クマを連れ行ったら母は驚くだろう。でも、きっと大丈夫。素敵な食事会になる気がする。




