第二十六話 化粧箱
2齢になった蚕たちは桑をもりもりと食べている。
しばらくは桑の葉を毎日取り替える日々が続く。
「今のところ、陽気もいいので室温にはあまり気を使わなくてもいいから楽だ」
「はい」
そういうわけで、アキラは他の技術を伝授することにした。
『稲作』である。
王都の近くにも田んぼはあるわけだが、世代を経たせいか、アキラの見る限りでは今ひとつ作業効率が悪そうだったのだ。
そして教えるのは技術ではなく知識。技術を教えていたら何年掛かるかわからないからである。
「まずは、田んぼの1年だ」
『携通』から引用した資料を印刷したものを手渡す。
「流れとしてはこうなる」
1月〜3月:土作り
4月:種籾・苗床準備
5月上旬:種まき
5月中下旬:基肥・代掻き
5月下旬:田植え
8月上旬:追肥(穂肥)
10月上旬:刈り取り
10月中旬:籾の乾燥
「……で、俺が見てきたところでは土作りがあまりできていなかったな」
「はあ、土作りですか」
「ああ。水田は連作障害を起こしにくい、いや起こさない。それは山から流れてくる水を田んぼに張っているからだ。水に含まれている養分が補給され、老廃物が流し出されていく」
さらに、水に浸かった土の中は酸欠状態になり、有害な微生物や菌類が繁殖できないため、病気にもなりづらい。
もちろん、稲特有の病害虫はあるので、油断はできないが。
「そんな田んぼに、もう少し肥料分を与えてくれるのが『レンゲソウ』だ」
「レンゲソウ……って、春に赤紫の花を咲かせる植物ですか?」
技術者のベルナデットはレンゲソウを知っているようだったが、他の2人はそうではないようだ。
「レンゲソウはマメ科の植物でね。マメ科の特徴として、根っこに『根粒菌』と言って窒素を固定する細菌を持っているんだ。いわば自前で窒素肥料を賄えるんだよ」
秋に水を抜いた田んぼに種を播き、春の代掻きで土にすき込んでいく。
「そうすると、土の中でゆっくりじっくり分解され、遅効性の肥料になるんだよ」
「おお」
「勉強になります」
……と、王都からの技術者たちは知識を蓄えていくのであった。
* * *
アキラは、王都からの技術者たちだけを構ってばかりもいられない。
この日は、思うところがあって『ボール紙』作りを、ハルトヴィヒ・リーゼロッテ夫妻と共に行っている。
安定期に入り、リーゼロッテも少しだけ仕事をしているのである。
さて、ボール紙の『ボール』は『board』で、古くは『ボールド』と呼んだことから、と言われている。つまり『板紙』のことである。
特別な製法があるわけではなく、普通の紙を数枚合わせて糊付けすることで厚みを出しているのだ。
原料としては新パルプではなく、古紙パルプや藁パルプを使っている(藁パルプは現代日本ではほとんど使われなくなった)。
アキラは最近増えている『稲藁』を使えないかと考えていた。
「ガラスペンの梱包箱としてボール紙の箱を使いたいんだよ」
紙の作り方としては、植物の繊維をアルカリでほぐし、どろどろになった溶液に結合剤であるノリを混ぜ、『簀』ですくい上げて乾かす、というものだ。
ここに、平滑度を増すために『カレンダー』『スーパーカレンダー』と呼ばれる平滑ローラーを掛けたり、白色度を上げるため表面に白色顔料の粉をコーティングしたりという追加工をしたりして付加価値を上げることもある。
地球では、藁を使ったボール紙(その色から黄ボールとも呼ばれる)が先で、古紙パルプを使った白ボールの方が後発といわれる。
が、この世界ではボール紙といえば白ボールであった。
「紙といえばゲルマンス帝国の専売だったからね。アキラが楮から作る和紙の製法を伝えてくれたので、こちらの国でも大分製紙が盛んになったわけだ」
「うん。で、わら半紙やボール紙に藁を使いたいんだ」
「なるほど、パルプのコストが下がるわね」
リーゼロッテが感心する。
楮などの木の皮から繊維を取り出すにはかなりの手間が掛かる。
それに比べ、藁なら酸性もしくはアルカリ性の水溶液に漬けて溶かすだけだ(かつては藁を亜硫酸石灰液(=酸性)で溶かして作ったという)。
安価な材料を使うため見てくれが悪いのが難点だが、そこは一番外に化粧紙を貼ることで見栄えをよくするのだ。
「この化粧紙の柄も工夫すれば評判になるかもしれないと思ってな」
「いいな」
「いいわね」
「そっちはミチアと検討中だ」
リーゼロッテと同時期に妊娠したミチアもまた、安定期に入っており、アキラの仕事を助けてくれている。
柄として、和風の模様を検討中なのだ。
現代日本人としてはガラスペンとはミスマッチのような気がするが、この世界の人たちからすると先入観がない分、広く受け入れられそうなのである。
『青海波』『亀甲』『市松』『麻の葉』などの連続模様や、『扇』『鶴』『梅』などデザイン性の高いものなどを、『版画』で再現できないかと試作中なのだ。
「要するに『千代紙』かな……」
和風なので多色刷り版画にこだわりたいアキラなのであった。
そうした化粧紙を貼った箱はそれ自体が美術品的な価値を持ち、ちょっとした小物入れに欲しい、という需要が発生することを期待している。
アキラが目指すのはそうした化粧箱なのだ。
* * *
そして、その『化粧箱』に入れるガラスペンは、レティシアが頑張って作っている。
前侯爵にはペン先は透明でペン軸の末端に行くほど濃くなる青。
家宰のセヴラン用は全体が薄い緑。
その他、『蔦屋敷』の使用人たち用はツートンカラーではなく単一色で制作していた。
「うん、いい出来栄えだ」
できあがりを確認したアキラも大満足。
「次は王都へ送るからな」
と、レティシアに告げる。
「お、王都ですか!?」
「うん。来春まで待っていられない。むしろ今サンプルを送り、注文を受けておけば来春の王都行で運んでいける。頼むよ」
「が、頑張ります!」
「頼むよ」
夏を迎えて活気づくド・ラマーク領であった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月15日(土)10:00の予定です。
20221010 修正
(誤)『携通』から引用した資料を印刷したもの手渡す。
(正)『携通』から引用した資料を印刷したものを手渡す。




