第八話 紙開発の委任
アキラは、フィルマン前侯爵に試作の紙を見せ、中間報告を行った。
「ふむ、確かに紙だな」
前侯爵はその紙を引っ張ったり日に透かしたりと、ハルトヴィヒたちと同じように弄っていたが、ペンを出してさらさらと文字を書いた。
「ううむ、やはりにじむか……それでも羊皮紙よりはにじまないが」
ペンのインクがにじむということは、細かい文字を書けないということになる。
「だが、これはよさそうだ。というのも、ゲルマンス帝国が独占している紙とはまったく異なっているからな」
それを聞いてアキラはほっとした。少なくとも帝国からクレームが付く心配は減ったといえる。
さらに前侯爵は、
「これはアキラ殿たち以外の者に研究させたいのだが、どうかな? もちろん、完成した暁の功績はアキラ殿が一番とするが」
前侯爵としては、アキラたちには蚕の飼育に専念してもらいたい、ということだった。
「はい、それで結構です」
「さっそく承知してくれてかたじけない」
「……ですが、1つだけお願いが」
「ほう、何だね?」
アキラは、この和紙、特に『薄葉』が完成すれば、『ガリ版』という簡易的な印刷方法を行えるようになる、と説明した。
「ううむ……それは凄い! だがアキラ殿、そこまで儂に打ち明けてしまっていいのかね?」
手の内を無償でさらしていったらアキラの利益がなくなってしまう、と前侯爵は言う。
だがアキラは首を横に振った。
「いえ、そう考えていただいて感謝致します。ですが俺は、この地方の発展を取りたいと思います」
「ほう?」
アキラとしては、自分がいるこの『蔦屋敷』、周囲の村、そしてリオン地方が住みよくなってくれれば、自分の生活環境も向上するだろうと考えているのだ。
「なるほど。広い視点を持っているのだな」
「畏れ入ります」
「だが言わんとすることはわかった。要は儂を信用、信頼してくれているわけだな。儂もそれには誠意を持って応えるとしよう」
「ありがとうございます」
元の世界に帰れるのかどうかわからない現状、自分の居場所というものを確立したいと思うのは自然なことだ。
そしてアキラは、こちらの世界に来てからの数ヵ月で、フィルマン前侯爵は信頼できる人物だと判断していた。
「では、引き継ぎについてだが……」
前侯爵は一両日中に担当者を決めるからとアキラに告げた。
「わかりました。ではこれで失礼します」
アキラもそれでその場を後にしたのである。
* * *
『離れ』に戻ったアキラは、ミチア、ハルトヴィヒ、リーゼロッテらに説明した。
「なんていうか、アキラも人がいいわね」
少し呆れ気味のリーゼロッテ。だがハルトヴィヒの意見は違った。
「いやアキラ、君の身の処し方には感心するよ。確かに、君は自分の知識を安売りしすぎていると思う。だがそれは同時に、君の立場を安定させもしている」
「え、ハル、それってどういうこと?」
首を傾げるリーゼロッテに、ハルトヴィヒは説明をする。
「つまりだ、人間には他人の頭の中を読むことはできないということさ」
「ますますわかんないわよ!」
「はは、ごめんごめん。要するに、アキラが知識を安売りするということは、受ける側からしたら『アキラにとって、この程度は大したことがないレベルなのか?』と思うだろうということさ」
「?」
それでもまだわからない様子のリーゼロッテに、今度はアキラが説明をする。
「リーゼ、ハルトが言いたいのは、俺の頭の中にはもっと役に立ち、もっともっと金になるような知識が詰まっているんじゃないかといいように誤解してくれるということさ」
「そういうこと。そうなったら、誰もアキラを軽視しないだろう?」
ようやくリーゼロッテも理解できたようだ。
「ああ、そういうこと。やっとわかったわ。……ねえミチア、あなたはわかっていた?」
尋ねられたミチアは済まなそうに答えた。
「ええ、まあ」
「……うわーん! ものわかりが悪かったのは私だけー!?」
……などという一幕もあったが、アキラたちは引き継ぎのため、『紙漉き』のノウハウをまとめる作業に取り掛かったのである。
* * *
その翌々日、フィルマン前侯爵が言っていた『担当者』が2名やって来た。
「クロードと申します」
「クロエと申します」
クロードは、アキラやハルトヴィヒと同じくらいの年代の若者で、いかにも真面目そう。
クロエも、年頃は同じくらいの、こちらは女性であった。
聞いたところによれば、家宰のセヴランの子供で、双子なのだそうだ。2人は、ド・ルミエ家専属の職人、という扱いになるとのこと。
「セヴランさんのお子さんか。なら信用できそうね」
リーゼロッテはそう言ってほっとしたような顔を見せた。
やはり、自分たちで始めた作業を、いい加減な者に引き継いではほしくなかったのだろう。その点、この2人なら合格点であった。
「これを、こうして、こうやるんです」
ミチアは楮の皮を繊維にする方法を。
「このノリウツギからとった糊をこのくらい配合して……」
リーゼロッテは結合材について説明した。
「これが漉き枠。この簀で溶液を濾すわけだ。そして乾燥させる」
ハルトヴィヒは使用する道具について説明し、
「要するに植物の繊維を取り出して、糊を混ぜ、漉いて乾かす、そういう作業なんだ」
アキラは総括した説明を行った。
一連の説明により、クロードとクロエは作業内容を把握してくれたようだ。
「何かあったら声を掛けてくれ」
「わかりました。アキラ様、それでは引き継ぎありがとうございました」
2人は礼をして去っていった。
当面は材料集めを行うようだ。
特に『楮』をはじめとした木の皮は、水に漬けてふやかしておくと繊維を取り出しやすいことまではわかっている。
その間に『紙漉小屋』を建てるということだ。
* * *
「しかし、アキラ殿が来てからというもの、驚きの連続だな」
フィルマン前侯爵は家宰のセヴランと話をしていた。
「はい、大旦那様。『異邦人』という方々は、皆ああなのでしょうか?」
「いや、そうではないらしい。過去、非常に好戦的な『異邦人』もいたと聞いておる」
その『異邦人』は、出現した国を出奔し、隣国で軍師となった。その国は急激に発展、同時に軍備を増強し周辺諸国を併呑。そして『異邦人』は宰相にまでなったという。
「個人の資質、ということでしょうか」
前侯爵は頷いた。
「そのあたりは我々と同じ人間だということだな。……アキラ殿は学者肌だ。こちらが誠実な対応をすればそれに応えてくれよう」
「は、私もそう感じます」
「うむ。そなたの子供たちを呼び寄せてくれて感謝する」
「もったいなきお言葉。私めも、不肖の子らをお使いいただけ、感謝しております」
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次回更新は8月11日(土)10:00を予定しております。
20180805 修正
(誤)その国は急激に発展、同時に軍備も勧め周辺諸国を併呑。
(正)その国は急激に発展、同時に軍備を増強し周辺諸国を併呑。




