第二十話 熟蚕(じゅくさん)とガラス加工工具
「アキラ様、お蚕さんが桑を食べなくなりました」
王都からの技術者の1人、ベルナデットがアキラに報告に来た。
その顔は、少し心配そうだ。
「ああ、心配はいらないよ。いよいよ繭を作るようになったんだ」
「そうなんですか?」
「そうだ。これから忙しくなるぞ」
餌を食べなくなった蚕は、営繭(=繭を作ること)させるために順次上蔟させる必要がある。
上蔟とは、、繭を作らせるために蚕を蔟に入れることである。
営繭時に蚕は排尿するので、飼育場所が汚れてしまい、病気の発生につながる。
また、上蔟せずにそのままにしておくと、蚕は桑の葉を丸め、その中で繭を作ってしまう。そうなると排尿による高湿度、食べ遺した桑の葉の湿度で繭の質が低下するのだ。
「ははあ、品質のいい繭を取るのも大変なんですね」
「そうだよ。だから質のいい絹は高価なんだ」
「わかりました」
この日、アキラたちは手分けをして蚕を移し替えていったのである。
* * *
その翌日、蚕たちは体が透けてきた。脱皮も間近だ。
「なんだか昨日より小さくなったみたいな気がします」
技術者の1人、ジェラルドが言う。
「そのとおりだよ。繭を作る前、お蚕さんはこうなるんだ」
「いよいよ繭を作るんですね」
「ああ。楽しみだな」
今、蚕たちのそばには『回転蔟』が置かれている。
「お蚕さんは上の方に繭を作るから、営繭しなかった蚕は上部に集まるんだ。で、上の方にお蚕さんが集まると、その重みで蔟が回転するわけだ」
「ああ、そうすると、繭をまだ作っていないお蚕さんは下になるので、また上に登っていくわけですね」
「そういうこと。なのでまんべんなく蔟の中に繭ができるというわけだ」
「よく考えられていますね」
「まあ、繭ができあがるまでまだ時間が掛かるから、それまではそっと見守るだけだ」
「わかりました」
* * *
ハルトヴィヒの方はというと、ガラスを削るためのヤスリを作っているところだった。
「うーん、粉末ダイヤはちょっと手に入らないなあ……」
ガラスを削るには、天然物質の中では最も硬度が高いダイヤモンド粉末を使うのがセオリーである。
が、工業用ダイヤモンドが手に入らないこの世界では、ダイヤモンドの次に硬度が高い『コランダム』を使うことになる。
コランダムは酸化アルミニウム。青い結晶はサファイア、赤い結晶はルビー。
モース硬度は9で、ダイヤモンドの10に次いで硬い。
ガラスの硬度は5.5くらいなので、十分削れるのだ。
とはいえ、硬度を表す指標の1つである『モース硬度』が、定量的ではないという欠点がある。
どういうことかというと、硬度10と硬度9の差は、硬度9と硬度8との差より遥かに大きいということ。つまりダイヤモンドは別格に硬いということだ。
そういうわけで、コランダムで作ったヤスリの場合、交換頻度が高くなるであろうことが予想された。
「作りやすさを優先して、量産できるようにしよう」
……とハルトヴィヒは考える。
無色のコランダムは宝石にならない。そうしたコランダムは安く手に入るので材料には困らない。
そんなコランダムを、飛び散らないように注意しながらハンマーで砕く。コランダムは硬く割れにくいが、なんとかこうした加工ができた。
それを、ふるいにかけ、粗いもの、細かいものとふるい分けていく。
粒子の大きさごとに分類したなら、土台にくっつけていくわけだ。
くっつける方法は幾つかある。
オーソドックスなのが『接着剤』。膠を薄く引いた丈夫な紙や布にコランダムの細粒をふりかけて固まるまで待てば紙ヤスリ(布ヤスリ)のできあがりだ。
土台が軟鉄や銅の棒なら棒ヤスリとなるのだが、この場合は膠では弱い。
「アキラの『携通』では『電着』とか書かれていたっけなあ」
電解ニッケルめっきを使う接着を『電着』という。
ダイヤモンド工具はほとんどこれで作られている。
「でもニッケルは無理だから……溶融したスズでくっつけてみるか」
鉛でもいいのだが、毒性があるのと、わずかではあるがスズのほうが硬度が高いことからスズを選んだのだ。
コランダムの融点は摂氏2050度なので、溶融したスズにドブ漬けしても変化しない。
ちなみにダイヤモンドの融点は摂氏3550度であるが、大気中で摂氏600度以上の熱を加えると黒鉛化が始まり、摂氏800度以上で灰化、摂氏1000度以上で燃えて二酸化炭素になる、と『携通』にあった。
閑話休題。
そういうわけでハルトヴィヒは溶融スズと粉末コランダムを使い、棒ヤスリを作り上げた。
表面に出ているコランダム粒子の角がとれて切削効率が落ちたなら金ブラシで強くこすると接着剤のスズが削れ、角が取れたコランダム粒子が脱落する。
そして新たなコランダム粒子が顔を出すというわけだ。
「これを応用して円板型、丸棒型、円錐型のヤスリも作ろう」
『携通』には回転ヤスリとして様々な形状が載っていたので、使用頻度の高そうな形状のものも作ってみることにしたハルトヴィヒであった。
* * *
さて、ガラス細工職人はどうなったであろうか。
「ハルト、決まったぞ!」
その日『電信』で、『ガラ ショク アス オクル』と連絡が入ったのだ。
『ガラ』はガラス、『ショク』は職人。『アス』は明日、『オクル』はもちろん『送る』だろう。
電信ではしばしばこうした省略が行われる。
「明日、ガラス職人が来るみたいだ」
「いいタイミングだな。僕の方も加工用の工具がだいたい目処が立ったところだ」
「それはよかった」
ということで、アキラとハルトヴィヒは、ガラス職人の到着を心待ちにするのであった。
* * *
そして、翌日になった。
いつ来るかいつ来るか、そしてどんな人物か……と、心待ちにする『絹屋敷』の面々。
蚕の何割かは『回転蔟』に登って糸を吐き始めている。
そして昼食時間が過ぎ、日が西に傾き始めた頃。
「ごめんください」
『絹屋敷』に、待ち望んだ声が響いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
20220827 修正
(誤)無色のコランダクは宝石にならない。
(正)無色のコランダムは宝石にならない。
(誤)摂氏800度異常で灰化、摂氏1000度以上で燃えて二酸化炭素になる、と『携通』にあった。
(正)摂氏800度以上で灰化、摂氏1000度以上で燃えて二酸化炭素になる、と『携通』にあった。




