第5話 ウーラ村
早朝にヴァルノーヴァを出発し、昼過ぎには隣村のウーラに到着した。
ウーラは、エルディア城の敷地とその周辺を合わせた程度の、小さな村だ。
宿は老夫婦が経営する一軒のみで、旅人が訪れるのは年に数えるほどらしい。
それでも、酒場がいくつか点在していて、昼食には困らなかった。
「珍しいわあ、旅の方が二人もこの村に来るなんて」
注文を取りに来た赤毛の少女が、好奇心に満ちた眼差しを向ける。
見たところ、年齢は自分とさほど変わらなさそうだ。
「私、生まれてから一度も村を出たことがないのよ。ねえ、旅っておもしろい?」
「えっと……僕たち、まだ旅を始めたばかりなんです」
「あら、そうなの。じゃあ旅の土産話なんてまだ無いのね」
少女は肩を落とし、すたすたと席を離れた。
がっかりさせてしまったようだが、残念ながら即興の法螺話をできるほど器用ではない。
「この酒場じゃ、大した情報は期待できないな」
グラスの水をあおりながら、アドルフが視線だけで店内を探る。
料理の皿を囲む客が数人いるほかは、カウンターで調理に励む中年の男が一人。
のんびりと作業する姿は、"情報通"という雰囲気ではない。
「影武者たちは、各国に潜んで王位の座を狙わんとしている……と父上から聞いています。言い方は悪いですが、こんな小さな村で情報が得られるとは思えません」
「そもそも姿形を変えているだろうしな。唯一の手がかりといえば――」
アドルフは、マントで覆われた僕の胸元を指さした。
エルディア帝国の紋章――ルミナ神の顔が刻まれたボタンが留められている。
帝国を統べる一族だけが持つことを許された、権威の象徴だ。
「影武者たちも、このボタンを身に付けているはずです。堂々と見せびらかす物でもないので、隠し持つといったほうが正しいでしょうが」
「だからって、同年代の子どもを片っ端から捕まえて尋ねるわけにもいかん。すぐ噂になって、お忍びの旅どころではなくなる」
「……あなたたち、さっきから何をコソコソ話してるの?」
先ほどの少女が、湯気の立つ皿を両手に持ってテーブルに現れた。
「お待たせしました。エルダン・スープよ」
深皿の中には、白濁のスープが並々と注がれていた。
名前もわからない肉と根菜が、スープの水面から顔をのぞかせている。
赤い香辛料がちらほら浮かび、スパイシーな香りが食欲をかき立てた。
「馬肉と根菜をたっぷり使った、ウーラ村伝統のスープよ。香辛料はリュカンの粉を使っているの」
スプーンでひと口啜ると、ぴりっとした感覚が舌を走った。
その辛さが引き金となり、あれよあれよと食を進めてくれる。
「ねえねえ、そういえば」
少女が突然、声を潜め身を乗り出してきた。
「ちょっと変な話なんだけど、隣村で変な旅人を見たって噂があるの。貴族か皇族みたいな立派な服を着てて……」
「皇族?」
僕は思わず聞き返していた。少女は興味津々という顔で続ける。
「その人、村の酒場で大暴れして追い出されたんですって。『俺は次期皇帝だ!』って叫びながら、料理代も払わずに逃げたとか」
アドルフと顔を見合わせる。二人とも、スプーンを動かす手が宙で止まった。
「それは、いつ頃の話だ?」
「うーん、半月くらい前かしら? 村の行商人から聞いたから、もっと前かも」
「……そうか」
アドルフは短く応えると、再びスープに視線を戻した。
僕も黙って食事を再開するが、さっきまでの美味しさが少し遠のいた気がする。
それでも、最後はスープの一滴まできれいに皿の中身を平らげた。
「二人とも、いい食べっぷりだわね」
満足そうな笑みを浮かべる少女に、アドルフは「美味かったよ」と口元を拭う。
「ウーラの野菜は、自然の恵みをたっぷり吸ってるからね。馬は、ほら。あの店主のおじさんが育てているのよ」
少女が指さしたカウンターへ向かい、「店主のおじさん」に一カイン札を二枚手渡す。
男は目を丸くしてから、僕の手をそっと押し戻そうとした。
「お客さん、あの料理はこんなお高くありません。一カイン札一枚で充分です」
「ほんの気持ちです。どうか受け取ってください」
店主は少し驚きながらも、深々と頭を下げて札を受け取った。
酒場を出て少し歩いたところで、アドルフが呆れ声を漏らす。
「あんな金の使い方をしていたら、あっという間に所持金が底を尽きるぞ。今までの金銭感覚なら改めたほうがいい」
「ごめんなさい。美味しかったから、つい」
軍人の相棒は短い茶髪をかき上げ、「これだから、お人好しのお坊ちゃんは」と小声でぼやく。
僕は苦笑しながら、さっきの少女の話を思い返していた。
『俺は次期皇帝だ――』
影武者の一人が、半月前に隣村にいた。
けれど、もうそこにはいない。どこへ向かったかも分からないのだ。
見えない敵を追う旅は、思っていた以上に果てしないのかもしれない。




