第八話 あと一日
モントーバンの町で2泊し、旅の疲れを少し癒やした一行は、再び北を目指す。
半日行程でパミエ村。ここで休憩、昼食である。
故郷まであと一歩、護衛の兵や御者、使用人たちの顔も明るい。
空は青空。早春の空には薄いすじ雲が流れている。
「明日には到着だな」
パミエ村で提供されたぶどうパンを食べながらアキラが言った。
「そうだな、待ち遠しいよ」
ハルトヴィヒもそれに同意する。
「それにしても、このぶどうパンは美味いな」
「ああ。山国だからこういう作物も向いているだろうと前侯爵に進言した甲斐があったよ」
アキラは現代日本において、絹産業が衰退した後、桑畑をぶどう畑や桃畑に転用した歴史を知っている。
そこで、転用するのではなく最初から産業として育てておけば、遠い将来に役立つだろうと考え、フィルマン・アレオン・ド・ルミエ前侯爵に進言し、少しずつぶどう畑を増やしていったのだ。
今のところ、まだ粒は小さく、酸味も強いものが多いが、自生するかもしれない新たな品種を探したり、突然変異の選別をしたりして、将来に備えていけばいいと考えている。
「種なしぶどうができたら画期的なんだがな……今は無理か」
ぶどうの種をなくすには、花が満開の時に『ジベ処理』と言って『ジベレリン』という薬品に花房を浸す必要がある。
そしてもう1回、小さな実が付いた頃に処理をする。
やり方自体は簡単。房がすっぽり入る大きさのコップにジベレリン液を入れ、その中に房をまるまる浸せばいい。
ジベレリンは植物ホルモンの一種なので、実を大きくしたり成熟を早めたりする効果もある。
なので種なしぶどうは種ありの同品種より少し早く収穫できるのだ。
ちなみに、種なしスイカは作り方がぜんぜん違う。
「ジベレリンの化学式までは携通にあるけど、合成方法がわからないんだよなあ」
こればかりはどうしようもなかったので、アキラは『ジベ処理』に関しては諦めたのである。
それはともかく、アキラは、このまだまだ酸っぱいぶどうを使い、『干しぶどう』を作ってもらっていた。
甘みが少なくても、水分を飛ばすことで糖度が上昇し、そこそこ食べられるものができあがった。
保存がきくので冬場のビタミン補給にも有効だ。
また、パンに練り込んでぶどうパンにすることもできる。
……と、いうように、リオン地方の産物として将来を見据えていたのである。
「この夏は甜菜糖と桑の実を使ってジャムを作るのもよさそうだな」
甜菜糖を使えば、全部が地元産の産物ができる。それもまた領内を豊かにする一手になるだろうと思われた。
* * *
休憩を終えた一行はパミエ村を出発。
目指すは本日の宿泊地、アルビ村だ。
ここまで来ると、周囲の斜面に桑の木が目立ってくる。
「桑の木も増えたな。今年は倍くらいのお蚕さんを育てられそうだ」
「それはいいことだな」
今回の王都行でも、持参した絹製品の評判は上々で、まだまだ需要を満たすには至らなかったのだ。
生糸も絹織物も、全てが不足している。
それならもっと蚕を増やせばいいということになるのだが、そう簡単な話ではない。
ガーリア王国の国策として、食料の自給率は100パーセント以上を維持する、というものがある。
これは150年ほど前に起きた大飢饉で国民の2割以上が餓死し、その際に諸外国から高値で食料を買い入れ、その借金を返済するために30年を要したという苦い過去があるからだ。
つまり、王都を中心としたガーリア王国南部の穀倉地帯はおいそれと転用するわけにはいかないのである。
畢竟、絹の生産は辺境……とまでは言わないが、地方で行うことになる。
これはガーリア王国の方針なので、いくら絹製品が引く手あまたでも変わることはないだろう。
まあ、ド・ラマーク領を富ませたいアキラにとっては、この状況はそれなりに歓迎すべきことであった。
「富国強兵……その『富国』に少しでも貢献できるといいんだが」
そんな呟きがアキラの口をついて出た。
「アキラは、前にもそんなことを言っていたな。やっぱり戦争は嫌いか?」
「嫌いだね。ないほうがいいよ」
ハルトヴィヒはそれに同意するように頷いた。
「それには同感だ。ただ、向こうが仕掛けてきた場合は仕方がないよ」
「それはわかっているつもりさ」
自分から仕掛けない限り戦争は起きない、と思いこむほどアキラは能天気ではない。
ただ、できるなら争う事は避けたい、と思っている。
それで先日、現代版『孫氏の兵法』のエッセンスを筆写して宰相に渡したりもしている。
アキラとしては『戦わずして勝つ』ことを至上とした、ということで『孫子の兵法』を『携通』に保存していたのだから。
「活用してもらいたいな」
辺境の一領主ではできることが限られている。
宰相のように権力のあるものが活用してこその『孫子の兵法』だとアキラは思っていた。
「そのための『富国』なら少しは役に立てるだろうし」
自分の適性を知るアキラであった。
* * *
時節は早春、まだ日は短い。
一帯はド・ルミエ領の穀倉地帯。
冬小麦……秋に種を撒いて冬を越し、春から初夏に収穫する……が青々とした穂を伸ばしている麦畑の間を街道が通っている。
馬車はガラガラゴロゴロと進み、日が西の山の端に近付き、辺りが薄暗くなってきた頃、一行はようやくアルビ村に着いた。
「おかえりなさいませ、大旦那様」
村長が村外れまで前侯爵を出迎えた。
「うむ、今夜は世話になるぞ」
「ははっ」
アキラもハルトヴィヒも、村長宅にはもう幾度も世話になっている。
が、今回は(往路も含めて)いつも以上に快適だった。
村長宅は、いわば『本陣』としての役割も果たす。
そのため、昨年増築し、部屋数も増していたからである。
アキラが初めて泊まったときはミチアと同室になってどぎまぎしたものだが、それももういい思い出。
今ではちょっとした貴族の別宅くらいの規模になっていた。
それもこれも、収益が向上し、暮らし向きが豊かになってきているからである。
「少しでも役に立てた、ということが形になって見えるというのはいいことだよな」
「確かにそうだな」
アキラの言にハルトヴィヒも同意した。
夕食は定番の大麦の粥、ジャガイモとニンジンのスープ、鶏肉と野菜のソテー、それにワイン。
「これを食べると帰ってきたなという気になるよ」
「僕もだんだんそう思うようになってきた」
明日には『蔦屋敷』に到着である……。
お読みいただきありがとうございます。
次回の更新は6月11日(土)10:00の予定です。
20220604 修正
(誤)保存が効くので冬場のビタミン補給にも友好だ。
(正)保存がきくので冬場のビタミン補給にも有効だ。




