第二十七話 墨流し
蚕たちも3齢となって、桑の葉の消費量が増えてきた。
「前にも説明した気がするけど、幼虫最終の5齢の時に食べる桑の葉は、お蚕さんが一生の内に食べる量の88パーセントと言われているんだ」
4齢で9パーセント、1から3齢の時に3パーセント、と言われている。
「最後にものすごく食べるんですね」
「その後、繭を作るからだろうな」
「だから、これからは桑の葉をどんどん採ってこないとな」
夏なので桑の成長も早く、足りなくなることはないが与える側が忙殺されるようになる。
「だから臨時雇いも増えるんだ」
「人の使い方も考えなければならないのですね」
「そうなるな」
王都からの技術者たちは、将来の技術指導者としてそうしたマネジメントも覚えていくことになる。
* * *
一方、リーゼロッテとミチアは化粧箱の外側に貼る『化粧紙』の図柄を模索していた。
「うーん、なかなかいい柄にならないわねえ……」
「難しいですね」
余談だが、『化粧紙』の意味は幾つかあって、『相撲で力士がからだをぬぐい清めるのに用いる紙』(=力紙)、また『顔の化粧を落とすのに用いる紙』という意味もある。
今回化粧紙と言っているのは外側に貼って見栄えをよくするための紙のことである。
閑話休題。
リーゼロッテとミチアは『多色刷り版画』でいろいろな柄を刷ってみたのだが、どれも悪くなかった。
そこで次は『一品物』を作れないか、と考え、『それなら手描き』と考えて図柄を検討していたのである。
「さすがに手描きでは割に合わないわよね」
「そうなんですよね」
1枚描くのに4時間くらい掛かってしまう。また描き損じも起こるだろうことを考えると、さすがに実用的ではないだろうと2人の意見は一致したのである。
「絵を描くのならリュシーに頼みたいところです」
リュシー……リュシルは『蔦屋敷』勤務の、元ミチアの同僚の侍女である。
絵がうまく、『手描き友禅』っぽい作品も手掛けてくれている。
「ミチアも絵が下手なわけじゃないと思うけどね」
「ふふ、ありがとうございます。でも、どっちかというと書写は得意なんですけど、オリジナル性といいますか、芸術性といいますか、そっちはどうにも苦手で……」
「ああ、それは私も同じだからわかるわ」
笑いながらリーゼロッテは、絵筆を傍らの洗面器に突っ込んだ。
「あ、いけない」
実はその洗面器は絵の具を解く水・筆洗い用の水兼用で、使う際は別の容器に移して使うはずだったのだ。
そこへ直接筆先を浸してしまったのだった。
「……あら?」
「リーゼさん、どうし……まあ」
洗面器の水面には、得も言われぬ模様が浮かんでいたのだ。
そこへ、そろそろ昼食なのにミチアもリーゼロッテもやって来ないので、アキラが様子を見に顔を出した。
「おーい、もうお昼だよ。……どうした?」
「あ、あなた。ちょっとこれを見てください」
「うーん、きれいな模様だな」
洗面器の水面には、流れるような模様が浮かんでいた。
「墨流し、かな?」
「墨流し……ですか?」
「え? 知っていてやったんじゃないのか?」
「はい……」
「うーん、これは『携通』には載っていなかった……のかな?」
「はい、見た覚えはありません」
「そうか……」
当時最新型だった『携通』とはいえ、森羅万象を網羅できるわけではないし、アキラも何にでも興味を持っていたわけでもない。
そういうわけで『墨流し』について、アキラは説明を始め……ようとした。
「おーい、アキラ、2人は何をしていた? あれ、アキラ?」
そこへ、ミチアたちを迎えに行ったはずのアキラがなかなか帰ってこないのでハルトヴィヒもやって来た。
「あ、そうか。……うーん、とりあえずお昼を食べてからにしないか?」
「……そうね」
「……そうですね」
そういうわけで4人は母屋へ。
共にお昼を食べたあと、改めてリーゼロッテの工房へ戻ったのだった。
* * *
「……で、墨流しっていうのは、水面に墨を付けた筆をちょんちょん、と付けたり離したりして変化のある波紋みたいな模様を描いて、それを紙に写し取る技法だよ」
墨でなく色の付いた絵の具を使っても便宜上『墨流し』と言うようである(英語ではマーブル、もしくはマーブリング。大理石の模様に似ているからこの名があるようだ)。
日本における『墨流し』は平安時代からで、実に1000年以上の歴史があるという。
水盤の水面に墨を浮かべ、その模様を紙に写しとって短冊や色紙を飾ったのである。
アキラは『墨流し』について知る限りのことを説明した。
「なるほど、いいわね。結果的に同じものができないから一品生産になるし、奥が深いけど技法そのものは再現しやすそうだし」
「そうですね。リーゼさんの言うとおりです」
「そうだな。よし、版画による千代紙印刷の次は『墨流し』の研究だ」
そういうことになったのである。
* * *
一方、レティシアはというと、ここ数日で50本のガラスペンを作っていた。
少しずつ形状を変え、いろいろなバリエーションを試している。
そんな中、少し違った製品も作ってみたいと言い出すレティシア。
「以前お見せいただいた、ウィンドチャイム、でしたか、あれを作ってみたいんです」
「ああ、風鈴か」
「あ、それです。 『どうが』? とかいう動く絵で、きれいな音を聞かせてもらいましたし」
「そうだったな」
アキラは、癒やし動画の1つとして風鈴の動画を音声付きで『携通』に保存していたのだ。
他に『鹿威し』や『虫の声』『せせらぎの音』などもあったが、レティシアはガラス製の風鈴の音に心を奪われたらしい。
「これって、風船みたいに膨らませて作ればよさそうですね……」
一流の職人になると、できあがりを見れば制作方法も見当が付くようで、アキラが何も言わないうちにレティシアは工程を思い描いたようだ。
そして早速制作に取り掛かる。
その様子を見てアキラは、頼もしい仲間が増えたな、と嬉しく思ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月22日(土)10:00の予定です。
20221015 修正
(誤)今回化粧紙と言っているのは外側に貼て見栄えをよくするための紙のことである。
(正)今回化粧紙と言っているのは外側に貼って見栄えをよくするための紙のことである。
(誤)「ミチアも絵が下手なわけじゃないと思うけどねな」
(正)「ミチアも絵が下手なわけじゃないと思うけどね」
20221016 修正
(旧)王都からの技術者たちは、将来の技術者としてそうしたマネジメントも覚えていくことになる。
(新)王都からの技術者たちは、将来の技術指導者としてそうしたマネジメントも覚えていくことになる。




