第七話 春めく帰路
フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵一行は、予定どおりに王都パリュを発ち、自領への帰路に就いていた。
「今回も収穫が多かったな、アキラ殿」
「はい、閣下」
アキラはフィルマン前侯爵の馬車に同乗して話し相手になっている。
馬車の旅は長いので退屈するのだ。
「あの『飛行機』が普及したら、王都まで1日で行けるのかな?」
「行けますね……」
王都までの距離は、アキラの目算でおよそ200キロから300キロ。
東京から300キロというと、鳩レースの放鳩地、福島県の相馬と東京間の距離である。
あるいは、東京ー豊橋(愛知県)、もしくは東京ー燕三条(新潟県)、京都ー尾道(広島県)がそのくらいだという。
ちなみに、東京(気象庁)から富士山の距離がおよそ100キロメートルで、気象庁から富士山が目視できた時の視程(見通し距離)は100キロとされている。
この距離であれば、飛行機の速度なら1日どころか半日も掛からないだろうと思われた。
閑話休題。
帰路の馬車の中、フィルマン前侯爵は『飛行機』と『自動車』について、アキラにさまざまな質問を投げかけていた。
「興味を持たれたのですね」
「うむ、あれを見せられてはな」
「そうでしょうね」
「でだ、『自動車』の方が実用化は早いだろうか?」
「早いと思います。安全性を考えると、『飛行機』は特別な許可が必要でしょう」
「うむ、そうであろうな……」
『飛行機』が飛ぶためには一定以上の速度が必要であり、その速度は人間にとっては『速い』、いや『速すぎる』。事故を起こせばまず助からない。
また、二次元的な操作で済む『自動車』と違い、三次元的な操作と空間把握を必要とする『飛行機』の操縦が難しいことは想像に難くなかった。
それに比べ、自動車は扱いやすいといえる。
フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵も、『自動車』の将来性に関して期待しているのである。
「それには道路の整備も重要だろうな」
「それは間違いないでしょう」
最低でも2台の『自動車』が楽にすれ違える道幅と、一定以上の滑らかさ(凹凸のなさ)が要求されるだろうとアキラは言った。
「それに道路標識、交差点でのマナー、いずれは信号機の設置もですね」
「なるほど……事故が一番怖いな。普及の妨げになりそうだ」
「はい。そのため、いずれは『自動車』の運転も免許制になるかと」
「そうであろうな」
地球……日本での運転免許の歴史を、アキラも全部知っているわけではないが、時代を重ねるごとに取得条件が増えたらしいことは知っていた。
実際、昭和20年代中頃には住民票と視力検査だけで原付免許(相当)が取得できたのが、20年代後半では学科試験が設けられている。
自動二輪も始めは規制はなかった(何ccでも可だった)のが、原付、125cc以下、400cc以下、限定解除……などと細分化されている。
普通車に至っては『初心者マーク』の義務付けや『後期高齢者講習』などと、規制が厳しくなっている。
これらはひとえに事故に代表されるトラブル回避のためである。
「そのあたりも……おそらく来年あたり、陛下からアキラ殿にご下問があるのではないか?」
「ありそうですね……」
「今からでも少しずつ資料作りをしていたほうがいいかもしれぬな」
「はい……」
王都からの帰途だというのに、もう次回の王都行のことを考えざるを得ない『異邦人』アキラであった……。
* * *
それはそれとして、季節は確実に春に向かっていた。
「行きよりも山々の雪が減ったようだな」
「そうですね」
道脇の木々も確実に緑を増している。
「春が来れば、忙しくなります」
「うむ。だが、ド・ラマーク領は年々発展しておるではないか。儂としても楽しみだ」
「ありがとうございます」
馬車はゆっくりと進んでいく。
道脇の小川は雪解け水で溢れんばかり。
ところどころ、かなり泥濘んでおり、泥はねが上がり、走りにくい。
「こうした道も簡易舗装すればいいんですけどね」
「なるほどな。しかしそれにはかなりの予算を割かねばならぬな」
「交通が盛んになれば経済が周り、民の懐も潤うでしょう」
「そのための投資か」
「はい」
「アキラ殿の『絹屋敷』と我が『蔦屋敷』間は舗装済みだがな」
「そうでしたね」
「その恩恵は十分すぎるほど実感しておる」
ゆえに、今回国王陛下にも説明してきた、とフィルマン前侯爵は言った。
「王都の近くからだろうが、舗装路は増えていくことであろう」
「だといいですね」
「『自動車』を有効に使おうというなら舗装路は不可欠だろうからな」
「そうですね」
その時、馬車ががたりと揺れた。車輪が石を踏んだらしい。
が、アキラとフィルマン前侯爵が乗った馬車のサスペンションとダンパーは、揺れを最小限に抑え、何事もなかったかのように進み続ける。
「この馬車もハルトヴィヒ殿が足回りを改造したのだったな」
「はい」
フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は窓から外を見た。
太陽は西に傾き、薄暮の頃が近付いてきている。
「もうすぐですね」
外の景色を見て、アキラが言った。
「うむ、まもなく『蔦屋敷』に着く。奥方も子どもたちも待っていることだろう」
帰省する期日は予め決めてあり、その日に合わせてミチアとタクミ、エミーらは『蔦屋敷』にやって来る手筈となっていた。
王都からの帰還ということで、今夜は小宴会だ。
「もうすぐですね」
先程と同じセリフを繰り返すアキラ。
落ち着かない様子のアキラを見て、前侯爵は微笑んだ。
「アキラ殿、あと10分もすれば、嫌でも『蔦屋敷』だ。家族に早く会いたいのはわかるが、落ち着きたまえ。……これも毎年言っている気がするな」
「はい、毎年言われている気がします」
アキラとフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵は顔を見合わせて笑いあった。
その時、馬車の外から御者の声が。
「大旦那様、お屋敷が見えてまいりました」
「おお、そうか」
前侯爵とアキラは窓から前を見る。
暮れなずむ空を背景に、懐かしの『蔦屋敷』がシルエットとなって見えた。
「帰ってきたなあ」
「うむ、帰ってきた」
アキラの呟きに、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵も同意の呟きを重ねる。
そして更に近付けば、『蔦屋敷』の門の前に、屋敷の者たちが勢揃いして主の帰りを出迎えているのが見えた。
アキラはその中に愛妻ミチアと愛息タクミ、そして愛娘エミーの姿を見つけ、窓から身を乗り出して手を振った。
それに気が付いた3人も手を振り返す。
こうしてアキラの王都行は終わりを告げたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5月11日(土)10:00の予定です。
20240504 修正
(誤)「アキラ殿の『絹屋敷』と我が『蔦屋敷』感は舗装済みだがな」
(正)「アキラ殿の『絹屋敷』と我が『蔦屋敷』間は舗装済みだがな」




