第十四話 飛翔
暑い夏に、わずかばかりかげりを感じるようになった。
朝、草の葉に降りる夜露も心なしか増えたような気のする季節。
『夏蚕』は全て繭となり、『殺蛹』処理された。
次は『秋蚕』の準備である。
「『蚕室』はきれいに掃除して、窓を全部開け払うんだ。風を通してくれ」
「へい、旦那」
「それから使い終わった『回転蔟』はきれいに洗って干し、《ザウバー》を掛けて保管してくれよ」
「大丈夫でさあ」
「秋に備えて、桑の葉も摘んでおいてくれよ」
「わかってます」
職人たちは皆、要領を覚えてくれているので指示も楽だ。
養蚕家としてのアキラは、抜けがないか、漏れがないかをチェックして回るのが日課になっている。
* * *
領主としてのアキラもまた、書類仕事に忙しい。
「今年の生産の半ばとなったけど、このまま行けば去年の3割増しくらいは見込めそうだ」
「まあ、それはすごいですわね」
「領民の皆が頑張ってくれているからな」
「それもそうですが、アキラさんの指導も功を奏しているんですよ」
「だったら嬉しいなあ」
「間違いないです。ここ数年でド・ラマーク領は随分と豊かになりましたから。数字がそれを語っています」
ミチアが言ったとおり、昨年のド・ラマーク領の税率は3公7民と、王国内でも低い税率となっていた。
これは、絹の他にも、ワサビをはじめとする希少な農産物の生産量が増えていることや、アキラの方針で付加価値の高いものを生産していることも奏功していた。
付け加えていうなら、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵のいるお隣の『ド・ルミエ領』もまた、経済的な発展をしている。
そのおかげでガーリア王国は、その歴史の中でも稀に見る繁栄期を迎えているのである。
王都にいるハルトヴィヒが飛行機の開発に潤沢な予算を得られるのも、この成果であった。
* * *
その王都にて。
「さあ、いよいよ『ヒンメル3』のテスト飛行だ」
「天気も上々、風も穏やか。絶好の飛行日和だな」
「……先生、やっぱりご自分で乗るのですか?」
「そうだよ。こればかりは譲りたくないなあ」
試作の時から一貫して、ハルトヴィヒが最初に搭乗している。
これは、『アキラと2人でド・ラマーク領で飛行機をコツコツと作り上げたかったな』という想いから来ている。
そして、『絶対に成功してみせる』『絶対に墜落させない』という強い意思もそこにあった。
そんな想いを込めた『ヒンメル3』は、滑走路に静かに佇んでいた。
今回のギャラリーは、『2』の時と同じ。
ハルトヴィヒの第一期の弟子4名、第二期の弟子4名、魔法研究者スタニスラス、宰相パスカル・ラウル・ド・サルトル、魔法技術大臣ジェルマン・デュペー、近衛騎士団長ヴィクトル・スゴーらである。
「では、行ってきます」
「気をつけてな」
簡単なやり取りのあと、ハルトヴィヒはゆっくりと歩いて『ヒンメル3』に近付き、身軽に乗り込んだ。
計器類と操縦装置の確認をした後、左手を挙げて合図。エンジンをスタートさせた。
軽快に回りだすプロペラ。
同時に『強化』の魔法が機体全体を覆う。元の素材の2倍の強度となった。
強度……『剛性』が高くなったことにより、振動が小さくなる。騒音も高音となり、可聴範囲を超えて聞こえなくなった。
(固有振動数が高くなったからだな……)
と、ハルトヴィヒは頭の片隅で考える。
ゴーグルを装着してもう一度左手を挙げ、ひらひらと振ってスタートすることを知らせた。
その後、車輪のブレーキを解除。同時にエンジン出力を上げた。
するすると走り出す『ヒンメル3』。
エンジンパワーが上がった分、加速はいい。『1』とほぼ同じ滑走距離で『ヒンメル3』は離陸した。
「おお!」
「飛んだ!」
「何度見ても感動しますな」
「うーん、安定した離陸姿勢だな」
「翼面荷重が軽くなっているけど、機体も大きくなっているので安定性はよさそうだ」
「操縦性は悪くなさそうですよね」
「さすが、先生はベテランですね……」
宰相・魔法技術相らと、ハルトヴィヒの弟子たちとでは感想の内容が違っていた。
その『ヒンメル3』は、低い翼面荷重の効果もあり、軽快に上昇していく。
速度もなかなかのものだ。
「おお、意外と快適だ」
操縦しているハルトヴィヒも、予想外の操縦性に驚きを隠せない。
「翼面荷重や補助翼の面積、舵角……いろいろな条件が思いがけず噛み合ったのかなあ」
そして旋回。
「旋回もスムーズだ」
全幅が増えた影響か、ロール方向の安定性もいい。
「小さければいいというものでもないことがこれでよくわかったな」
自分に言い聞かせるように呟いたハルトヴィヒは、さらにスロットルを開けた。同時に操縦桿を軽く引く。
20度ほどの角度で『ヒンメル3』は上昇。
「レスポンスもいい。上昇時の機体の軽さも好感触だ」
『強化』の魔法のおかげで、主翼の剛性も高く、機体の安定性が抜群である。
高度を十分に取ったあとは最高速のテストである。
「この機体強度ならいける」
ハルトヴィヒはスロットルを全開にする。
「おお、これはなかなか」
* * *
「みろ! すごい速度だぞ!!」
「ああ、これまでの最高記録じゃないか?」
ハルトヴィヒの生徒たちは皆、目視での飛行速度を推測することが得意である。
飛行場に立てたポールがなくても、ハルトヴィヒが飛んでいる経路……飛行場と西部の森との距離である1.2キロを知っていれば、所要時間で割ることによりおおよその平均速度を計算することができる。
今、『ヒンメル3』は30秒弱で1.2キロメートルを翔破していた。
「おおよそ、時速150キロといったところか」
「まだ速度が上がるようだぞ」
再度の往復を行う『ヒンメル3』。
今度の所要時間は24秒。
「時速180キロだ」
「大成功だ!」
そしてハルトヴィヒは『ヒンメル3』を着陸させる。
低翼面荷重のおかげで、低速性能も良好だ。
こうして、『ヒンメル3』の初飛行も大成功に終わったのである。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月29日(土)10:00の予定です。
20240622 修正
(誤)「領民に皆が頑張ってくれているからな」
(正)「領民の皆が頑張ってくれているからな」
20250924 修正
(誤)そのおかげでルーペス王国は、その歴史の中でも稀に見る繁栄期を迎えているのである。
(正)そのおかげでガーリア王国は、その歴史の中でも稀に見る繁栄期を迎えているのである。




