第八話 試作通信機
ウルシ線を手に入れたアキラは、さらなる生産を職人に指示し、自分はハルトヴィヒと共に次のステップへと進む。
すなわち『電磁石』の作製である。
電磁石とは、要するに『鉄心』に『絶縁された導線』を一定方向に巻いたものである。
ただし、実用レベルの電磁石を作るには幾つかのノウハウがある。
残留磁力ができるだけ少なくなるよう鉄心には軟鉄を使う。できれば珪素鋼を使うのが望ましい……が、『直流』で使うなら、軟鉄でも十分実用的である。
次に、巻線は磁力の要である。
『アンペア(アンペール)の右ねじの法則』に従い、電流の進む向きに対し右回りに磁力線が発生する。これを束ねることで強力な電磁石となる。
……のだが、ことはそう簡単ではない。
巻線を増やせば磁力線の密度は上がるが、電気抵抗が増えて電流が減り、磁力は弱くなる。
同様に、巻線径を太くすれば電流が増えて磁力も強くなるが、今度は限られたスペースに巻けるターン数=巻線数が減り、磁力線の密度が減ることになる。
電圧を上げて電流を増やせば磁力は強くなるが、電磁石での発熱も増え、過熱する恐れが出てくる。
……という相反する要素のバランスを取る必要があるのだ。
超高性能な電動モーターでは最適値を求めるのに苦労している。
とはいえ、モールス信号の受信に使う電磁石なら、そこまで厳密なものではない。
何種類か試作を作り、比べてみることになる。
電磁石の作り方は難しくはない。
鉄心、絶縁導線、電源、基本はこれだけだ。
ここに、鉄心に巻く絶縁紙とか、巻線を何重にも巻くための『鍔』などが加わる。
鉄心には軟鉄製の釘やねじを使う。できれば一度焼き鈍し……真っ赤になるまで熱し、空気中でゆっくり冷ます……するとよい。
この処理を行うと、鉄の表面が黒錆で覆われるが、問題はない。むしろ赤錆の発生を防いでくれる(もし気になるならヤスリや磨き砂で磨けば落とせる)。
そこにボール紙で作った鍔をはめる。
鉄心の直径の3倍から4倍くらいの径で十分だろう。ボール紙がなければプラスチックの板でもよい。要は丈夫な絶縁性の素材であればいいわけだ。
アキラたちは、ボール紙がなかったので、硬化処理をした革を使った(硬化処理とは、この場合『糊』を染み込ませて固めたもの)。
そうした鉄心に、直径0.5ミリのウルシ線を巻いていく。
1段目を巻き終えたら絶縁紙を巻き(巻かなくても線の絶縁がしっかりしていれば問題ないが、巻きやすくなるという利点がある)、2段目、3段目……と巻いていくのだ。
アキラとハルトヴィヒは、0.5ミリの線で100回巻き、200回巻き、300回巻きを作り上げた。
「よし、これで実験しよう」
電源は12ボルトの鉛蓄電池だ。鉛蓄電池の電圧は1セルあたり2ボルトなので、6セルを直列に繋げたものである。
試作した電磁石に12ボルトを掛け、発生する磁力の強さを測定する。
方法は、どのくらいの重りを持ち上げられるか、である。
結果として、アキラたちの電磁石は200回巻きが最も優秀であった。
「これを採用するとして、次は受信機か」
「構造はわかってるからすぐ作るよ」
原理としては、電磁石から数ミリ離した位置に鉄板をばねで固定。
電磁石がONになれば、鉄板が吸い付けられ、OFFになれば鉄板は解放される。ばねで固定されているので戻るわけだ(鉄板そのもののばね性を使ってもいい)。
この時、鉄板の先端にペンを付けておき、記録用紙を一定速度で動かせば、鉄板が吸い付けられた時間だけ紙の上に線が引かれることになる。
短い時間を『トン(・)』、長い時間を『ツー(ー)』として、モールス信号が送れる。
記録用紙は幅の狭い紙テープでいいし、ペンは鉛筆のようなインク切れがないものがいい(そのかわり鉛筆では芯が折れるなどのトラブルもあるが)。
アキラとハルトヴィヒは何度もこの件で話し合っていたので、すぐに試作機は完成した。
送信機の方は、いわばスイッチである。使いやすさの追求はこれからだ。
「よし、送るぞ」
「おう、来い」
アキラが送信機を操作し、ハルトヴィヒが受信機を見ている。
送信機と受信機は20メートルほどの距離を空け、被覆銅線で接続している。
さすがに0.5ミリ径のウルシ線では細すぎると感じたのだ。
ちなみに被覆導線は単芯で直径3ミリ、被覆材はグッタペルカである。
ただし、20メートル分しかないので、これ以上距離を伸ばすには被覆導線を作る必要がある。
実験結果は成功であった。
アキラが送信機を押す(スイッチON)と受信機の鉄板は電磁石に吸い付けられた。アキラが送信機を放すと受信機の鉄板は放れて戻ったのである。
「よし!」
「やったな、アキラ!」
喜ぶアキラとハルトヴィヒ。
次に目指すのは完成度を上げ、試験運用することである。
* * *
「まずは『絹屋敷』と『研究室』を繋いでみるか」
「そうだな」
領主邸である『絹屋敷』と、ハルトヴィヒ・リーゼロッテの『研究室』は距離にして20メートルほど離れている。
今の被覆導線でギリギリ繋げられそうだ。
「そうなるといろいろ必要な事柄が出てくるな」
「うん。まずは『呼び出し』かな?」
「そうだな……」
四六時中、受信機に張り付いているわけにもいかないので、連絡時刻を決めるか、必要に応じて『呼び出し』を行うか、という話である。
「まあ、そうだな……研究所は狭いから、呼び出しでいいだろう」
「そうすると、受信機の代わりにブザーを繋いでおいて、こちらから用があったら送信機を押しっぱなしにする。それでハルトが気がついたらブザーを受信機に切り替えて……ああ、切り替えたことがこっちにわからないな」
「そうしたら、電線を一本増やして、こっちからも信号を送れるようにしたらどうかな」
「それしかないか」
その場合、電線=被覆導線が足りないので、増産する必要がある。
「それは致し方ないな」
双方向通信のために、今の彼らの技術力では3本の被覆導線が必要なのであった。
「まあ何事も1歩1歩、だな」
いきなり現代日本並みの通信網を、と望んでも詮無いこととアキラは妥協することにしたのである。
「あとは、バッテリーの充電だな」
アキラが言うと、ハルトヴィヒはもうその答えを用意していた。
「水車を使った発電機を準備しよう」
『絹屋敷』の敷地内には水路が引き込まれている。飲料用以外の生活用水に使うためだ。
ハルトヴィヒは、その流れを利用すれば小規模ながらも水力発電ができると言ったのである。
これまでは手回し式の発電機を改良した『足漕ぎ』発電機しかなかったので、水力を使えるというのは大きな進歩であり省力化である。
「そっちは任せるよ。是非頼む」
「任された」
ド・ラマーク領の春はこれからが本番である。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は11月20日(土)10:00の予定です。




