第二十五話 前侯爵への報告
いよいよ『夏蚕』の孵化が始まった。
忙しい季節の始まりである。
「生まれたばかりの毛蚕用に桑の葉を刻むぞ」
「はい!」
育ちきった葉ではなく、まだ若い葉を選んで刻み、毛蚕に与える。
数が多いから大変だ。
もちろんド・ラマーク領の職人たちもやって来て手伝う……というか、王都からの技術者たちの方が手伝いなのだが。
「数千匹がいっぺんに孵化すると大変だから、1日ずつずらして500匹くらいずつ孵化するように調整する手もあるんだ」
「人手のない時は有効ですね」
「そういうことだな。基本を踏まえていれば、そうした応用はいろいろ試してもらってもいいと思うよ」
「はい」
毛蚕はまだまだ小さいので『蚕時雨』は聞こえない。
それでも、小さな体で懸命に桑を食べている姿は、見る者が見ればいじらしく映るものだ。
そして王都からの3人も、そういう目で毛蚕を見ているのであった。
* * *
2日前に、ハルトヴィヒ謹製の『スポットヒーター』が完成している。
直径2ミリくらいから10センチまで、任意の大きさの熱気を噴き出すことができる。
温度も、温かい程度の温風から、鉄も溶かせるほどの熱風まで調整可能という逸品だ。
「わあ、ありがとうございます! これなら思い通りの加工ができそうです!」
「うん、頑張ってくれ」
「はい!」
ということで、この2日間でレティシアはガラスペンを27本ほど作っていた。
それらは全て少しずつ仕様が異なっており、『自分の好みの1本』を見つけるためのサンプルとなっている。
ペン先は細・中・太、ペン軸の太さも細・中・太。ペン軸の長さも長・中・短。
この3つの条件を組み合わせて27通り、というわけだ。
「おお、これはいいな」
自分の好みを見つけやすいのは便利である。
とはいえ、『標準品』も作らないと利益が出にくい。
そこでアキラは、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵への報告とガラスペンのお披露目を兼ね、『蔦屋敷』へと赴いた。
* * *
「アキラ殿、よく来たな。……ガラス職人の件か?」
「はい。いい職人を紹介してくださってありがとうございました」
「うむ。あの娘は、既存の仕事を請け負うのは嫌いとみえてな。アキラ殿のところなら存分にその腕前を発揮しうるだろうと思ったのだ」
レオナール・マレク・ド・ルミエ侯爵のみならず、フィルマン前侯爵も動いてくれていたようだ、とアキラは察した。
「まずはその成果です」
ここでアキラはガラスペンのサンプルを取り出して見せた。
「ほほう……見事なものだな。これがペンなのか」
「はい。みんな少しずつ違っております。ご自分の好みのものを選んでいただき、注文していただく、というやり方になるかと」
「なるほどな」
前侯爵は1つ1つ手に取って書き心地を試していった。
「うむ、書きやすい。ペン先の滑りがいいな。……私はこれが好みだ」
前侯爵が選んだのはペン先・中、ペン軸の太さ・太、ペン軸の長さ・長というものだった。
「閣下は手が大きいですからね」
「そうだな。だからこのくらいが手に馴染むようだ」
「もしよろしければ、お屋敷の皆さんの意見も伺ってみたいのですが」
「そうだな。呼ぶとしよう」
「ありがとうございます」
フィルマン前侯爵の協力により、家宰のセヴラン、執事のマシュー、それに侍女たちの好みを知ることができた。
それによると、男性はペン先については太か中、ペン軸の長さと太さはどちらも中か長を好むことがわかった。
対して女性たちはペン先は細、ペン軸については太さも長さも中を好むようだった。
「こうしてみると、中・中・中なら量産品として売れそうですね」
「うむ、そうだろうな」
「女性用・男性用とするなら女性用はペン先は細と中の2種、ペン軸は中+中。男性用はペン先は中と太、ペン軸は太+長、の4種類を用意すればよさそうですね」
「おお、なるほどな。それならよさそうだ」
「アキラ様、1つよろしいでしょうか?」
家宰のセヴランが発言を求めてきた。
「何でしょう? 意見は大歓迎ですよ」
「それでは。……ガラスですので、輸送時の衝撃緩和をお考えになる必要があると愚考致します。それに高級感を出すために、販売時は1本1本をきれいな箱に入れることをお勧めします」
「ああ、なるほど、そういうことですか。確かに。ありがとう」
アキラは『高級万年筆』的な扱い・売り方をするとよさそう、というイメージを持った。
「他にありますか?」
「うむ、アキラ殿、この前報告のあった色ガラスだが、これにも使えるのかな?」
「はい、閣下。今回のものはサンプルですが、次回はカラフルなものをお見せできると思います」
「うむ、楽しみにしておるぞ」
その夜は久しぶりの『蔦屋敷』で馴染みの人々と語らいながらの夕食となった。
* * *
「それでは、戻りましたらすぐに、閣下用のペンを手配致します」
「うむ、楽しみにしておるぞ」
「はい。それではこれで失礼致します」
「道中気を付けてな」
『蔦屋敷』に一泊したアキラは翌朝、食事を済ませると『絹屋敷』へと戻っていった。
そして昼過ぎ、『絹屋敷』に到着。
首尾は上々、とハルトヴィヒとレティシアに報告する。
「なるほど、閣下もお喜びになったんだな」
「ほっとしました……」
「で、さっそく閣下に注文をいただいた。代金を払うと仰ったが、そうもいかないよな」
「それはそうです。私もフィルマン前侯爵閣下にはお世話になりましたから、精魂込めてペンを作らせていただきます!」
「そうしてくれ。俺はハルトと相談して梱包箱の仕様を決めようと思う」
「そうだな。長距離を運ぶことを考えたら梱包材も工夫する必要がありそうだ」
今現在、この世界でよく使われている梱包材は『干し草』である。
地球でも、刈り取った草を隙間に『詰め』ていた時代があり、その時によく使われていた草を『詰め草』とよんだ、という説がある。
そう、『シロツメクサ』『アカツメクサ(あるいはムラサキツメクサ)』と呼ばれる、牧草でもあるクローバーのことだ。
「繭から作る『真綿』も梱包材にはなるが、高価すぎてな……それに真綿が量産されるようになったなら布団を作りたいし」
「そうなると、弾力性のある素材を探さないとな……」
「今回はカンナ屑にしておこうか」
そんな相談が進められていったのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月8日(土)10:00の予定です。
202201001 修正
(旧)「それはそうです。私もフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵閣下にはお世話になりましたから
(新)「それはそうです。私もフィルマン前侯爵閣下にはお世話になりましたから
(誤)それでは。……ガラスですので、輸送時の衝撃緩和をお考えになる必要があると愚行したします。
(正)それでは。……ガラスですので、輸送時の衝撃緩和をお考えになる必要があると愚考致します。




