第二十三話 懊悩
『シルクマスター』。
その称号を得たアキラは、与えられた部屋で頭を抱えていた。
その横ではミチアも一緒になって考え込んでいる。
「王国がバックアップしてくれることになったのはいいけど、正直規模が大きすぎてどこから手を付けていいのかわからないなあ」
そう、2人は今、『ガーリア王国の養蚕振興計画』を立案している真っ最中なのである。
国王から直々に受けた仕事であった。
「とりあえず草案、といっても難しいなあ」
この前まで『リオン地方』で行っていた小規模な養蚕ではなく、国を挙げての一大プロジェクトである。面食らうのも無理はなかった。
何せ、規模が2桁から3桁も違うのである。
技術者の育成にしても、数名ではなく最低でも十数名、できれば100名は欲しいところだ。
そうなると、総括する組織も必要になり、もしかすると『養蚕省』とか『養蚕大臣』も必要かもしれない……と考え出すと、まとまりが付かなくなってしまうのである。
「アキラさん、ここはどなたか専門の方にお知恵を借りるのがいいと思います」
アキラと一緒に考えているミチアが言う。
「アキラさんは技術者ですから、こうした大規模な計画は難しいでしょう。どちらかというと『政治』に近い話になりますもの」
「そうかあ……そうだよなあ……」
半日悩み続けていたアキラは、意を決して立ち上がり、部屋の外へ出た。
目指すはフィルマン前侯爵のところだ。
ノックをすると、家宰のセヴランの甥、マシューがドアを開けてくれた。
「アキラ様、どうぞ」
「失礼します」
アキラが部屋に入ると、フィルマン前侯爵はにこやかに迎え入れてくれた。
「アキラ殿、そろそろ来るのではないかと思っていたよ」
「えっ?」
「疲れた顔をしておるな。……マシュー、茶を淹れてくれ」
「はい」
アキラはソファに座って、執事であるマシューがお茶を淹れる様をぼんやりと眺めていた。
「どうぞ、アキラ様」
「ありがとうございます」
砂糖を多めに入れた甘めのお茶は、カフェインと共に、疲れた頭に活力を与えてくれるようだった。
「悩んでおるな。……おそらく、技術者の育成計画で行き詰まっておるのじゃろう?」
「あ、はい、仰るとおりです」
その答えを聞いたフィルマン前侯爵はにやりと笑った。
「陛下は、確かにその指示をアキラ殿に出したが、やり方については何も仰らなかっただろう?」
「そうですね」
「陛下としては、こういう時の手順を、アキラ殿が知っている前提で指示されたのじゃよ」
「前提……ですか」
オウム返しにその単語を呟くアキラ。
「そう、前提だ。……だが、アキラ殿はこういうことは不慣れなのじゃろう?」
「ええ、まあ……お恥ずかしい話ですが」
だが、フィルマン前侯爵は首を横に振った。
「いや、恥ずかしくはない。陛下は貴殿との付き合いが浅いから、閣僚を基準に指示を出してしまったのじゃろうな」
政治が専門の文官に対するように、と前侯爵は言った。
「こういう時はだな、本当に簡単な……そう、『和紙』1枚くらいに『流れ』をまとめるのじゃ」
「それでいいのですか?」
「いいとも。それをしかるべき部署に回し、その部署が少し詳しい手順書を仕上げる。そしてそれがまた、下の部署に回り、細分化された手順書が出来上がっていくものなのじゃ」
お役所仕事と言ってしまえばそれまでだが、組織が大きくなると、どうしてもこうした分業はやむを得ない。
「アキラ殿は技術者じゃから、わからないだろうと思っていた。……気を悪くしないでくれ。だが、悩みもせずに誰かに聞くようでは、この先見込みがないと思っておったのだ」
しかしアキラは、できないなりに半日悩み、悩んだ挙げ句にこうして相談にやって来た。それは責任を自覚した者の態度だ、とフィルマン前侯爵は褒めたのである。
「まあ今回は、しかるべき部署そのものが見当もつかんじゃろう。であるから、まずは何をまとめればいいか、ヒントを与えよう」
「お願いします」
