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第23話 束の間の休息


「あ、あの……ネイサン」



 泥まみれのマント越しに、ベンジャミンが息も切れぎれに話しかけてきた。

 


「さ、さっきの……急に突風が吹いたり、あのコウモリみたいな生き物たちが宙で止まったり……あれ、“魔法”なんですよね?」



「まあ――そうですね」



 厳密には、魔法と魔術の定義は異なる。


 インプを炙り出した風の呪文は「魔法」。

 四元素の力で発動させる魔力は「魔法」あるいは「四元素魔法」と称される。


 一方、インプたちの動きを止めた呪文は「魔術」。

 四元素の力に依らない魔力は、すべて「魔術」に分類される。


 ただ、今ここで細かい区別を説明しても混乱させるだけなので、あえて濁しておいた。



「あれが、魔法というものなのですね。私、自分の目で見るのは初めてで……まさに、人知や科学を超越した力ですね」



 未知の世界を前にして、興奮を抑え切れないといった声色。実に研究者らしい。

 彼に才能があれば、立派な魔法使いや魔術師になれただろう。



「おい、呑気に魔法の話なんてしているが」



 先頭を行くアドルフが鋭く振り返った。腰に差した長剣がガチャリと鳴る。

 


「この先、インプ以上に強力な魔物が出るとも限らない……あんな低級モンスターでさえ手こずったんだ。気を抜くな」



 忠告はもっともだが、そもそもオルガノ山の強行突破を決めたのは彼自身だ。

 周囲から散々止められて、引き返すチャンスはいくらでもあった。

 それを一蹴し、この山へ立ち入ったのだ。



 まあ……悔やんだところで、後の祭りだ。

 今さら、あのインプが飛び回る道を引き返すなどできるはずもない。

 僕らに残された選択肢はただ一つ。



 生きて、この山を越えること。

 それだけだ。




 ◇◇◇




 しばらく歩き続け、まず音を上げたのはベンジャミンだった。



「す、すみません……少しだけ休憩を……足に力が入らなくて」



 切り株に座り込む彼に、アドルフが「情けないな」と一言。



「そんな調子で、オラカロンまで案内が務まるのか」


「そ、それは……オルガノ山を越えてオロカロンへ行くなんて思わなかったから。山を避けて通るルートはちゃんと存在しています。てっきり、その道を行くものとばかり」


「この山には、珍しい薬草もなさそうだしな」



 薬草どころか、雑草や草花さえ地面から顔を出していない。

 それ以前に、この森からは瑞々しい生命力や生命活動が一切感じ取れないのだ。


 

 あるのは、侵入者への悪意と敵意に満ちた、禍々しい魔力の気配。

 そして――鼻を塞ぎたくなるほどに濃厚な「死」の臭い。



「こう暗いと時間も分かりづらいが、俺の感覚ではまだ昼前ってところだな」



 取り出した地図を眺めながら、険しい顔をするアドルフ。

 昼食を摂ろうにも、オルガノ山の中には山小屋なんて親切なものはない。



『オルガノ山の中に山小屋を建てれば、三日ともたず魔物に潰されるわい』



 麓の宿を経営する老人の言葉だ。

 ……随分と、きつい冗談である。

 だが、山の中を歩き始めれば、否が応でも納得せざるをえない。



「オルガノ山そのものは、標高も大して高くない。魔法生物の邪魔さえなければ、順調に歩いて今夜中には山を抜けられるはずだ」


「そ、そんな上手くいくでしょうか……インプの大群だって、すり抜けるのに一苦労だったのに」



 ベンジャミンはすでに諦めモードに入りつつある。

 アドルフからきつく咎められる前に、僕はわざと大きな声で会話に割り込んだ。



「ともかく休める時には休みましょう……それから、ベンジャミンさんのマントですが」



 大量の泥がこびりついたものを身にまとっていれば、体力消耗に拍車をかける。

 マントに杖を向け、ぐるりと囲むように動かしてから呪文を詠唱した。



〈モ・ターリオ・レパーロ〉


 

 白い光が走った次の瞬間、マントは新調したように綺麗になっていた。



「あ、マントの泥が……!」



 背中を振り返り、植物学者が感動の声をあげる。



「泥汚れが落ちたぶん、マントも軽くなって少しは身体への負担も減ると思います……アドルフさんの傷も、回復魔術で治せますけど」



 勇ましい軍人は、自分に向けられた杖を煩わしそうに押しのける。



「いらん。この程度で魔法に頼っていられるか……それに、調子に乗ってあまり魔力を使いすぎないほうがいいんじゃないか」



 魔力は無限ではない――。

 父上の言葉が胸をかすめ、大人しく杖を仕舞う。


「それもそうですね……じゃあ、そろそろ出発しましょうか」



 マントを羽織り、泥道に再び足を踏み入れる。


 背後の闇で、金属めいた笑い声が僕たちを追い立てるように響いていた。


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