第二十一話 ジャイロ
まだ朝晩は少し冷え込むが、霜が降りるようなことはなくなった、早春のド・ラマーク領。
いよいよ『春蚕』の飼育が始まった。
「よしよし、食べてるな」
アキラは自ら蚕室を見回り、蚕の様子を確認していた。
孵化したばかりの毛蚕は、今年初めてのクワの若葉を無心で食べている。
葉が柔らかいことと、幼虫が小さいこととで、音はほとんど聞こえない。
これが繭になる直前の5齢幼虫だと、葉を食べる音がまるで雨の音のように聞こえるのだ(=蚕時雨)。
「まだクワの葉はそうたくさんは採れませんが、順調に育っています」
「うん、そこは大丈夫だろう」
蚕が食べるクワの葉の量は、約25〜30グラムといわれる。
このうち約88パーセントは繭になる直前の5齢幼虫が食べるのだ。
つまり、それまでは用意するクワの葉の量は大したことはない、ということである。
「5齢になるころには十分な葉を収穫できるだろう」
「へい、旦那様」
蚕室を任されている職人たちはもうベテランの域に達している。
よほどのことがない限り、自分たちで判断して行動できるのだ。
アキラからの信頼も厚い。
ド・ラマーク領の養蚕は、順調に滑り出したようだ。
* * *
王都では、ハルトヴィヒたちが姿勢制御の方法を模索していた。
「比例制御は難しいな……」
「そうですね、先生」
「センサーがうまく作動してくれないんですよね……」
比例制御とは、この場合、機体の傾きに応じて復元させるための推力を制御することをいう。
今現在最も見込みのある方法は、こうだ。
傾いた側(下がった側)の推進機(浮力として取り付けてある)を一瞬噴射し、傾きを確認する。
まだ傾いていればもう一度噴射。
もし逆に傾いてしまったら、反対側の推進機を一瞬噴射する。
実際、この『一瞬の噴射』1回で傾きが修正されることはない。
1回で修正できる程度の傾きなら、操縦者がコントロールできるレベルなのだ。
従って、『一瞬の噴射』は10回以上繰り返し行われることになる。
もしも1回で修正できるほど噴射力を強く設定してしまったら、傾きの修正は収束しないだろうから。
「……だけど、修正に時間がかかっているんだよな」
上記の制御だと、『一瞬の噴射と傾きの確認』で1秒以上掛かっている。
10回の噴射で修正されるとしたら、10秒以上も掛かることになる。
「だから比例制御にしたいんだよね」
傾いた角度に応じて噴射力を調整したい、というわけだ。
「角度計が作れればなあ……」
だが、傾いた角度を測定する方法が思いつけないでいた。
「……待てよ?」
ハルトヴィヒは、棚に並んだ資料の中から、1冊のファイルを取り出す。
それはアキラから教えてもらった数々の技術をメモしたもの。
「確か、この中に…………あった、これだ」
ハルトヴィヒが見つけたのは『ジャイロスコープ』であった。
ジャイロスコープとは、高速回転する円盤が常に一定の姿勢を保とうとする性質を利用したセンサーである。
昔のおもちゃである『地球の名を冠したコマ』はジャイロの原理を体感するのにもってこいである(製造終了したのは残念:作者注)。
「この円盤を回転盤エンジンと同じく魔法で回転させ続ければ水平を保ってくれるから、機体の傾きを知ることができるはずだ」
「そういうものなんですか?」
「これを使えば……? よくわかりません」
ジャイロを知らない者たちにはピンとこないようだ。
「まずは1つ、確認用のものを作ってみよう」
「はい」
ハルト式回転盤エンジンを何度も作っている彼らなので、このくらいは朝飯前である。
1時間で高精度の『地球の名を冠したコマ』を作り上げてしまった。
回転するコマを筐体で支える構造だ。
コマの直径は5センチ、総鉄製。
軸受には摩擦低減のためガーネットを使っている(時計にはコランダムが使われる)。
「回してみるよ」
オリジナル(現代日本のもの)は軸にタコ糸を巻き付けて引っ張り、回転力を与えるものだが、『回転盤エンジン』を応用したこれは、魔力を与えると回転を始める。
「水平に合わせて……それっ」
コマが高速回転を始める。これはおおよそ毎分3万回転する。
「このコマを傾けてみよう。……すごい抵抗があるな」
「やらせてください。……こ、これは!」
『地球の名を冠したコマ』で遊んだことがあるならわかるだろうが、外側の筐体の向きを変えるにはかなりの力が必要になる。
回転軸を支える軸の先は凹んでいるので、尖った釘の先で支えると傾きながらも落ちない様子が確認できる。
「どうだい、これが『ジャイロ』……その原理を知るためのコマだ」
「すごい……どうしてこうなるんですか?」
「前にも少し言ったように、高速回転する円盤にはこうした性質があるんだよ」
「ああ、そうでした」
ハルト式回転盤エンジンにもジャイロ効果は当然ながら存在する。
その時にハルトヴィヒは彼らに説明したのだ(彼自身も完全には理解できていないのだが)。
「原理はまたあとで復習するとして、こいつの大きなものを作り、筐体を水平にしてコマを起動させれば……」
「水平の基準ができますね」
「飛行中でも水平が確認できるなら、角度計を作れそうです!」
「まずはここから始めようじゃないか」
「はい、先生!」
『ジャイロセンサー』の製作が始まる……。
* * *
同じ頃、ド・ラマーク領は雨であった。
「雨か……」
「暖かい雨ですね」
「木の芽起こし、だな」
春先に降る暖かい雨は、冬芽をほころばせ、若葉を展開させるため『木の芽起こし』と呼ばれる。
一雨ごとに暖かくなるド・ラマーク領。
本格的な春はもうそこまで来ていた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年10月11日(土)10:00の予定です。
20251004 修正
(誤)蚕室を任されている職人たちはもうベテランの息に達している。
(正)蚕室を任されている職人たちはもうベテランの域に達している。




