第十三話 ファウラーフラップ
ド・ラマーク領では、『夏蚕』の飼育が始まっていた。
すでに蚕は2齢になり、盛んにクワの葉を食べている。
「順調だな」
「へい、旦那様」
「順調な時ほど油断して事故を起こしやすいから、気を付けてくれよ」
「わかりやしたです」
気を引き締めるよう注意をしたアキラであった。
「好事魔多し、というからな」
「……それって、面白い言い回しですよね」
休憩時間にお茶を飲みながらミチアが言った。
「他にもそういう言い回しってあるんですか?」
ミチアは現在、日本語の勉強中なのである。
「『花に嵐』、とかもそうかな?」
どちらも、よい物事にはとかく邪魔が入りやすいというような意味である。
「あ、似たような言葉で『月に叢雲、花に風』というのもあったな」
「ええと、月には雲がかかりやすく、花には風が吹きやすい、ということでしょうか?」
「直接的にはそうだな。だから油断しないようにしよう、といったり、注意喚起をすることわざになっているんだろうな」
「難しいけれど、面白いですね」
「そう思えるミチアに驚きだよ」
どこまで語学に堪能なんだ、と舌を巻くアキラである。
そして、これがフラグにならなければいいな、とも……。
* * *
ド・ルミエ領も、ボーキサイト鉱山の開発は順調である。
ボーキサイトは単独の鉱物ではなく、『ギブス石』(ギブサイト)、『ベーム石』(ベーマイト)、『ダイアスポア』など水酸化アルミニウム鉱物の混合物である。
つまり、鉱物ではなく岩石といえる。
酸化アルミニウムは風化に強いので、風化が早く進む熱帯雨林に鉱床が多い。
そういう意味では、北の地であるド・ルミエ領で見つかったボーキサイトは、この惑星の過去を知るための手掛かりとなるかもしれないのだが、それはまた別の話。
ともかく、ボーキサイトは『沈殿物』のため、深い坑道を掘削する必要がないのは幸いであった。
おかげで、採掘と運搬が軌道に乗るのに時間が掛からなかったのである。
「今は、採掘量が精錬量を上回っておりますので、精錬しきれなかったボーキサイトは仕方なく王都へ運んでいますが、もうすぐ製錬所が3箇所完成します」
「そうなれば、領内で精錬したインゴットを送ればよいわけだな。……うむ、期待しているぞ」
「は、閣下」
フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は鉱山を見回りながら説明を聞き、満足気に頷いた。
そして。
「作業員たちにはマスクの着用を徹底しているだろうな?」
「はい、それはもう」
ボーキサイトの粉を吸い込むことで起こる塵肺の一種である『ボーキサイト肺』は症状の進行速度が非常に速く、4年ほどで死に至るため、作業者には防塵マスクの着用が必須なのである。
「アキラ殿から指摘されなければ、病人が続出していたところだな」
ド・ラマーク領の方を眺めながら、フィルマン前侯爵はぼそっと呟いたのだった。
* * *
王都では、ハルトヴィヒたちによる新型機の検討会が終わりを迎えていた。
「では、この形式で決定しよう」
「はい、先生」
最終的に決定したのは、日本製の双発プロペラ機でMUー2によく似た形状。
ただし、主翼端部に燃料タンクはなく、代わって『ウイングレット』となっている。
ウイングレットとは、翼端を上方へ折り曲げた形式で、翼端後方に生じる『翼端渦』と呼ばれる空気の渦を減少させる効果がある。
翼端渦は翼端を後方に引く力を発生させるので、空気抵抗(誘導抗力)が増大する。これを防げるのだ。
その他の形状はMUー2を踏襲している。
ハルトヴィヒも、あえて変える必要性を認めなかったのだ。
なまじ独自の形状に変更すると、思わぬ不具合が生じる可能性が高まるからである。
素人が料理を作る際に独自のレシピに挑戦すると、大抵は失敗するにの似ている……かもしれない。
「肝心なのはこの『ファウラーフラップ機構』だからな」
「わかってます」
ファウラーフラップというのは、スライド式にせり出すフラップ(高揚力装置の一種)である。
単に主翼の後端を下げるフラップを『単純フラップ』という。
第2次世界大戦中の戦闘機によく用いられた、主翼後端の下側だけが分離して下がるものを『スプリットフラップ』。
そして主翼後端が後ろにスライドしつつ下がるのが『ファウラーフラップ』である(『局地戦闘機 雷電』はこれを採用している)。
翼面積も増えるため、より揚力の増加が期待できる。
さて、フラップと主翼との間に隙間を設け、主翼下面から上面に空気が流れるようにすると、フラップの上面にも気流が生じるため、より揚力が高まる。
ファウラーフラップのフラップ部分を大小2枚に分離し、この隙間を2つ設けたものが『スロッテッドファウラーフラップ』で、構造は複雑になるが効果は大きい。
離着陸時など低速飛行時には翼面荷重が小さい方が有利だが、高速飛行時は十分な揚力が得られるため、翼面積が必要以上に大きいと風に弱くなる。
そういった飛行機の特性上、『スロッテッドファウラーフラップ』は適しているのだ。
「とはいえ、今の我々では、1段のファウラーフラップが限度だろう」
「元々機体重量が軽いですからね」
この場合の比較対象は、先程から出てきている双発プロペラ機MUー2だ。
MUー2は『スロッテッドファウラーフラップ』を採用し、STOL(短距離離着陸機)化している。
が、ハルトヴィヒは、無理にそこまで真似ずとも、1段のファウラーフラップで行けるだろうと考えていた。
「これができれば、我々の仕事も一区切りだろうな」
ハルトヴィヒはこの双発機を使い、アキラと共に、まだ見ぬ北の地を訪れたいと考えていたのである。
* * *
「そろそろ暑くなるかな」
青く澄み切った初夏の空を見上げ、アキラは呟いた。
はるか北には、残雪をいただいた高山が連なっている。
「今年の秋には、あの向こうへ行けるんだろうか……」
それはかつての夢、そして現在は希望となっている。
高い空に浮かぶ一片の雲は、そんな憧れを乗せて北の空へと流れていった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月21日(土)10:00の予定です。
20241214 修正
(誤)ウイングレットとは、翼端を上方へ折り曲げた形式で、、
(正)ウイングレットとは、翼端を上方へ折り曲げた形式で、




