クマは眠る、春が来るまで
「いつから冬眠するの?」
本腰を入れて眠気が襲ってきた。眠たいし帰ろうかなと思った時、クマがそろそろ冬眠すると言っていたのを思い出した。私と違ってクマは長い眠りに入る。
「お鍋もたくさん食べたし明日から寝ようと思います」
クマはぼんやり上を見ながら言った。私も釣られて天井を見た。当たり前だけれど天井には何もなかった。
「冬眠ってどんな感じなの?」
「どんな感じ……長い時間ぐっすり寝る感覚ですね。途中で起きることはないです。寝て、起きたら春が来ています」
「寝て起きたら春か……」
私は天井を見たまま想像してみる。夜に寝て気がついたら朝になっていることがたまにある。そんな感覚なのかな。
気がつけば春。起きたら寒さがなくなりぽかぽかしていて落ち葉だらけの地面は新しい緑色になっている。なんとも不思議な感じだ。私は天井を見るのをやめて視線をクマに戻した。
「いつ起きるの?」
「暖かくなったら、たぶん4月ぐらいだと思います」
クマは相変わらず天井を見たままだ。
「そう、寂しくなるわね」
私は素直に思ったことを言ってみた。
「でも同じマンションにはいますよ」
クマが私を見て言った。お日様みたいににこにこしている。クマの笑顔を見たら胸に温かいものを感じた。寂しさが少し薄れた。
「そうね、近くにいるわね。そうだ、春になったらしたいことはある?」
「そうですね……あ、二つあります」
「二つ?」
「一つはお花見に行きたいです」
クマが顔をほんわかと緩ませながら言った。体中からぽわぽわとした温かい空気を放っている。きっと頭の中は春がいっぱいなんだろう。
「お弁当を持って桜の下でお花見がしたいんですよね」
クマは目を細めながら言った。そんなクマを見て私も一緒に行きたくなった。
「いいわね。行きましょう。せっかくなら温かいコーヒーとケーキも持って」
「それはいいですね!」
クマが目をキラキラと輝かせる。そんなクマを見ていると私までなんだかわくわくしてきた。
「クマのもう一つのしたいことは?」
「親子丼が食べてみたいです」
「親子丼?」
私は思わず首を傾げた。クマは親子丼を食べたことがないのだろうか? クマを見るとにこにこしていなかった。背筋をしゃんと伸ばし、真っ直ぐ座って私を優しい目で見つめていた。
「どこか懐かしさを感じる美味しい親子丼をゆり子さんと一緒に食べられたらな、なんて……」
それを聞いて私は思わず下を向いてしまった。照れ臭いというか恥ずかしいというか……前を向いていられなかった。ずずずとクマがお茶を飲む音が部屋に響く。
こいつ、しれっとねじ込んできやがった。きっと私のおふくろの味のことを言っているんだろう。なんてやつだ。でも、同時に何故かそのことを不快に思っていない自分にも気がついた。
おふくろの味、私の中に久々に食べたいと思う気持ちが芽生えていた。
「そう……機会があればね」
少しつっけんどんな口調で言ってしまった。
「はい、もちろん。気が向いたらお願いします」
クマと私は顔を見合わせてふふふと笑った。
「そろそろ帰るわね」
時計を見ると日付が変わりそうだったので帰ることにした。帰ってお風呂に入ったらすぐに寝てしまいそうだ。
「あ、もうこんな時間!」
クマは時計を見るとびっくりしていた。目がまん丸になっている。改めてクマの顔は見ていて飽きないなあと思う。ころころ、ころころよく変わる。
私はクマにもらったプレゼントと年賀状とガトーショコラの紙袋を持って玄関に向かった。靴を履いて玄関のドアを開けると冷たい空気がずいっと入ってきた。やはり冬は寒いなあとしみじみ思う。
「じゃあクマ、お邪魔しました」
「いえいえそんな。ゆり子さん、おやすみなさい」
「クマもおやすみなさい」
そう言って家に向かおうとしてから私は大事なことを思い出した。慌てて体をクマに向ける。
「クマ、今年は大変お世話になりました。良いお年を」
ちょっと。いや、かなり早いけれどしばらく会わないのなら言わなくちゃと思ったのだ。クマは一瞬驚いた顔をしたけれどすぐに嬉しそうににこにこし始めた。
「こちらこそお世話になりました。ゆり子さんも良いお年を」
そう言ってクマは笑顔で私を見送ってくれた。
家に帰った私はすぐにお風呂にお湯をはった。
お風呂に浸かりながらクマに渡すクリスマスとバレンタインのプレゼントを考える。何がいいかしら。まだ時間はあるからゆっくり考えようと思う。それにしても11月に「良いお年を」っていう日が来るとは思ってもいなかった。なんだか不思議な気分だ。
お風呂上がりにクマがくれたクリスマスプレゼントを開けてみた。中には毛糸の赤いマフラーが入っていた。少し深みのある赤色で柔らかい肌触り。無地で大人な雰囲気のあるマフラー、いろんな服に合わせやすそうだ。私はそっとマフラーを畳んでテーブルの上に置いた。
歯磨きをする前にクマがくれたガトーショコラを少しだけ食べてみた。美味しいけれどちょっぴりほろ苦い味が口の中に広がった。




