第二十二話 また一歩、近づく夢
日ごとに秋が深まり、ド・ラマーク領における養蚕も、終盤に差し掛かっている。
『晩秋蚕』が全て繭になったのである。
「全部糸にすると……うん、去年よりも17パーセントの増産になるかな?」
今年もド・ラマーク領のシルク産業は好調である。
「水脈もほぼ調査が終わったようだから、来年には水路と溜め池の工事を始められるだろうな」
夏の渇水に備えての工事である。
途中の溜め池では『い草』を作ることも検討しており、一石二鳥の工事にしたいとアキラは考えていた。
水源は、北の山にある大きな湖から流れ出る伏流水を利用することになる、とティーグル・オトゥールから報告を受けていた。
この伏流水は非常に潤沢で、ド・ラマーク領が必要とする農業用水の5倍以上ということで、将来的にも有望な水源であった。
「なんとか年内いっぱいは、領内に溜め池を作る工事を行えるだろう」
雪が降り、地面が凍ってしまうと工事はできなくなるので、そうなる前の1ヵ月半くらいが工期となる。
費用は全て領主であるアキラが出すことになり、領内の経済としてみれば活性化が期待できるであろう。
もっとも、『絹屋敷』の改築は1年伸びることになるのだが……。
* * *
この日、王都では最新型機『フジ』の初飛行が行われる。
飛行場には関係者が集まり、今や遅しと待ち構えていた。
どこから聞きつけたのか、一般人もやって来ていたが、兵士たちに追い返されていた。
残ったのは近衛の兵士や工房関係者、それに魔法技術大臣のジェルマン・デュペー、近衛騎士団長ヴィクトル・スゴーなどお偉方だ。
『フジ』の周りでは最終チェックが行われていた。
「先生、チェック完了しました」
「こっちも終わったよ」
「いよいよ初飛行ですね」
「天候のコンディションも上々ですし」
天気は薄曇り、西の風、微風。
新型機の初飛行にはもってこいだ。
「それじゃあ行こうか」
「はい、先生」
操縦士はハルトヴィヒ、副操縦士はレイモン。
2人はゆっくりと『フジ』に乗り込んだ。
時刻は午前10時、『フジ』のエンジン2基が始動した。
「おお!」
ギャラリーから歓声が上がる。
『フジ』はゆっくりと動き出す。
滑走路は西向き、お誂え向きに向かい風だ。
エンジンの回転が増し、プロペラの風切音が甲高くなった。
それにつれ、機体の速度も増していく。
「おっ?」
誰かの声が響いた。
『フジ』の主翼が動いた、いや、フラップが作動したのだ。
同時に機体の速度が増す。
本格的な滑走を始める『フジ』。
滑走距離100メートルほどで、機体がふわりと浮いた。
「おおっ!」
「飛んだ!」
飛行機が飛ぶ場面はもう何度も見ているはずのギャラリーだが、ほぼ全部が関係者だけに、この『フジ』への期待も大きいのだ。
一旦離陸すると、地面から受ける抵抗がなくなり、機体はぐんと加速する。
『フジ』は機首を持ち上げ、上昇していく。
「うん、安定してるな」
地上から眺めるアンリ・ソルニエがほっとした顔で言った。
地上での試験でどれだけ好成績が得られても、実際の飛行も大丈夫、とは言い切れないのだ。
「あれなら大丈夫だ。先生とレイモンならうまくやるさ」
シャルル・ボアザンも、小さくなっていく機影を見ながらそう呟いたのである。
* * *
「左右のエンジンバランス、誤差1パーセント以下」
「うん、いい成績だね」
『フジ』の中では、ハルトヴィヒが操縦、レイモンが各種計器のチェックという分担である。
これはあくまでも初飛行、テスト飛行であるから、機体各部のチェックは必要不可欠なのだ。
「ファウラーフラップ動作問題なし。脚部振動既定値以下。横方向安定性良好」
レイモンが計器を読み、報告する。
「うん、いいね。操縦桿の重さもこのくらいなら許容範囲だ」
軽すぎると機体の挙動が不安定になりやすく、重すぎれば操縦しづらくなる。
計器から読み取れる機体の挙動や反応に加え、操縦のフィーリングもまた重要なチェックポイントである。
「エンジン出力50パーセントから30パーセントに。上昇から水平飛行に」
「魔力回路も異常はなさそうだね」
「はい、先生」
『フジ』は高度500メートルで水平飛行に移行。
ハルトヴィヒとレイモンは会話をする余裕が出てきた。
「魔力の残量がはっきりと表示できるといいですね」
「そうだな。そうすれば、あとどのくらい飛べるか、見当がつく」
「今は一杯であるか、減ってきたか、くらいしかわかりませんからね」
「要改良だな」
そんな改善点も見えてくる。
「機体の振動も問題ないし、機体内の与圧もうまくいっているようだね」
「はい。空調もちゃんと効いています」
「居心地もいいね」
障害物のない上空での水平飛行は、できるだけ操縦者の負担を減らせるよう設計してあるのだ。
操縦桿片手に軽食を摂れる、というのが理想なのだが、さすがにまだそこまで安定性はない。
「……そうだ、飛行中の食事を工夫すればいいかもしれない」
「先生?」
「今度、アキラに相談してみよう」
様々なものを作り出してきたハルトヴィヒであるが、料理・食事は専門外であった……。
* * *
「おお、速いな」
「もう予定の高度500メートルくらいですね。……ああ、水平飛行に入りました」
「安定しているようだな」
下で見ている関係者たちは、多少なりとも飛行機について知っているため、飛行の様子を見て判断できるだけの知識はあった。
「成功だな」
「大成功ですよ!」
こうして、アキラとハルトヴィヒの夢は、また一歩現実に近づいたのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2025年3月8日(土)10:00の予定です。
20250506 修正
(誤)「年内は領内に溜め池を作る工事を行える」
(正)「なんとか年内いっぱいは、領内に溜め池を作る工事を行えるだろう」




