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異世界シルクロード(Silk Lord)  作者: 秋ぎつね
第4章 発展篇
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第三話 ボルドー液

「これが蚕の卵だ」

 貯蔵庫から出した『種紙たねがみ』を見せるアキラ。

 生徒はもちろん、王都からやって来た技術者候補たち。

「これを、『催青さいせい』といって、温度や光を調節した環境におくことで、ほぼ一斉に孵化させることができるんだ」

「なるほど」

「何日で孵化するんでしょうか?」

 養蚕担当のアラン・ラーソンとシモーヌ・ラールは熱心にメモを取っている。

「卵が青くなったら2日くらいだな。青くなるまでには1週間から10日だ」

 そしてさらにアキラは、

「孵化のばらつきを揃えるため、卵を2晩ほど暗い場所に置くことも行うんだ。それを……何て言ったかな、ゴドノフ?」

 いきなり話を振られた養蚕担当の作業員の長、ゴドノフだったが、

「へい、旦那。『二夜包み』と言うんでがしょう?」

「そうだ。ちなみに1晩包むのを『一夜包み』、3晩包むのを『三夜包み』という」

 卵は明暗を感じているんだ。だから夜中に明かりを付けたり、昼間に暗くしたりすると孵化がばらつくから気をつけるように、と注意することも忘れない。

 そして、卵がかえるまでの期間は、桑の葉摘みをはじめとした補助業務を説明していくアキラ。

 ゴドノフらが仕事を覚えてくれているので、アキラは王都から連れてきた6人にほぼかかり切りである。

 その6人は、環境が変わったにもかかわらず、喜々として新しい発見に目を輝かせていた。


 前侯爵への報告でそう告げると、

「そうだろう。彼らは全員が自ら望んで学びにやってきているのだから」

 と教えられた。

 何でも、4倍以上の倍率があったらしい。

「絹の魅力はそれほど大きかったのだよ」

 と嬉しそうに言うフィルマン前侯爵であった。


*   *   *


「アキラ様、これくらいでいいですか?」

 養蚕担当のシモーヌ・ラールは、桑の葉を毛蚕けごが食べやすいよう刻んでいたのだが、その大きさについてアキラに尋ねた。

「ああ、そのくらいでいいだろう」

 蚕の幼虫、毛蚕けごは、生まれたばかりなので小さく、桑の葉を食べる際には端の方から食べることが多い。そのため、桑の葉を刻んでやると食べやすくなるわけだ。

 刻んだ葉は冷蔵庫に保管することで半月くらいは新鮮さを保ってくれるので、今のうちに用意してもらっているのだった。


 同時に、基礎教育も行っている。

 内容としては、まずは公衆衛生だ。

 蚕に病気をうつしたりしないよう、また互いの健康のためにも、習慣付けたいと考えていた。

 こちらの方は、『蔦屋敷』にいる人間は全員が徹底されているので、周りに合わせてもらえばいい。

 特に入浴の習慣は、

「アキラ様、お風呂にこうして頻繁に入れるというのはいいですね!」

 と全員が言ってくれたので、公衆衛生については、つかみはOKだろう。


 公衆衛生以外での緊急性のある項目はないので、じっくり行っていく予定であった。


*   *   *


 『新人』たちが育てている蚕も脱皮を重ね、3齢となった。

 しゃくしゃしゃくしゃくと桑の葉を食べる音が蚕室さんしつに響いている。

「どうやら順調に育っているようだな」

 アキラもほっとしている。

「しかし、こんな虫が役に立つ糸を出すんですね。不思議と言えば不思議です」

 養蚕担当のアラン・ラーソンが興味深そうに言った。

「俺の国では、『蚕』という名前には、天が遣わしてくれた虫、という意味があるんだよ」

「そうなのですか」

 実際には名前ではなく文字、漢字の意味なのだが、この世界の人間に漢字の語源を話しても通じがたいので『名前』という表現をしたアキラである。

「そうなのさ。説明したと思うけど、糸を取るためには繭の中にいるサナギを殺してしまうことになる。だから、『供養塔』といって、お蚕さんに感謝する慰霊碑があちこちに建てられていたくらいだ」

