第十六話 染め(一)
多少、尾籠な表現もあります。
ここ数日、『蔦屋敷』もめっきり冬めいてきた。
『幹部候補生』たちが面倒を見ている蚕も5齢となり、桑の葉をもりもり食べている。
「この糞も肥料になるし、昔は薬にもしていたんだってさ」
とアキラが言うと、リーゼロッテは目を丸くしていた。
蚕の糞はさんぷん、またはこくそと呼んで、いろいろな用途に使われていたという。蚕は桑の葉しか食べないので、糞もきれいなものである。
あまり知りたくはないかもしれないが、蚕沙と呼ばれる漢方薬でもあるのだ。
アミノ酸やクロロフィル(葉緑素)を豊富に含み、食物の緑系の着色料としても使われることがあるという。もちろんそのまま使うのではなく、銅クロロフィルという物質として取り出し利用するのだ。
「着色料、ね……」
リーゼロッテは、何か思うところがあったようだが、それきり蚕の糞についての話はせず、蚕そのものに興味を示している。
「ふうん、こうしているとそこら辺にいる芋虫と変わらないわね」
等と感想を口にしていた。
だがアキラは、そんなリーゼロッテに説明する。
「いや、変わらなくはないぞ。蚕の幼虫というのは、脚……お腹にあるんで腹脚とか腹肢と言われているんだが、これが弱くて自分で掴まることができないんだ」
「えっ?」
「つまり、野生の桑の木にくっつけてやろうとしても落っこちちゃうんだよ」
「何それ」
アキラの説明に、リーゼロッテは少し呆れているようだ。
「それくらい人間に依存しているわけさ」
「……へえ……それはそれで、生き物を研究している人には興味深い題材なんでしょうね」
だがリーゼロッテは魔法薬師。いわば『化学屋』なのでそこまで興味を持つことはなかったのだった。
一方、養蚕メインの仕事に戻ったハルトヴィヒは、ついに『回転蔟』を完成させてくれていた。
「どうだい、アキラ?」
「ううん、いいできだよ、さすがハルト!」
「さすがね、ハル」
かつて所属していた研究会で再現した回転蔟と遜色ないものができあがったのでアキラは嬉しかった。これなら、今5齢の幼虫が繭を作る際に使ってみることができる。
あらためて説明しておくと、蚕は、蔟というマス目状になった格子の中に繭を作るのだが、この時、どういうわけか蚕が好む位置というものがある。
通常、蔟は立てて置かれているが、その上の方を好む蚕が比較的多いのだ。
そのため、せっかくのマス目が使われずに空いてしまうことがあり、量産する上で好ましくない。
そこで、蚕が集中するとその重さで蔟が回転し、空いた部分が上方に来るように仕掛けたものが回転蔟である。
念のためにいうと、繭のできに蔟内での位置は無関係である。
将来的に多くの蚕を扱うようになれば、この回転蔟は非常に役に立つ……はずである。
(そこまでたくさんの蚕を飼ったことはないんだけどな)
心の中で苦笑いするアキラであった。
そんな時、リーゼロッテが一つの提案をしてきた。
「ねえアキラ君、この前作ってた『繭玉ころころ』だけど、繭を染める実験をしてみたいんだけど、どうかしら?」
「え? ……そうか、染め、か……」
着色料、という単語から考えたらしい。
言われたアキラは気が付いた。
蚕を飼い、糸を紡いだなら、染めが必要になってくる。
織った布を染める手もあるが、失敗することも考えると、最終製品である布を染めるよりも、まずは糸を染めるところから始めた方が無難だろう。
「それなら蚕が出た繭を試しに染めてみればいいんじゃないか?」
「あ、そうね。そうさせてもらうわ」
既に数百個の『空き繭』があるので、染料や染めの堅牢度(色落ちのしにくさ)を試すくらいなら十分だろうとアキラは考えたのだった。
まずアキラは、その懸念をリーゼロッテに説明するところから始めた。
「なるほど、『堅牢性』ね」
「確かに濃い色の服は水洗いした場合に色が出ることがありますから、白いものと一緒に洗えないんですよね」
一緒に話を聞いてもらったミチアも裏付けてくれた。
「あとは、日光で色が褪せることもあるんだ」
