第48話 移動魔術
「「補助魔道具?」」
聞き馴染みのないであろう言葉に、眉根を寄せるアドルフとベンジャミン。
「魔法や魔術の発動を助ける道具のことです。アドルフさんには、前に話しましたよね。ある場所から別の場所へ移動するのに、専用の道具を使うと」
「ああ。ソアラの森で聞いた話か」
「それです。まさに、これがその魔道具なんですよ」
手袋を指さす僕に、軍人は警戒めいた声で返す。
「そんな古びた手袋が、魔法を補助するのか?」
「まあ、百聞は一見に如かず、ということで……試してみましょう。ベンジャミンさん、その手袋の中に紙とペンは入っていますか?」
手袋を右手でつまんだまま、植物学者は左手をそろりと開口部へ差し入れる。
次の瞬間、「あっ」と小さく叫んだと同時に左手を引き抜いた。
その手には、羽ペンと掌サイズの羊皮紙が握られている。
「手袋の中に、どうしてこんなものが」
「この手袋が補助魔道具である証拠です。その紙と羽ペン、借りますね」
羽はぼろぼろでペン先も潰れていたが、構わず羊皮紙にペンを押し当てる。
すると――ペンの先端から、黒いインクが水のようにじわりとにじみ出た。
そのまま紙に字を走らせ、書き終わったそれを二つ折りにする。
「あとは、これを羽ペンと一緒に手袋の中へ戻します。少し待ってから、また中を確認してみてください」
言われるまま、植物学者は二つを手袋に入れ直す。
深呼吸二回分の間をおいて、再び開口部に手を突っ込んだ。
「あれ……ない! 紙も羽ペンも、確かに入れたはずなのに」
素っ頓狂な声を上げるベンジャミン。
アドルフも「まさか」と言いたげな視線を向ける。
二人の反応に、僕はつい口角を上げた。
「紙とペンが手袋の中から消えたのなら、実験は成功です」
「ネイサン……一体、どういう仕組みなんですか?」
好奇心に目を輝かせる植物学者。
一方で軍人は、手品師のイカサマを見るような目をしている。
「詳しい話はあとで。これで準備が整ったので、二人とも今から僕の言う通りに動いてください」
手袋を受け取り、身振りを交えて説明を始める。
まるで魔法の講義でもしている気分だ。
「まず、手袋の中に左右どちらかの片手を入れます。すると、手を引っ張られるような感覚が起きます。抵抗せず、そのまま待機してください。
力が強まったら、術の発動が始まります。そのときに『アルカ・ナパルタ』と唱えてください。これが、術発動のための呪文です。
呪文を間違えると、発動が失敗するので注意してください」
「その、術の発動に失敗すると、どうなるのですか」
おずおずと尋ねる植物学者に、にっこり笑い返す。
「呪文さえ正確なら、問題ありません。二人が先に移動するところは、僕がちゃんと見ていますから」
簡単な説明を終え、まずはアドルフが移動魔術の先陣を切った。
逞しい右腕が、一見すると窮屈そうな手袋へすっぽり収まる。
「上手く表現できないが……手袋の中で風が発生しているみたいな感覚だな」
「魔力が発動している証拠です。そのまま、もう少し待ってください」
余裕めいていたアドルフの表情に、やがて変化が見え始めた。
眉頭に皺が寄り、右腕は小刻みに震え出す。
「もうすぐ移動魔術が発動します。アドルフさん、さっき伝えた呪文を」
手袋の隙間から、細い光が漏れ出す。
軍人は大きく息を吸い、低く、はっきりと区切るように呟いた。
「――〈アルカ・ナパルタ〉」
詠唱と同時に、手袋をはめた右手が強烈な光を放つ。
目を射るばかりの眩しさに、僕とベンジャミンは顔を背けた。
そして、次の瞬間には――
「あ……アドルフさん?!」
悲鳴めいた声を出す植物学者。
そこにあるのは、古びた手袋がぽつんと転がっている光景だけだった。
◇◇◇
「あ……アドルフさんはどこに?」
ベンジャミンは慌てて手袋のそばに駆け寄り、周囲を見回す。
大荷物を背負い、長剣を携えた男の姿は完全に消えていた。
「安心してください。今頃は、ローリイン湿原を越えた先の村にいるはずです」
「つまり……この魔道具で、一瞬で遠くへ?」
「そうです。さ、次はベンジャミンさんの番ですよ。アドルフさんと同じようにすれば、何も心配いりませんから」
顔に不安の色を浮かべつつ、手袋を拾い上げる。
開口部に右手を入れ、しばらくしてから「あっ」と小さな声を出した。
「たしかに……手袋の中で、小さな竜巻が起きているような感覚です」
「魔力が順調に発動しているんです。あとは、呪文を唱えるだけだ」
僕の合図にあわせ、「アルカ・ナパルタ」と一音ずつ詠唱する。
手袋が強い光を放ち、次の瞬間には植物学者の姿は目の前から消えていた。
「……よし。二人とも成功だ」
深呼吸をひとつして、僕も右手を手袋に差し入れる。
偉そうに説明していたが、実は補助魔道具での移動は僕も初めてだ。
壁抜けの特殊魔術に、今回の移動魔術。
魔術訓練の成果を、シュティルナー師匠に見せられたら――
ぼんやりと考えているうちに、右腕がぐにゃりと歪む感覚。
慌てて「アルカ・ナパルタ!」と唱えた瞬間、視界は完全な闇に包まれた。