「ははあ、なるほど」

「俺の国では、万物に霊性を認めているから、そうした風習ができたんだろうな」

「アニミズム、ですね」

 アラン・ラーソンはそうした風習にも興味を持ってくれた。

 聞けば、出身はパリュの西にあるクレルモンという田舎だそうで、その付近には土着の信仰も少し残っていたのだそうだ。

 そのため、アラン・ラーソンは蚕のことを『お蚕さん』と呼ぶことに違和感を感じなかった。

 これはアキラとしては嬉しいことだった。


*   *   *


 蚕の飼育の合間には、『紡ぎ』『織り』『染め』などの基礎知識も教育していく。

 なにしろ教育期間は1年しかないのである。時間を無駄にはできなかった。

 こうした紡績を中心とした技術担当はローマン・ド・プレとジャンヌ・ド・プレの若夫婦。

 毛糸に関してはひととおりこなせるのでこの役割を与えられたのだが。


「緑系の染めは、銅鍋で行うといいのですか。……と、すると銅イオンが……」

 2人の話からリーゼロッテは、ミョウバンを使う、いわゆる『アルミニウム媒染』以外に『銅媒染』ができることを知った。

 彼女はアキラからの知識で『銅イオン』の存在を知っていたから、銅鍋ではなく『硫酸銅』を使えば、濃度管理が楽にできると考えた。


 硫酸銅は銅を濃硫酸に溶かして作る。鉛蓄電池の時に希硫酸は手に入れていたから、魔法『《デハイドレーション》』を使い脱水することで濃硫酸とすることができ、それを用いて硫酸銅を作ることができたのである。


「すごい! リーゼ、大手柄だ!」

 アキラは、リーゼロッテが硫酸銅を作ったと聞いて、大喜びだった。

「硫酸銅水溶液に消石灰を混ぜると『ボルドー液』という殺菌剤ができるんだ」


 このボルドー液は現代の地球でも使われている。有機農法での利用が可能と、『有機農産物の日本農林規格』にも載っている。

 殺菌効果の他に、ナメクジやカタツムリへの忌避効果や、植物そのものを活性化する作用もあると言われているのだ。

 もちろん、蚕が食べる桑の葉に使うわけにはいかないが、農作物に使うことで細菌の発生を防ぎ、ひいては病害を抑えることができる。


「キュウリの『うどんこ病』も防げるはずだ」

 冷涼なリオン地方ではさほどでもないが、高温多湿な南方では、葉に白い粉状のカビが生える『うどんこ病』が多く発生する。

 この『ボルドー液』で予防することを知らせれば、農家はかなり助かるはずであった。

「使い方はしっかりと守らせなければならないけどね」

 銅イオンが大量に人体に取り込まれることは避けねばならない。

「使用濃度に希釈したボルドー液を流通に乗せればいいんじゃないかな?」

 とはハルトヴィヒの意見である。

 こうした情報は一旦フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に報告され、その指示を待つことになる。


「ふむ、『ボルドー液』か。我が国にも『ボルドー』という地名があるが、奇遇じゃな」

 とは、その前侯爵の言葉である。


「リーゼロッテさんは大した研究者ですね!」

「もっともっと、いろいろ教えてもらいたいです!」

 技術担当のオレール・バローとジョゼフィン・ナーパルトはそう言って、リーゼロッテの研究室に入り浸るのであった。


 とにかくそう言うわけで、新たに加わった6人も、『蔦屋敷』の生活に溶け込んでくれたので、アキラとしては心労が減ったといえよう。

 そして季節は初夏を迎える。

 お読みいただきありがとうございます。


 次回更新は3月2日(土)10:00を予定しております。


 お知らせ:2月23日(土)早朝から24日(日)に掛けて帰省してまいりますのでその間レスできなくなります。ご了承ください。


 20190224 修正

(誤)『蚕』という名前には、天が使わしてくれた虫、という意味があるんだよ」

(正)『蚕』という名前には、天が遣わしてくれた虫、という意味があるんだよ」

(誤)糸を取るためには、眉の中にいるサナギを殺してしまうことになる。

(正)糸を取るためには、繭の中にいるサナギを殺してしまうことになる。


 20190707 修正

(誤)前公爵

(正)前侯爵

 2箇所修正しました。


 20190708 修正

(旧)その6人は、環境が変わったにも関わらず、喜々として新しい発見に目を輝かせていた。

(新)その6人は、環境が変わったにもかかわらず、喜々として新しい発見に目を輝かせていた。


 20200411 修正

(旧)説明したと思うけど。糸を取るためには、繭の中にいるサナギを殺してしまうことになる。

(新)説明したと思うけど、糸を取るためには繭の中にいるサナギを殺してしまうことになる。

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