「規模を意識せずに、手順をまとめるのじゃよ」
『蔦屋敷』でやっていたことをまとめ直せばよい、とフィルマン前侯爵は言った。
「それでいいんですか?」
「いいとも。むしろ、技術者が政治がらみのことを考えることはマイナスになりかねん」
「そういうものですか」
「そういうものじゃ。できない部分は丸投げしないと、身体が幾つあっても足りなくなるぞ」
「……」
そう言われても、アキラはなんとなく釈然としない顔だ。
「はは、完全には納得できないという顔じゃな」
「え、あ、はい」
「アキラ殿は若い。完璧主義、といったかな、技術者にありがちな、『自分で把握していないと気が済まない』という奴なのじゃろうが、こればかりは『慣れてくれ』と言うしかないな」
『自分で把握していないと気が済まない』が高じると、『全部自分でやらないと気が済まない』になってしまい、身動きが取れなくなるのである。
フィルマン前侯爵は、そんな技術者を過去、何人も見てきていた。
「……確かに、仰るとおりかも」
アキラもそれを認め、
「考え直してみます」
と言って退出していったのであった。
* * *
「さて、儂も動かんといかんな」
「大旦那様?」
腰を浮かした前侯爵を訝しむマシュー。
「ははは、まだお前には儂の考えを追い切ることはできないか」
言外に、セヴランなら何も言わずとも察するであろう、と匂わされ、マシューは恥じ入っている。
「……お恥ずかしい限りです」
フィルマン前侯爵はそんなマシューの肩を軽く叩き、
「アキラ殿と同じく、お前はまだ若い。心して成長せよ」
そして何を考えているのかを簡単に説明した。
「……そうじゃな、儂としてもアキラ殿を王家に取られてしまうのは少々いただけぬ。じゃから、そろそろ動くとしよう、と言ったのじゃよ」
国王自ら『シルクマスター』認定をしたということは、直属の配下と認めた、とも言える。
このままずるずると王都に居続けては、アキラを取られてしまう、と危機感を抱いたのだ。
また、アキラの性格上、このまま王都で仕事を振られていては遅かれ早かれ潰れてしまうだろうとも予想していた。
そこで『前侯爵』は動くことにしたのである。
* * *
「ふむ、小規模ではあるが、既に出来上がっている組織を学ぶことが早道、と言うのだな?」
「御意」
フィルマン前侯爵は、ガーリア王の執務室で、ユーグ・ド・ガーリア王、宰相のパスカル・ラウル・ド・サルトル、農林大臣のブリアック・リュノー・ド・メゾンらと話をしていた。
「桑畑の準備が、おそらく最も時間が掛かる事業だと考えますが、いかがか?」
「確かにそのとおり。今から準備しても、使い物になるまで最低5年。軌道に乗るまで10年は見るべきでしょう」
「ならその間にすべきこととして、技術者、指導者の養成があると思いまするが、それを我が領地で行っては如何に、と申しておるわけです」
「ふむ、なるほど。……フィルマンは、よほどあの者が気に入ったと見えるな。余に取られるのが惜しいか」
「へ、陛下!」
いきなり図星を指されてフィルマン前侯爵は少し狼狽えた。
「はは、そなたが狼狽えたところは久しぶりに見るな。……わかったわかった。アキラは取らぬ。……宰相、かの者がのびのびとその知識と知恵を羽ばたかせられるよう、手配せよ」
「御意に」
こうして、フィルマン前侯爵の働きかけにより、アキラは『蔦屋敷』に戻ることが決まったのだった。
「だが、我が娘もあの者を気に入っておってな。『顕微鏡』のこともある。今しばらく、王都には留まってもらうぞ」
「はっ」
アキラの気苦労はもう少し続くようである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2月2日(土)10時を予定しております。
20190127 修正
(誤)まあ今回は、しかるべき部署そのものが検討もつかんじゃろう。
(正)まあ今回は、しかるべき部署そのものが見当もつかんじゃろう。




