第二十四話 雪の利用
ド・ラマーク領も雪が降り積もる季節である。
犬ならぬタクミは庭を駆け回って遊んでいる。
まあ、積雪量が20センチくらいだからできるわけで、50センチ以上になったらタクミの身長では脚がはまって動けなくなるかもしれないが……。
「雪を喜べるうちは子供だよな」
窓越しにタクミが遊ぶさまを見ながら、アキラが呟いた。
「成長すると、いつの間にか、雪を喜べなくなるんだよな……」
自らを振り返ったアキラ。
「小学生の時は雪が楽しみだった。中学もそうかな……」
が、高校生になった頃から、雪が降ると通学が大変になると感じ始め、大学に入ると、雪が降ると電車やバスのダイヤが乱れるから降らないほうがいいかな、と思うようになった気がする。
「今は……」
あまり積もると住民が苦労するが、降らなくても夏の水不足が心配だな、と思っている。
「……領主としての思考になっているな……」
心の中で苦笑したアキラであった。
* * *
ド・ラマーク領には雪を利用している者が少なくとも2人いた。
レティシア・コルデーである。
彼女は元々はガラス職人であったが、ここド・ラマーク領に来てから、小物の鍛冶も行うようになっていた。
主にナイフ、包丁、それに鋤や鍬などの農具である。
そんな彼女が雪を何に使うのかというと『サブゼロ処理』だ。
これは、焼入れをした鋼を摂氏0度以下の温度に保つことで、焼入れ組織をより安定させるためである。
鋼の焼入れは、摂氏800度から850度に熱した(鋼の成分により最適な温度は変わる)後に急冷することで行われる。
この時に生じる硬い組織を『マルテンサイト』というが、焼入れ後にもこの『マルテンサイト』に変化しきれなかった組織が残っているので、それをすべて変化させてやろうというわけだ。
摂氏0度よりも下げるので『サブゼロ処理』という。
これを行うことで、鋼が安定し、経時変化により変形を起こしにくくなる。
また、耐摩耗性も上がる。
現代日本ではドライアイスとアルコールで摂氏マイナス78度、液体窒素で摂氏マイナス196度に冷やすことができる。
が、この世界ではまだそこまで低温にできないので、雪(つまり氷)に塩化ナトリウム(塩)を加えて摂氏マイナス21度を作り出し、サブゼロ処理を行っているのである。
ちなみに『携通』による知恵だ。
そしてサブゼロ処理のあとは水かお湯に浸けて常温に戻し、所定の焼戻し処理(焼入れ組織は硬すぎて脆いので粘りを出すための熱処理)を行う。
* * *
雪を利用しているもう1人はアキラその人である。
今シーズンから『雪室』を試そうとしていたのである。
『雪室』は断熱性に富む部屋に雪を溜め込み、冷蔵庫として使用するものである。
雪の中はほぼ摂氏0度なので、野菜や肉を『チルド状態』に保つことができるわけだ。
断熱性に富む部屋の代わりに、地中に穴を掘って『雪室』とした。
今はまだ、きれいな雪を集めて穴に詰め込んでいる段階であるが、年が明けて気温が上がる春先には、傷みやすい肉類を貯蔵する予定である。
「これなら魔法を使わないからな」
魔導士の少ない、地方の小領としては魔法に頼らない運営が基本なのである……。
* * *
王都では、雪は降らないが、連日北風が強く吹くようになった。
風の強さによっては、魔導士の補助なしで浮けるほどだ。
なので、ハルトヴィヒたちは連日のように『紐付きグライダー』で操縦の練習を繰り返している。
最近はロープの長さを3メートルまで伸ばし、明らかに『飛んでいる』状態での練習ができるまでになった。
練習時間が一番多いハルトヴィヒが最も上達しているのだが、他の弟子たちも負けてはいない。
中でもアンリはハルトヴィヒに次ぐ上達度で、他のシャルル、レイモン、ルイらを大きく引き離していた。
そのアンリが、ある日ハルトヴィヒに提案をしていた。
「先生、そろそろロープなしでもいいのではないでしょうか?」
「僕は、まだ早いと思う。……アキラに聞いた飛行機の操縦士たちは数百時間以上の練習を経て一人前になったそうだ。まだ僕らは高々2時間くらいじゃないか」
「ですが……」
「焦るな、アンリ。どのみち、本番用の飛行機はまだ完成していないし、風の強すぎる冬季には飛ばせないんだから」
「はい……」
その場はそれで収まったのだが、数日後……。
「何だって!? アンリが墜落!?」
「はい!」
研究室にいたハルトヴィヒの下に、レイモンが駆け込んできて報告した。
ハルトヴィヒは馬を借りて、大急ぎで郊外へ向かう。レイモンも同様に馬に乗って後に続いた。
「これは……」
現場に着いたハルトヴィヒは目を見張った。
高度制限用のロープが付いていなかったのだ。
練習用のグライダーは主翼が折れ、胴体も先端部がひしゃげている。
どうやら機首部から墜落したようだ、とハルトヴィヒは判断した。
同時に、アンリの容態が気になる。
そのアンリはというと、ルイとシャルルに手当てを受けていた。
「アンリの具合は!?」
駆け寄りながらハルトヴィヒは叫ぶように尋ねた。
「あ、先生」
横たわっていたアンリが上体を起こしかけたので、ハルトヴィヒはそれを押し留める。
「いや、横になっているんだ。……で、容態は?」
「はい、右肩の脱臼と、腰の打撲です」
答えたのはルイ。
「骨は折れていません」
「そうか」
不幸中の幸いと言えた。
「……すみません、先生の言いつけを守りませんでした」
「そうらしいね」
「急な突風に焦って、思わず操縦桿を引いてしまいました」
「ああ、それで機首上げから失速、墜落……か?」
「はい……」
練習用グライダーの操縦装置は、床から上に伸びた操縦桿で行われる。
これを前に倒すと機首が下がり、引くと機首が上がり、右に倒すと機体が右に傾き、左に倒すと機体が左に傾く。
要は、大きな板に棒を立てたイメージである。
棒の傾きが床を傾けると考えれば、操縦桿と機体の関係を理解できるだろうか。
「申し訳ありません、機体を壊してしまいました」
「いや、機体はまた作ればいい。それよりもアンリが無事でよかった」
「……申し訳、ありま、せん……」
アンリは俯き、涙を流すのだった。
ハルトヴィヒはそんなアンリを励ますように言った。
「何ごとも経験だ。この失敗を元に、いっそう精進してくれ。頼むぞ」
「…………」
「これを機に、もっと安定性のいい機体を作ろうじゃないか」
「は、はい、先生……」
「さあ、帰ろう。立てるか?」
「はい、何とか」
「そうか」
こういう時に『自動車』があるといいかもしれない、とふと思ったハルトヴィヒであった。
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次回更新は3月2日(土)10:00の予定です。




