第十七話 帝国の苦悩
初秋を迎えたド・ラマーク領では、『秋蚕』がすべて繭となった。その一部は来年用の卵を得るために羽化させることになる。
残りは全て『殺蛹』し、絹糸の原料とすることになる。
「今年もあと1回、『晩秋蚕』の飼育を残すのみか」
「へい、領主様」
もちろん仕事が全て終わりという意味ではない。『養蚕』が終わり、という意味である。
「桑の葉の在庫は大丈夫だね?」
「へい、少し余るくらいだと思いやす」
「うん、それでいい」
神ならぬ身、ぴったり使い切るなどという芸当ができるわけもない。
餌となる桑の葉が足りないと、せっかく育った蚕を切り捨てねばならなくなる。
が、余った桑の葉は乾燥させてお茶にし、飲用に使えるので無駄にはならないのだ。
それでも生き物を育てるというのは気を遣うものなので、養蚕の季節が終わるとほっとするというのも、携わる者たちの偽らざる正直な気持ちなのである。
養蚕の季節が終われば、今度は繭から生糸を取る仕事がある。
その生糸を撚り合わせたり染めたりし、今度は織り機にかけて布にするわけだ。
さらにそれを裁断し縫い合わせて、ようやく服をはじめとした製品ができあがるのである。
同時に、来る冬に備えての支度も行わなければならないため、するべきことは山積みである。
その後も、農閑期を利用して『い草』を使った製品やわら製品、さらには木工製品も作ることになるので、暇になることはない。
「一息ついたら、タクミとエミーを連れて山へピクニックに行きたいものだなあ」
それでも、そんな仕事と作業の合間を縫っての家族とのふれあいを大事にしているアキラであった。
* * *
「……く……っ、一体何が悪いというのだ!」
「……わかりませぬ……記録どおりに作っているのです……そのはずなのですが」
実は、ゲルマンス帝国でも『飛行機』を作ろうとしていた。
が、その開発は難航……いや、頓挫しかかっていた。
「……なら、この『記録』が間違っているとでも?」
「い、いえ、そんなことは……」
「過去、この帝国に様々な貢献をした『異邦人』が残した記録であるぞ!」
「は、はあ……」
「考えられるのは、貴様らが記録どおりに再現できていないのだ!」
「…………面目次第もございませぬ」
「こうも失敗が続くようでは、ガーリア王国に遅れを取ってしまうことになる……」
ゲルマンス帝国皇帝、カール・ハルツバッハ・リヒテンシュタイン2世は顔を顰めたのだった。
* * *
「『ルシエル1』の開発は順調だな」
「はい、ハルトヴィヒ先生」
一方、ガーリア王国での飛行機開発は順調だった。
「やはり『強化木材』を開発できたのが大きいな」
魔力で強化した木材は、現代日本における『ジュラルミン』のような素材となっていた。
ただし『火』には弱いのが玉に瑕だ。
とはいえ、こっちの世界のエンジンは燃料を使わないため、基本的に火の気がないので問題はない。
「面倒なようでも一段一段ステップアップしてきたおかげだな」
「『異邦人』のいう『急がば回れ』ですね」
「そういうことだな」
開発中の単葉機『ルシエル1』(ガーリア語で『空』の意)。
従来型のエンジンを2基搭載した『双発機』だ。
これは、大型機の開発のためには避けて通れない道である。
現代日本においても、大型機は単発ではなく双発や4発機となっているのを見てもわかるように、巨大すぎるエンジンは取り扱いが難しいのである。
「やはり、保管時の強度確保のために、主翼内に鋼管を通す必要があるな」
「こればかりは仕方ないですね」
『強化木材』の取扱い上の問題点として、魔力を流さないと短時間で強化が切れてしまう、というものがある。
消費する魔力は微々たるものなのだが、供給を止めると次第に魔力は霧散してしまい、『強化』の効果がなくなってしまうのだ。
この対策としてハルトヴィヒたちは、『飛ぶ』時だけ強化する、という方法を考案した。
飛ぶ際にはエンジンに魔力が必ず供給されており、その1パーセントほどを『強化』に回せばいい、というわけである。
が、機体が大きくなった分重量も増し、機体の剛性を上げるために鋼鉄製の構造材も使わざるを得なかったのだ。
「鉄を使うと方位磁石の精度が落ちるからな……」
「仕方ないですね。できるだけ方位磁石との距離を取りましょう」
「それしかないな」
一番苦労しているのが『航法』である。
速度計、高度計をはじめとした計器類は、まだほとんど手つかずなのだ。
さすがに飛行機の計器についてまでは『携通』にも載っていなかったのである。
そんな中、その昔アキラがフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵とともに開発した『方位磁石』は重宝されていた。
目印のない空で、せめて方向だけでもわかれば……というわけである。
ハルトヴィヒたちが開発した『方位磁石』は、透明な油を満たした球体の中に、磁気を付与した円盤を浮かべている。
内部が球形なので、機体が傾いても水平を保ち、北を指してくれる。
「あとは対気速度計だな」
「そちらは、もう少しで完成できそうです」
「おお、そうか」
飛行機は『空気』に作用して『揚力』を得、浮かんでいるため、周囲の空気に対する相対速度、すなわち『対気速度』を知ることは重要である。
風速10メートルの向かい風と追い風とでは、対『地』速度は同じでも対『気』速度は変わってくるわけだ。
特に着陸時には『対気速度』を知ることは重要になってくる。
実際、現代日本でも、偏西風が吹く上空を飛ぶ飛行機(旅客機)は、東へ向かう方が燃料消費が少なくて済んでいる。
閑話休題。
ざっくり言えば『対気速度』を知るためには空気圧の差を用いる。
その高度における大気圧(静圧)と、飛行機が受ける風圧(動圧)の差から『対気速度』が計算できる。
ハルトヴィヒ率いる開発チームは現代日本で『ピトー管』と呼ばれる装置の開発に成功していた。
ちなみに、気温が氷点下に達すると水分が凍結するので、ピトー管(管であるため当然開口部がある)が結氷しないよう気をつけねばならないし、低速過ぎると精度が極端に落ちるので要注意だ。
また、管内に蜂が巣を作ったため、あるいは虫が入り込んだためにピトー管が故障して速度がわからなくなって墜落するという事故も過去に起きているので馬鹿にできない。
「まだまだ道は半ばだ」
晴れた青空を見上げ、ハルトヴィヒはそう呟いたのだった。
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次回更新は8月3日(土)10:00の予定です。




