第三十話 夢への離陸
午前6時。
快晴の朝。
放射冷却で冷え込み、薄っすらと霜が降りた。
が、それはすなわち風が弱い証拠。
絶好の飛行日和である。
『絹屋敷』の面々は、既に皆起きていて、この日の飛行を成功させるべく、忙しく立ち働いていた。
午前6時半。
「先生、『フジ』の整備、終わりました」
「うん、魔力も充填したし、可動チェックも問題ないな」
ハルトヴィヒとシャルルは飛行機の確認に余念がない。
そこへ、
「朝食の支度ができました」
と侍女が知らせにやって来た。
「ちょうどこっちも終わったところだよ」
と、ハルトヴィヒ。
時刻は午前6時50分、日が昇ってすっかり霜も消えてしまっていた。
* * *
午前7時。
朝食の時間。
緊張している者、期待している者、心配している者……。
皆黙々と食べる、ちょっと異様な食卓である。
だが。
「ちちうえ、ぼくもひこうきのってみたいです」
……と、タクミが言い出した。
「うーん、それは……」
言葉に詰まるアキラ。
「ハルト……」
そして、ハルトヴィヒに聞いてみることに。
「そうだね、僕と君の父上が帰ってきたら、乗ってみるかい?」
「はい、おじさま! ありがとうございます!」
大喜びのタクミ。
ちなみにタクミはハルトヴィヒのことを『おじさま』……『小父さま』と呼んでいるわけだ。
(まあ、安全性はまず大丈夫だろうからな……)
アキラとしても、駄目という理由が見つからないのである。
これは公式訪問だが、『乗客を乗せての飛行試験』という名目で飛ぶなら、子供を乗せても報告書上も問題ないだろう、とハルトヴィヒは考えていた。
そんなタクミの発言で、ほんの少しだけ場の緊張が解けたようだ。……ほんの少し。
* * *
午前7時50分。
空は相変わらず快晴、北寄りの風、微風。
飛行場には、ド・ラマーク領の関係者全員が集まっていた。
「準備完了です」
副操縦士であるシャルルの声が響いた。
「では閣下、ご搭乗ください」
「了解した」
公式の飛行なので、人前では格式張ったやり取りをする2人。
そしてアキラはタラップ……というかハシゴを上り、『フジ』機内へ。
乗り込む際、アキラは一度振り向いてミチアをちらっと見た。ミチアは小さく手を振って応える。
最後にハルトヴィヒが乗り込み、操縦席に着いた。
午前7時58分。
「エンジンスタート」
操縦士のハルトヴィヒが宣言し、起動スイッチを入れる。
『フジ』のエンジンが始動し、プロペラが回り始めた。
電動モーター同様、魔力注入で始動するため、スターターが必要ないのは大きな利点だ。
「左右出力、異常なし」
副操縦士のシャルルが計器を確認し、報告する。
「発進」
ブレーキを解除すると、『フジ』はゆっくりと動き始めた。
飛行場にどよめきが走る。
次第に滑走速度が上がっていく。
十分に速度が乗ったところでファウラーフラップが下がり、揚力が増す。
滑走方向は北、微風ではあるが向かい風を受け、『フジ』はふわりと離陸した。
「おお!」
「飛んだ!」
初めて見る訳ではないが、やはり離陸する瞬間は、まだまだ人々の心を揺さぶるものなのだ。
午前8時。
『フジ』は上昇角15度ほどで、ゆっくりと上昇していく。
ファウラーフラップも閉じ、空気抵抗の少ない形状となることで、速度も上がる。
そして十分に高度を取ったところで旋回開始。
ド・ラマーク領の上空を3回、旋回してみせた。
そして『フジ』はさらに上昇を開始。
進路を北へと取った。
「行ってらっしゃい」
聞こえるはずもないが、ミチアは遠ざかる機影に向けてそう呟いたのである。
* * *
「おお、乗り心地はいいな」
「だろう?」
『フジ』の内部では、もういつもどおりの口調でやり取りが行われている。
「もう飛行場があんなに小さくなったぞ」
「対地高度、およそ300メートルです」
ここでハルトヴィヒは『絹屋敷』を中心とした大きな旋回を行った。
「地上の様子がよく見えるな。夏だったら緑が、秋なら紅葉が綺麗だろうなあ」
今は初冬、落葉樹は葉を落とし、殺風景である。
が、その代わりと言っては何だが、北にそびえる山々は白銀に輝いていた。
「あの山を越えて、向こう側の偵察が、今回の目的だ」
ハルトヴィヒが言う。
「相当高い山ですが、越えられるでしょうか?」
シャルルが問いかける。
「そこは、ルートを選べばなんとかなるだろう」
『フジ』の上昇限界はおよそ5000メートル。
一番高い山は8000メートルはあるが、そこは避けて低いところを飛べばいい、というわけだ。
いよいよ、アキラとハルトヴィヒの夢であった、未知の土地を目指す探検飛行が始まる……。
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次回更新は2025年5月3日(土)10:00の予定です。




