第二十九話 登山用具
ド・ラマーク領でも、まだまだ暑い日が続いている。
「今日も晴天だな」
「夕立もなさそうですね」
夕立がある日は、西にある小高い山に薄い雲が掛かっていることが多いのだが、今日はそちらは晴れ渡っていた。
「何となく、今日は朝から落ち着かない」
「まあ、珍しいですわね」
「うん……溜まっていた書類もさっき終わったしな」
そう言って窓から外を見たアキラの目に、小さな点が映った。
その点は南からこちらへと、ゆっくり動いてくるように見える。
「うん? ……あれは……」
さらに目を凝らすアキラ。
「もしかして……」
1分ほどそうしていると、点はさらに近付いてきて、その形も明らかになり始めた。
「飛行機だ!」
飛行機ならハルトヴィヒに違いないと、アキラは『絹屋敷』を出た。
「父上、どうしたのですか?」
庭で遊んでいたタクミがアキラに気が付き、声を掛けてきた。
「飛行機が飛んでくる。多分ハルトヴィヒだ」
「飛行場ですね! 僕も行きます!」
「よし、行こう」
近頃のタクミは、言葉遣いもしっかりして、親のアキラから見てもいい子に育っていた。
そんな息子を伴い、小走りに飛行場へ……と思ったが、それでは時間が掛かるので馬で行くことに。
鞍の前にタクミを乗せ、アキラは馬を走らせた。
その甲斐あって、飛行機が着陸する寸前に飛行場に到着できたのである。
「おお、あれは……『垂直離着陸機(VTOL)』!? そうか、ついに完成したんだなあ……」
「父上、変わった飛行機ですね。でも、格好いいです」
「そうだな。ハルトヴィヒたちは苦労して開発したんだと思うよ」
そう言っているうちに『新型垂直離着陸機(VTOL)』は着陸した。
「アキラ!」
「ハルト!」
2人は固い握手を交わす。
「今日はどうしたんだ?」
「聞きたいことがあってね。手紙よりもこれが一番手っ取り早いと思ったのさ」
「まあ、それは確かに……」
馬よりも伝書鳩よりも速いのが飛行機である。
まして、聞きたい本人がやって来るのだから情報の伝達に齟齬が発生することもない。
「で、聞きたいことって……ああ、まずはうちに行こう」
「そうだな」
そしてここでタクミが挨拶。
「ハルトおじさん、ご無沙汰してます!」
「おお、タクミくんか、ちょっと見ないうちに立派になったなあ」
「ありがとうございます」
タクミの頭をぽんぽん、と叩くハルトヴィヒ。
父であるアキラとは少し違うその感触を、くすぐったくも嬉しく感じたタクミであった。
「とにかくここじゃ話もできないからな」
ということで3人は歩き出す。
ちなみに、乗ってきた馬は、飛行場近くの家に預けた。
* * *
『絹屋敷』の応接室で、アキラとハルトヴィヒは向かい合う。
タクミはまた外で遊び始めた。
「で、聞きたいことって?」
「うん、実は……」
ハルトヴィヒは、滑走路のない場所でも乗り降りできるよう『垂直離着陸機(VTOL)』を作ったこと、そしてその場合縄梯子で乗り降りすることになることを説明。
「命綱を付けようと思ったんだが、以前アキラの『携通』で、登山用の道具を見せてもらったのを思い出してね」
「ああ、なるほど」
それは、登山用品の使い方が詳しく載った広告である。
ハルトヴィヒはそれを覚えていたのだ。
1から作るよりも参考にさせてもらったほうが早い、とハルトヴィヒ。
世界が違うので特許権や商標は関係ない。
「ちょっと待ってくれよ……ああ、これだこれだ」
アキラは、ミチアが書き写してくれた資料を検索し、目当てのものを見つけ出した。
「これじゃないか?」
それは『ユマール』という登山用具。日本語では『登高器』という。
文字で説明するのは難しいが、形はメリケンサックを3まわりくらい大きくしたようなもの。
ロープを通して使うが、そこにストッパーが付いており、1方向にしか動かないようになっている。
この場合、ロープを通したユマールを『上へ』動かすときにはストッパーはフリーで、『下に』力が掛かるとストッパーが働いてユマールはロープに固定されるようになっている。
このユマールに『鐙』と呼ばれる足場(ロープとアルミのプレートで作られた、ブランコのようなもの)を取り付けておけば、ロープがある限り安全に登れるわけだ(2つ使うことで交互に上へ移動させて使うことができる)。
「下りる時はこれだな」
アキラは『エイト環』を見せる。
これは文字どおりアラビア数字の『8』の字の形をした道具である。
大抵はジュラルミン系の金属で作られ、ロープを絡めて使う。
その際、ロープ同士の摩擦で下降速度にブレーキが掛かるようになっている。
ロープの締め具合でブレーキの掛かり具合は変えられる。
これを使ったロープワーク(ザイルワーク)に『懸垂下降』がある。
ロープだけでも結び方を工夫すればブレークを掛けられるが、こうしたギアを使うことでより簡単でより確実に、そしてより安全に下降できるわけだ。
「そっちも参考にしよう」
登山家ではないのだからロープワークに習熟する必要はなく、こうした道具を使うことで誰でも昇り降りができるようになるだろう。
「いっそ、ウインチを作って吊り上げたらどうだ?」
「それも考えはしたんだが、そちらがいいかもなあ」
アキラは『携通』に保存してあった『ウインチ』と『ホイスト』の絵を見せた。
「うーん、この手動式ウインチなんかはよさそうだ」
逆転を防止するラチェット部分を工夫すれば昇り降り両方に使える。
「やっぱり相談に来てよかったよ」
それぞれの図を書き写しながらハルトヴィヒは笑ったのだった。
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次回更新は2025年12月6日(土)10:00の予定です。




