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影武者殺しⅠ―魔法使いと「影」の討伐―  作者: 真柴 石蕗
第2章 出会い
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第15話 守りたいもの


「あの……アドルフさん」



 肩で風を切りながら街道のど真ん中を歩く青年が、ちらりと振り返る。



「何だ」


「本当に……オルガノ山を越えるんですか?」


「さっき地図を見ただろう。一刻でも早くオラカロンへ着くには、山を突っ切るのが最短ルートだ」



 仕立て屋の女主人が、あれほど「やめておけ」と念押ししていたのに。

 それでも、危険を顧みずオルガノ山へ分け入るというのか?



 ――アドルフさんらしくない。



 そう言いかけて、口を噤む。

 彼は僕よりずっと多くの危険に立ち向かい、軍人としての経験も積んでいる。

 何か、彼なりの考えがあるのかもしれない。



「……怖いのか?」



 歩幅を緩め、僕の隣に並んだアドルフが低く問いかける。



 怖くなんてない、と言えば嘘になる。

 怖いに決まっている。

 あんな脅しめいた話を受けて、それでもなお山へ向かうほうがどうかしている。



 ()()()()()なら、そう反論するかもしれない。



 けれど僕たちは、これから数えきれないほどの危険や恐怖を乗り越えなければならない。

 尻込みして逃げることは、父上との「契約」の名において赦されない。


 それに、僕は魔法使いだ。

 人外の敵さえ退ける力と勇気を授かった存在。

 自身の立場が、魔法や魔術を使えない人族と同等と思ってはならない。



 分かっている。分かってはいるが……。



「怖いなら、踵を返して城へ戻ればいい」


「え?」



 予想外の一言に思わず顔を上げる。

 祭りでの穏やかな表情から一変、そこにあったのは冷徹な軍人の横顔だった。



「尻尾を巻いて、城で待つ陛下の許へ戻ればいいさ――尤も、城へ戻るのとオルガノ山を越えるのと、どちらが怖いかは俺には分からんがな」



 今度は、意地悪な笑みを口元に浮かべる。

 冗談なのか、本気なのか。

 ただ、彼が僕の意志を試そうとしていることだけは分かった。



「行きます――行きますよ! 今さら城へ帰るなんて、できっこありません」



 声を張り上げた途端、道行く人々が何事かとこちらを振り返った。

 数人と目が合い、恥ずかしさに思わず俯く。

 その傍らで、低い声が笑いを嚙み殺していた。



「その意気だ、ネイサン。その言葉が聞きたくて意地悪をした。すまん」



 ……嫌な人だな。

 アドルフに対して、初めて小さな怒りが湧く。


 軍人の男は肩を震わせながら、相変わらず笑いを堪えていた。



 ◇◇◇



 オルガノ山――父上の地図には、その正式な名を「デ・アブロ・オルガノ山」と記されている。



「軍の仲間から聞いたことがある。オルガノ山の別名は、恐怖の山。だが、ほかにも呼び名がある」


「たとえば?」


「俺が小耳に挟んだのは――“魔物の臓物”」


「ま、魔物の……ゾウモツ……?」


「臓器、特に内臓のことを贓物とも言うのさ」



 アドルフの低く落ち着いた声が、言葉の恐ろしげな響きを増幅させる。

 魔物の、内臓――想像しただけで背筋が凍る。


 文化都市と商業都市の間に、そんな禍々しい場所が横たわっているなんて。

 都市の華やかさと結びつかず、余計に異様だ。



 魔物――人外の生命体。いわゆるモンスター。



 魔術を用いたモンスターとの戦い方は、シュティルナー師匠から最低限学んだ。

 低級モンスター相手の模擬訓練も(半ば強制的に)受けた。


 けれど、訓練で対峙したモンスターたちと、実践で遭遇するモンスターは違う。

 単純な魔力レベルはもちろん、予想外の動きと攻撃でこちらを翻弄し、一瞬の隙を狙って牙をむく。


 いわば、戦場。

 魔法使いや魔術師は、時に強力な魔物が潜む戦地へ赴き、命を懸けてそれらと相対する。



『魔法や魔術は、剣と似ているな』



 アドルフの言葉が、改めて胸にストンと落ちる。

 軍人は剣を、魔法使いや魔術師は杖を手に、守りたいもののために命を賭けて戦うのだ。



 ――守りたいもの。



 たとえば、家族や恋人。

 地位や名誉、戦歴などの目に見えない勲章。

 財宝や秘宝など、金銭的価値の高い形あるもの。

 人によってその定義は異なる。



 じゃあ、僕は?

 ふと、立ち止まって考える。



 僕が、魔法や魔術という武器を使って守りたいものは、何なのか。

 城で待つ家族。世話になっている従者たち。それとも、エルディア帝国の存続と安寧か。

 あるいは――



 数歩先を行く、相棒の逞しい背中を見つめる。


 ソアラの森で、黒装束たちが襲いかかってきたとき。

 彼は真っ先に僕の前に立ち、大剣を抜き、三人を斬り伏せた。

 自らの命が危険にさらされてもなお、僕の無茶な行動を案じて叱ってくれた。


 もし、またあのような危機と遭遇したとき。

 僕は、僕の武器を携えて、彼を危険から守れるだろうか?



 胸を張って宣言できない。

 そんな自分が情けない。


 でも、いつか言いたい。

 彼の目を真正面から見据え、自信たっぷりに。



 ――「できる」と。



 それは、まだ遠い先の未来かもしれないけれど。


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