第三十四話 エメリー
5齢となった蚕たちはもりもりと桑の葉を食べている。
蚕室に入ると『蚕時雨』がにぎやかだ。
「そろそろ『蔟』の用意をするぞ」
「はい」
蚕が繭を作るための人工的な枠組のことを『蔟』という。
「お蚕さんは上の方へ上の方へと行くので、集中しすぎないよう、上が重くなるとくるんと回って上下が入れ替わるようになっているんですよね」
「そうそう」
回転蔟、という道具である。
「よく考えられていますね」
「そうだな。何しろ俺のいた国では1800年くらい前からお蚕さんを飼っていたようだからな。先人の知恵と工夫が詰まっているのさ」
「そんなに長いのですか……」
『魏志倭人伝』では卑弥呼の時代に養蚕がなされていた、と書かれているという。
そして『絹の道』の本家中国では5000年ほど前から、といわれている。
伝説上の帝王、黄帝の皇后が始めたというのだ。
日本の皇室でも皇后陛下が宮中の御養蚕所で『小石丸』という品種のお蚕さんを飼育しており、これ一つとっても上流階級で絹がいかに大切にされていたか、窺い知ることができる。
「はあ、5000年ですか……」
「そうさ。長いことその製法は秘密にされていたようだ」
養蚕と製糸の技法は門外不出で、蚕の持ち出しは死罪をもって禁じられていた。
シルクは、ウールなどの獣毛や麻などの植物繊維とは違い軽くて薄く、かつつややかで、染色するときれいに染まるという長所を持っていた。
当時のシルクロードの西の端、西欧では何の繊維か分からず、動物繊維はみな羊の毛と思ったようで、『東洋には長い金の毛を持つ羊がいる』と考えられていたらしい。
ギリシャ神話の、『アルゴー船と金羊毛』の金羊毛はここから来たのかもしれない……。
閑話休題。
王都から来た技術者3人のうちの1人、紅一点のベルナデットは、こうした伝説的な話も好きなようで、機会があるたびにいろいろ聞きたがる。
それでアキラも思い付くたびに話しているというわけである。
この日も、
「他にありませんか?」
と言うので、
「そうだなあ……伝説だけれど、俺のいた国の天皇陛下……皇帝みたいな地位のお方が、『すがる』という配下に『こ』を集めてまいれ、と命じたそうだ」
「はあ」
「それでその配下は『児』つまり『嬰児=赤ん坊』を集めてきたんだが、それは実は勘違いで、天皇陛下は『蚕』を集めるように命じたつもりだったんだ」
「ははあ……」
「昔は『かいこ』と呼ばずに『こ』と呼ぶことが多かったんだろうな。……で、天皇陛下はその勘違いした配下に『ちいさこべ』(少子部)の姓を与え、子供の養育を命じた、なんて話があるよ」
「面白いですね。いつ頃の話なんですか?」
「ええと、ちょっと待ってくれ」
アキラは『携通』の写しを閉じてあるファイルを見直し、
「雄略天皇、というから、俺の時代から1600年くらい前だな」
「すごい昔なんですね……。興味深いお話をありがとうございました」
雑談ばかりもしてはいられない。5齢の蚕の食欲は旺盛なのだ。
技術者たちは蚕の世話に戻ったのである。
* * *
さて、ハルトヴィヒであるが、より研磨力の高い砥石を作ろうと試行錯誤していた。
「天然の研磨剤……『エメリー』か……」
『携通』の写しを綴じたファイルの1つを見ながら、ハルトヴィヒはひとりごちた。
「川の砂にざくろ石が混じっているんだから、山にこうした石があってもおかしくないな」
『エメリー鉱』という鉱物がある。
多くはコランダムと、磁鉄鉱・赤鉄鉱・尖晶石のいずれかで構成された混合物で、灰色ないし黒色をしている。
『エメリー』という単語は『金剛砂』あるいは『研磨剤』の意味を持つ(人名にもエメリィという名があるが)。
エメリーペーパーとは紙やすりのことであるし、爪やすりはエメリーボードともいう。
コランダム(鋼玉)が主成分なのでモース硬度は8から9と、ざくろ石単体よりも高めである。
「探しに行くか……」
というわけでハルトヴィヒは外出着に着替え、『絹屋敷』を後にしたのであった。
* * *
「暑い……」
『絹屋敷』を出たのが午前9時半頃だったので、かなり日も高くなっていたうえ、この日も朝から天気がよく、夏の日差しが燦々と降り注いでいる。
「……まずは聞き込みからだろうな」
ド・ラマーク領にも、多少なりとも鉱石が採れるという山がある。
その山付近に住む者たちに情報を聞こう、とハルトヴィヒは思い立ち、集落へと向かった。
10分ほど歩いて山裾の集落に到着。
日中なので男衆は山へ行っているが、老人や女子供は残っている。
「これはハルトヴィヒ様、ようこそ。何かご用ですかな?」
村長がハルトヴィヒ出迎えた。
ハルトヴィヒは『ハルトコンロ』をはじめとする魔法道具で領民の生活を向上させているので領内でも顔が売れた有名人なのだ。
「うん、ちょっと今日は聞きたいことがあってね」
「そうですか。では、外は暑いので我が家へどうぞおいでくだされ」
「ありがとう」
ド・ラマーク領は湿度が低いので、室内はそこそこ涼しい。
出された水を飲み、ハルトヴィヒは要件を伝えた。
「エメリー鉱石、ですか」
「うん。名前はどうでもいい。そうした硬い鉱石があったらほしいんだが」
「そうですな……二、三、心当たりはありますな」
少し考えた末、村長はゆっくりと答えた。
「お、それはどこに?」
「鉱山のそばにある屑石置き場に山になっているはずです」
「おお、そうか!」
エメリー鉱は宝石にはならず、また、この世界、この時代では金属資源にもならない。
なので打ち捨てられているのである。
鉱山は集落から歩いて30分くらいの山裾。
村長宅でお昼もごちそうになったハルトヴィヒは真夏の炎天下、鉱山を目指して歩き出した。
「……暑い…………うーん、日差しを遮る道具があるといいんだが……そうか、傘でもいいな……」
まだ『日傘』という道具がないこの世界。
ハルトヴィヒは日傘の有用性に気が付いたのである。
だが。
「お、ここだここだ!」
屑石置き場に捨てられた鉱石の中からお目当ての『エメリー鉱』を探すのに夢中で、すっかりそのことを忘れてしまう。
この世界に『日傘』が登場するのはもう少し先のことになるのか、あるいは近い未来なのか……?
それよりも、今のハルトヴィヒは、『エメリー鉱』の選別に夢中なのであった……。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月10日(土)10:00の予定です。
20221204 修正
(誤)「そうですな……ニ、三、心当たりはありますな」
(正)「そうですな……二、三、心当たりはありますな」
20221229 修正
(誤)これ一つとっても上流階級で絹が大切にされていたか、伺い知ることができる。
(正)これ一つとっても上流階級で絹がいかに大切にされていたか、窺い知ることができる。




