手作りマーケットは来週でした
何もなかった。
手作りマーケットが行われているとクマが言った隣町の公園。そこに私たちは駅からふらふらと歩いてやってきた。入り口に到着し中を見渡すとそこには何もなかった。
いや、何もないと言えば語弊がある。ブランコに大きな大きな滑り台、シーソーをはじめとする様々な遊具。座り心地の良さそうなベンチ。綺麗な外観の公衆トイレもある。公園の奥には芝生の生えた広場も見える。
公園はとても広くて野球場ぐらいありそうだ。ボールで遊ぶ家族連れやベンチで休憩中のおじいさん、犬とお散歩中のおばさんなど公園の中はかなり賑わっている。でも何かを売っているようなお店は一つも見当たらない。
「綺麗な公園ね。でも……」
「でしょう! 好きな公園なんですよね、ここ」
クマが食い気味で話してきた。
「奥に芝生が見えるわね。でも……」
「そうなんです! 今日みたいな日にはピクニックにぴったりなんですよ! しかも……」
やっぱりクマは食い気味で話してくる。私はもやっとしたので話を遮ることにした。
「クマ」
「あ、はい」
「お店が一つも出てないわね」
「えっと、それは……」
クマの目が宙を彷徨う。
「ねえ、ゴリラさんのバナナケーキは?」
クマの目がぴたっと止まった。そして目が点になり口があんぐりと開いた。
「クマ?」
「ごめんなさい! 日付を勘違いしてました」
そう言うとクマは突然深く深く頭を下げた。そしてすぐに頭を上げたかと思うとどたどたと公園の奥に向かって走り出した。もちろん二足歩行で。
クマはどんどん遠くまで走っていく。一体どこまで行くのかしら。置いて行かれた私は特にすることもないので小さくなっていくクマの背中を見ていた。
「ゆり子さーん!」
結局クマは公園の端っこまで走って行った。そしてこっちに向かって手を振りながら大声で私の名を呼んだ。当然のことながら公園中に私の名が響いた。
公園にいた人たちがみんな一斉にクマのいる方を見た。そしてまた一斉にクマが手を振る対象である私に好奇の眼差しを向けた。視線に耐えきれず私は思わず俯いた。顔が熱っていくのがわかる。
「恥ずかしい……」
私は俯きながら小走りでクマの元へ向かった。
「ごめんなさい、手作りマーケットは来週でした」
クマの元に辿り着くとクマが申し訳なさそうに掲示板に貼られたポスターを指さした。そこに書かれた開催日は確かに来週だった。
「勘違いしてました。ごめんなさい」
しょぼくれたクマ。俯いた姿はいつもより小さく見えた。そんなことされると怒れないじゃないか。いや、別に怒ってないけれど。
「まあ、そんなこともあるわよ。でも、よくこのポスターの字が見えたわね。クマって視力いいの?」
クマがあんまり落ち込むので私は話を逸らしてやることにした。
「視力ですか? ツキノワグマはあまり視力がよくないそうです」
クマは顔を上げると「どうしてそんなことを聞くの?」と、顔に出しながら私を見た。目は口ほどに物を言うと言うけれど、このクマは目と言うより顔だなあと思う。いや、その前にさっきまでの落ち込んでいた顔をどこにやったのよこいつは。私は心の中でため息をついた。
「じゃあどうしてこの文字が見えたのよ?」
「私はツキノワグマの中では珍しくとても目がいいみたいです」
「……ああ、そうなのね」
クマがあっけらかんと言うので私はそれ以上何も言えなかった。
「そうだ! 近くに美味しい定食屋さんがあるんです」
手作りマーケットが来週だとわかった私たちはとりあえず公園を出た。そしてどこに行こうか考えているとクマが思い出したかのように言った。そしてその直後にクマのお腹がぐーっと鳴った。
「お腹が減ったのね?」
「減りました!」
クマは元気に言い放った。このクマは本当に……もう。私は呆れてとうとう笑いそうになった。でも、すぐに私もお腹が減っていることに気がついたので笑いが引っ込んだ。そう言えば私たちはまだお昼ご飯を食べてない。
「じゃあそこに連れてってもらえるかしら?」
「よろこんで!」
クマは嬉しそうににこにこと笑った。
「さあ行きますよ! 着いてきてください!」
クマはそう言うとずんずん歩き始めた。
秋の太陽の下をずんずん、てくてく、異なる足音をさせながら私たちは歩く。お腹は減ったけれど足音のリズムを聞いているとなんだか楽しくなってきた。
街路樹の銀杏の並木道。黄色いトンネルの下を歩いていると素敵な絵本の世界に迷い込んだみたいだなあと思った。黄色いトンネル、クマとの散歩。うん、やっぱり絵本や童話の世界みたい。
クマの後ろを歩きながら私は記念に綺麗な銀杏の葉を一枚拾った。クマにバレないようにこっそりと。
「着きましたー!」
クマが連れてきてくれたのは銀杏並木から少し外れた路地にある小さな定食屋さんだった。少し煤けた木造の外観はなんだか歴史を感じさせる。
「お先にどうぞ」
クマはがらがらと重たそうな木の引き戸を開けると私を先に通してくれた。お店の中は心地よい暖かさでお出汁のようないい匂いが出迎えてくれた。
クマがお店の中に入り引き戸を閉める。するとすぐに白い割烹着を着た三毛猫が厨房から出てきて私たちを席へ案内してくれた。年齢はわからないが三毛猫は毛がツヤツヤとしていてべっぴんさんだった。
お店の中はこじんまりとしていてテーブルは五つ。お客さんは私たちだけだった。
「ここ、夜は居酒屋さんなんですがお昼は定食屋さんなんです。お昼は日替わり定食しかないんですがそれがとっても美味しいんですよ」
席に着くなりクマがにこにこしながら言った。
「もう、そんなこと言って。褒めても何も出ないよ」
水をお盆に載せて運んできてくれた三毛猫はぴしゃりとそう言ったけれど顔が緩んでいる。クマが言ったことが嬉しかったみたいだ。尻尾も後ろで左右にゆらりゆらりと大きく動いている。
どんな献立なんだろう。私は気になってきょろきょろとテーブルの周りやお店の中を見渡したけれどどこにも書いてなかった。値段もいくらぐらいなんだろう。
「あの、今日の献立はなんですか?」
私はとりあえず献立を聞いてみた。
「今日は鰤の照り焼きと切り干し大根。それから白菜のお味噌汁だよ」
三毛猫が目を細めながら教えてくれた。
「美味しそう! ご飯は大盛りにできますか?」
クマが希望の眼差しを三毛猫に向けた。
「本当はできないけど、仕方がないねサービスだよ」
三毛猫がにやりとしながら言った。
「ありがとうございます!」
店内にクマの大きな声が響く。クマの顔は今日一番のにこにこ顔になった。そんなクマを見て私と三毛猫は思わず顔を見合わせてくすくすと笑ってしまった。




