第4話 不完全な覚悟
エルディア城は、エルディア帝国の首都ヴァルノーヴァの中心部に位置する。
父上から与えられた地図をもとに、旅のルートをアドルフと検討した。
結果、最初の目的地はオラカロンと決まったが、ヴァルノーヴァから向かうにはエミュンカラという文化都市を通過する必要がある。
「エミュンカラは、サーカス団がよく巡業に来る土地なんです。父上が昔、何度か連れて行ってくれて」
「サーカス団か……ルミナ祭のときも、ヴァルノーヴァに一座が来ていたな。俺はそのとき、街中の警護に駆り出されたぐらいだが」
ルミナ祭は、エルディア帝国の重要な祭日だ。
帝国の守護神ルミナを讃える日で、祭りに関わらないすべての職人に仕事の停止が命じられる。
街じゅうのあちこちで豪勢な料理と酒が提供され、その日限りは無礼講も許される。
国民が一年で最も楽しみにする日と言っていい。
「順調に進めば、今夜にはエミュンカラの街外れに到着できるな。地図を見る限り、道中は平地続きだ。馬の力を借りる必要もない」
「父上から、馬はできるだけ使わないようにと言われています。目立ちますし……それに、少しは体力をつけろと」
城で乗馬は習っていたから、一騎くらいは用意してもらえると思っていた。
しかし、軍人であるアドルフと旅をするなら、他に頼らない体力も必要だろう。
魔術や動物ばかりに頼っていては、旅の意味が薄れる――父上の言葉にも、一理あった。
「エミュンカラへ行く途中には、いくつか小さな村がある。どこかで昼食を取りながら、今夜中の到着を目指そう」
さすが軍人、地図を一瞥しただけで旅程を立てられる。
地図の読解が苦手な僕にとって、これほど心強い同行者はいない。
「ところで、殿……いや、ネイサンは、こうして旅に出るのは初めてだな」
急に話題を変えたアドルフに、「まあ、そうですね」と少し気の抜けた声で答える。
「父上に同行して他国へ外交の見学に行ったことは何度かあります。けれど、自力で旅に出るのは初めてです。父上には、旅の終わりまで一年は覚悟しろ、と言われました」
「一年か……軍人でも、年単位で国外に出る者は多くない。陛下も思い切った決断をされたものだ」
「まあ、目的が目的ですから」
茶髪の軍人は、突き抜けるような青空を仰ぐ。
鋭い顎のラインと通った鼻筋、光を返すような横顔が妙に絵になって、思わず見惚れてしまう。
「皇太子の“影武者殺し”の旅、か。正直、俺は陛下から大まかな説明しか受けていない。まあ、詳しく話せないってのが本音だろうが……俺は、俺に課せられた任務を全うするだけだ」
「アドルフさんに課せられた任務?」
「殿下を守ること。そして旅が終わるまで、殿下を生きて城へ送り届ける。それだけだ」
淡々とした声なのに、言葉には揺るぎない力が漲っていた。
決意に満ちた横顔を見ていると、つい自分が情けなくなる。
今の僕には、自分の影武者たちを殺す覚悟なんて、欠片もない。
突然、父上から命じられ、現実味もないまま外の世界へぽっと放り出された。
これからは、“他人の命を奪うために”魔法や魔術を使わなければならない。
本来、それは魔法魔術の世界において禁忌に値する行為だ。
それが許されたのは、強力な魔力と支配力を持つ父上との間で、特別な「契約」を交わしたから。
けれど、その契約ですら、僕の意思とは関係なく結ばれたもの。
それなのに――そんな状況で、本当に旅の目的を果たせるのだろうか。
昨夜、暗がりの部屋で手帳に記した文字が脳裏をよぎる。
『旅の目的は、僕の“影武者”たちを殺すこと』
あまりにも不完全で頼りない言葉は、今もなお、暗い部屋の中で彷徨っている気がする。
あの決意表明が、僕の内で本物の“覚悟”へ変わるまで――
一体、どれほどの時間が必要なのだろうか。




