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影武者殺しⅠ―魔法使いと「影」の討伐―  作者: 真柴 石蕗
第3章 タリアへの道
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第52話 植物学者の選択


 魔法使いの去り行く背中が、完全に見えなくなった頃。

 気持ちを切り替えるように、アドルフが「さて」と口を開いた。



「ありがたい話を聞いたところで、ヴァロットへ向かうとするか……その前に」



 軍人の視線が、丸眼鏡の植物学者に向けられる。

 


「ベンジャミン。お前はここで俺たちと別れろ」


「……え?」



 唐突な言葉に、植物学者は呆然と軍人を見つめ返す。

 アドルフはいつになく厳しい声で、「話を聞いてただろ」と続けた。



「どうやらタリアは、俺たちの想像以上に厄介な国らしい。下手すりゃ命を落とす危険もある。俺やネイサンはともかく、お前は連れていけない」


「で、ですが、危険なのは三人とも同じで」


「同じなわけないだろ」



 鋭い一喝に、ベンジャミンはビクリと肩を動かした。


「ネイサンは魔法で、俺は武術で自分の身を護ることができる。だが、お前はそうじゃない」


「そ、それは……」


「俺とネイサンは、明確な目的があってタリアへ行く。お前は違うだろう。何の理由もなく命を賭ける選択は、愚行でしかない」



 ベンジャミンは気圧されたように口を閉ざす。

 庇いたい気持ちはあったが、アドルフの言い分は正論だった。

 ここから先は、もう呑気な三人旅ではない。



「ここまで同行してくれた礼は言う――これは、俺からの最後の頼みだ」



 一変して、切実な口調で告げるアドルフ。

 ベンジャミンは拳を強く握りしめたまま、地面から顔を上げなかった。




 ◇◇◇




 息詰まる沈黙が、三人の間に漂う。

 気まずい雰囲気に耐えかね、僕はアドルフへちらりと視線を送った。

 軍人は一瞬だけこちらを見返し、くるりと植物学者へ背を向ける。



「ルェメイサ村まで戻ったら、湿原を避けてミヴエルへ向かえ。遠回りにはなるが、タリアへ行くより何倍も安全だ」



 アドルフが一歩踏み出した、そのとき――



「……断ります」



 軍人の足が止まった。

 顔を上げたベンジャミンは、相手の逞しい背中を真っすぐ見据えている。



「私も、二人と共にタリアへ向かいます」


「――今の言葉は、俺の空耳か?」



 ゆっくりと振り返るアドルフ。

 その瞳は、怒りを押し殺すように静かに燃えていた。



「空耳ではありません。私も、二人と一緒にタリアへ入国します」


「もう一度だけ言う。今すぐミヴエルへ引き返せ」


「引き返しません。私にも、タリアへ行く明確な理由がありますから」



 アドルフは短く嘲笑う。

 そして茶髪を乱暴に掻きむしると、植物学者へ大股で歩み寄った。



「理由だと? 気まぐれでついてきたお前に、タリアへ向かう理由などない」


「ありますよ。私はまだ、二人に恩返しができていません。ミヴエルで命より大切な形見を取り戻していただいた、あの恩返しが」



 ベンジャミンは少しだけ震える声で「それに」と続ける。



「ネイサンもアドルフさんも、私にとって大切な仲間です。その仲間が死地へ赴くのをただ見送るだけなんて……そんなこと、できるはずがない」



 ピンと伸びた背筋に、凛とした揺るぎのない声。

 僕が今まで見てきた気弱な彼とは、まるで別人だ。



「ですから、ネイサンとアドルフさんが無事にタリアの旅を終えるまで同行します……そして」



 ベンジャミンは一度、大きく息を吸い込んだ。



「もし二人に危険が迫るなら、命に代えてでも二人を護ります」


「はっ……命に代えて、か」



 吐き捨てるように言い、アドルフはさらに一歩、ベンジャミンへ詰め寄る。



「その言葉、今すぐ撤回しろ。でなけりゃ無理にでも言わせるぞ」



 軍人の静かな威圧に、植物学者は一瞬だけ怯んだように肩をすくめる。

 それでも、目の前に迫るアドルフから視線を逸らさずに、



「撤回しません。私は本気です」


「本気? ふざけるのも大概にしろ。これ以上、俺を怒らせるな」



 アドルフが噛みつくように言い返す。

 今にも剣に手が伸びそうな勢いだ。


 一方、ベンジャミンは怯えを押し殺した表情で、相手を真っすぐ見返している。

 互いに一歩も引く様子はなく、このままでは一触即発の予感――。



「……あ、あのっ!」



 僕は思わず声を張り上げ、彼らの間に割って入った。

 驚いた表情で身体をのけ反らせる二人へ、交互に視線を送る。



「あの、ええと……たしかに、タリアは危険な場所です。そこにベンジャミンさんを連れていくのは、賢い選択じゃないかもしれません。僕も、大事な仲間を危険な目に遭わせたくない」



 それ見ろ、と言いたげに鼻を鳴らすアドルフ。

 続けて口を開きかけた彼を、僕は「だから」と強く遮った。



「ベンジャミンさんには――これを預けます」



 懐からサラマンダーの御守(アミュレット)を取り出し、植物学者へ突き出した。

 眼鏡の青年は、僕が差し出した掌をまじまじと見つめる。



「これ……オラカロンの魔道具で入手したペンダント、ですよね。これを私に?」


「はい。僕たちとタリアへ行くなら、これを持っていてください。危険が近づいたとき、ベンジャミンさんを護ってくれるかもしれません」



 困惑の表情を浮かべる彼の掌へ、金細工のペンダントを強引に押し込む。

 アドルフが僕に一歩近づき、「正気か、お前」と低く告げた。



「魔道具は、魔力のない者が持っていても効力を発揮しないんだろ」


「分かっています。でも、僕はベンジャミンさんに持っていてほしいんです」



 アドルフは舌打ちすると、捲し立てるように先を続けた。



「タリアで追っ手が迫ったとき、ベンジャミンを護ろうとして俺たちまで動けなくなる可能性もあるんだぞ。そうなれば全員が……」


「アドルフさん、憶えていますか。オルガノ山を越えたときのこと」


 

 再び話を遮った僕に、軍人は「それがどうした」と苛立たし気に返す。



「山の中で、僕は二度も意識を失いました。魔力の制御もできず、あのときの僕は完全に足手まといだった……それでも無事に山越えできたのは、アドルフさんとベンジャミンさんがいてくれたからです」



 勇猛果敢な軍人と、優しく思慮深い植物学者。

 僕は二人を交互に見つめる。



「一人でも二人でもない。この三人だったから、オルガノ山を越えられた。なら、タリア王国だって――三人なら、きっと乗り越えられます」



 だから、と僕はアドルフに向き合う。

 エルディアの故郷から旅を共にしてきた相棒に、深く頭を下げた。



「三人でタリアに行きましょう。お願いします」


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