第十五話 青と毛蚕
ガラスは、二酸化ケイ素を主成分とする。
そのままでは融点が高すぎ(摂氏1710度)るため、ソーダや酸化ホウ素などを混ぜて融点を下げている。
窓ガラスはソーダ系、実験器具用にはホウ素やカリウムなどを混ぜる。
屈折率の高いガラスレンズ用には鉛を混ぜていたが、毒性や環境への配慮のため、近年はほとんど生産されていない。
ハルトヴィヒが使っているのはソーダガラスと呼ばれるもの。
ソーダ灰(炭酸ナトリウム・Na2CO3)を混ぜているのでそう呼ばれる。特徴として、少し青み(緑み)がかっており、横から(厚い方向から)見ると色が付いて見える。
融点が低く加工性が高いというメリットがある。
デメリットは急激な温度変化に弱いこと。ゆえに実験器具は耐熱ガラス(ホウケイ酸ガラス)で作られる。
「さて、材料は用意できた」
研究室でハルトヴィヒはひとりごちる。
ソーダガラスの配合比は、その歴史を通じ、最適値が見出されているのでこちらは問題ない。
重要なのは色付け用の添加元素だ。
「青いガラスでいくか」
手始めに、青いガラスを作ってみることにした。
というのは、添加元素が『酸化第二銅』(最近は酸化銅(Ⅱ)と表記するらしい)なので手に入りやすいからだ。
酸化銅(Ⅱ)は、いわゆる銅の『黒サビ』である。
銅を熱して空冷すると黒くなるが、それが酸化銅(Ⅱ)である。
まとまった量を得るには、粉末銅を空気中で加熱すればよい。
この時、粉末はできるだけ細かい方が未反応の銅が残りにくい。未反応の銅があると、色に濁りが生じる時があるからだ。
「まずは最適な配合比からだな」
ガラス100グラムに対し、添加元素はどのくらい(重量比)か。
試行錯誤を繰り返さねばならない、地味なアプローチである。
とはいえ、やり方にも一応のセオリーがある。
1度目に少ないかな、という配合比のあと、2度めは多いかな、という配合比で行う。
この時、実際にそれぞれ『少なすぎ』『多すぎ』という結果が出たなら、最適値はこの間にあるわけだ。
そこで3度目は前2回の中間値でやってみる。
これで少ないようなら、4度目は2度目と3度目の中間値でやってみればいい。
もしも多いようなら、4度目は1度目と3度目の中間値で行うことになる。
これを繰り返せば、比較的早く最適値にたどり着けるわけだ。
ハルトヴィヒはこれを『挟みうち法』と呼んでいる。
これはパラメーターが1つなのでこの手法でできたが、組み合わせの結果を知りたい場合がある。
そんな時には『実験計画法』という学問が役に立つ。
これは一言で言えば、複数の要素の組み合わせの中から幾つかを選んで実験・確認し、それぞれの要素の『重み付け』をしていく手法である。
ちなみに『携通』には概略が載っていたが、アキラもハルトヴィヒもその内容を理解するには至らなかった。
それはさておき、今回はパラメーターが1つなので問題ない。
ハルトヴィヒは5回目でおおよその最適値を見つけ出した。彼が理想とする配合比は2.4パーセント(重量比)であった。
「うん、いい色だな」
試しに作った小さな板ガラス。
平面を出すため、溶けた錫の上に溶融したガラスを流し固めることで平面のガラスができる。
高価な錫の代わりに安価な鉛を使うこともできるが、毒性が高いのでハルトヴィヒは錫を使っているのだ。
「夏の空の色……かな。あるいはツユクサの色」
銅で着色した青ガラスは、ターコイズブルー、スカイブルーと呼ばれる、わずかに緑味を帯びた青となる。
これ以上青みの強い色を出すには、『酸化コバルト』が必要なのだが……。
「コバルトなんて『携通』で初めて知ったものなあ……」
この世界では、コバルトはまだ未知の金属元素なのであった……。
* * *
「おお、きれいな青じゃないか!」
「だろう?」
ハルトヴィヒは、まずアキラにできあがった青ガラスを見せた。
「これで器を作ったらさぞきれいだろうな」
「僕もそう思うよ」
「こうなると、ガラスの器を作る職人がほしいな。……フィルマン閣下に頼んでみようか」
「いいと思う」
というわけで、『電信』を使ってフィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に人材を探してもらえるようお願いしたアキラである。
「次は何色だい?」
「緑か黄色、と思っているんだ」
「で、最後は赤、か」
「そういうこと」
「頼むよ、ハルト」
「任せておいてくれ」
* * *
「さて、俺は俺で頑張らないとな」
アキラはそんな独り言を言いながら蚕室を覗いた。
「お、孵化したな」
すると、蚕の卵が幾つか孵っていたのだ。
そこでアキラは、王都からの技術者たちを呼び集め、説明する。
「生まれたばかりの幼虫は身体中に毛が生えている。だから毛の生えた蚕、という意味で『毛蚕』というんだ」
「なるほど、そういう意味なんですね」
「納得です」
アキラは、生まれたばかりの毛蚕を、刻んだ桑の葉のある箱へそっと移してやる。
「で、まだ小さくて桑の葉を食べづらいだろうから、こうして刻んだ葉を食べさせてやるんだ」
「ははあ、手間を掛けるんですね」
「そういうことだな」
餌の上に移すこの作業を掃き立てという、とアキラは説明した。
「こうした手間を掛けて、お蚕さんを飼育していくんだよ」
「わかりました」
王都からの技術者たちは、アキラの説明に対し真摯に耳を傾けている。
「で、孵化してから3日もすると、休眠に入る。その後に脱皮して2齢幼虫となるんだ」
「ははあ……あの、アキラ様、どうして脱皮するんですか?」
「それか。ええとな、昆虫類は身体の中に骨がないんだ。それで皮膚で身体を支えているわけなんだが、大きくなるには逆に硬くなった皮膚が邪魔してしまう。だから時々脱皮して更新する……んだと思う」
「そういうわけなんですね」
「あ、でも、トカゲなんかも脱皮しますが?」
「そうだな。でも、トカゲなどの爬虫類も、内骨格ではあるが皮膚が硬質化するから、大きくなるタイミングで脱皮しているんだ」
「なあるほど、わかりました」
「ありがとうございます」
納得した技術者たちは、刻んだ桑の葉を一心不乱に食べる毛蚕を見つめるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
20220723 修正
(誤)ソーダ灰NaO2を混ぜているのでそう呼ばれる。
(正)ソーダ灰(炭酸ナトリウム・Na2CO3)を混ぜているのでそう呼ばれる。
20220724 修正
(誤)餌の上に移す作業をこの作業を掃き立てという、とアキラは説明した。
(正)餌の上に移すこの作業を掃き立てという、とアキラは説明した。