アキラは付け加えた。
「それを踏まえて、染める方法を確立すればいいのね」
「そうなるな。頼めるかい?」
「もちろんよ!」
リーゼロッテは大乗り気で引き受けたのであった。
そこでアキラは、場所を自分の『離れ』に移して詳細な打ち合わせをしようと提案。もちろんリーゼロッテもハルトヴィヒも、ミチアにも否やはない。
既に『離れ』は彼らの会議室となっていた。
「ええと、絹を染めるには、毛糸を染めるのと同じような手法でいいはずだ。というのは、どちらもタンパク質でできた繊維だから」
「たんぱくしつ?」
ここで染め以前の質問が出てしまった。
「ああ、それは伝わっていないのか。……そうだな、動物性の繊維だから、と言ったらわかるかい?」
「ええ、それならわかるわ。麻は植物性繊維、ということよね」
アキラは頷いた。
「そう。だから性質が違うんだ。……タンパク質……動物性の繊維はあまり熱を加えてはいけないとかね」
「あ、それわかります。毛織物を洗う時はぬるま湯までで、熱いお湯に入れると縮んでしまうんです。麻はそんなことないですね」
ミチアが、実際の経験を元にした説明をしてくれた。
「……というわけで、絹を染める方法を、これから模索していきたい」
アキラがまとめ、集まった一同は知恵を出し合うことになった。
「まず、『異邦人』であるアキラから、知っていることを話してもらいたいわ」
『染色』の中心となるであろうリーゼロッテからリクエストが入った。アキラは頷く。
「それはいいんだけど、俺のいた世界では、『合成染料』がほとんどだったから、再現できそうもないんだ……」
そしてアキラは『合成染料』とは何か、をかいつまんで話したのだが、やはりというか何というか、完全には理解してもらえなかったのである。
(近いうちに科学の基礎講座を開いた方がいいのかもなあ)
と心の中で思ったアキラであるが、事が事だけにフィルマン前侯爵に相談してからにしよう、と口に出さないでいたのだった。
それはそれとして、
「うーん、アキラも作り方を知らないと言うんじゃあ、そっちは駄目ね」
リーゼロッテは少しがっかりしたようだが、すぐに気を取り直した。
「他に何か知っていることがあったら教えてちょうだい」
「うん。……ええと、確か絹は、毛よりは低温で染めることができるから、布にしてからでも染めることができるんだ」
友禅染はその代表的なものであろうか。
参考までに、毛織物の場合はどうか。
合成染料でならセーターなどの製品を染めることもできるのだが、天然染料の場合は煮る必要があるものが多い。
「あ、そうなんですよ。毛織物は、強く揉み洗いをすると縮んでフエルト状になってしまうんです」
ミチアが説明した。やはりそうした失敗は付きものらしい。
「ああ、聞いたことがあるわ。だから糸になる以前、つまり羊毛の状態で染めることが多いって」
リーゼロッテも毛織物の染色は聞きかじったことがあるようだ。
それにしても、こちらの世界でも『羊毛』ということは、『羊』がいるわけだなあ、と変なところで感心したアキラであった。
このようにいろいろ脇道に逸れながら、アキラは知っていることを開陳していった。
思い出しながらなので体系立った説明はできていないが、そこはそれ、一流の技術者であるハルトヴィヒとリーゼロッテ、役に立つ知識はちゃんと消化して自分のものにしているようだ。
「とりあえず、そんなところかな」
気が付けば短い初冬の日は暮れようとしていた。
だが、一連の話し合いの果てに、
「うん、ありがとうアキラ。明日から、さっそくやってみるわね」
と、またしてもリーゼロッテのやる気に火が付いたようであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回の更新は 4月28日(土)午前10時を予定しております。
4月22日(日)昼過ぎまで帰省してまいりますのでその間レスできません。ご了承ください。
20190612 修正
(誤)回転蔟
(正)回転蔟
4箇所修正。




