第16話 学問の街にて
祭りの喧噪からさらに離れ、東へと歩を進める。
エミュンカラ東部に位置する「学問の街」、ミヴエルへと入った。
街の至るところに学び舎が立ち、学生らしき若者や教師然とした人物たちが行き交っている。
書物を手にした学生風の集団が、楽しそうに語らいながら校舎の中へ姿を消した。
ふと、エルディア城で専属の家庭教師と勉強していた日々を思い出す。
だだっ広い書斎や子どもには広すぎる図書室の中で、毎日一人で学術書や魔術書と向き合っていた。
僕には、同じ志を持って共に学び合う仲間などいなかった。
「……何を見ている」
アドルフから声をかけられ、はたと我に返った。
いつの間にか歩を止め、道沿いに建つ校舎の一つをぼんやり眺めていたようだ。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「考え事は歩きながらしろ」
そっけなく言い捨て、足早に先を行く相棒。
せっかちだな……と愚痴をこぼしそうになり、慌てて唇を結ぶ。
故郷を想い、感傷に浸っている場合ではない。
エミュンカラを抜ければ、第一の目的地であるオラカロンまで丸二日の強行軍。
あの「魔物の臓物」の山も立ちはだかっている。
気を引き締めなおし、前を歩くアドルフの背中を無言で追いかけた。
◇◇◇
「――お願いします! これだけはやめてください!」
河川に架かる橋の少し手前で、悲痛な叫び声が響き渡った。
何事かと視線を彷徨わせると、道の端で数人の男たちが寄り集まっている。
彼らは一様に、同じようなデザインの形式ばったローブを身に付けていた。
そして、ローブの集団に囲まれて一人の青年が地面に膝をついている。
丸眼鏡をかけ、灰色の髪をした冴えない風体の男。
それなりに品のある衣装だが、何年も着続けているのか全体的に色褪せている。
男は胸に一冊の書物を抱え、自分を取り囲む男らに切実に何か訴えかけていた。
「お願いします……これだけは、この本だけはやめてください!」
「くどいぞ。それは有害書物として教会から特定指定を受けている。つまり、焚書の対象物だ。早く渡せ」
集団の中から、厳格そうな顔をした中年の男が歩み出る。
ローブの胸元を留める銀ボタンが、権力を誇示するかのようにキラリと輝いた。
「その書物をこちらに渡さぬなら、お前ごと教会へ引っ張っていくだけだぞ」
「ですが、私は神の誓いに違えるような思想は何も」
「言い訳なら、教会の懺悔室でするんだな」
中年男が、丸眼鏡の青年の腕を強引に持ち上げようとする。
――条件反射で、足が前に飛び出していた。
「あ、あのっ!」
一同が、怪訝な顔で僕らのほうを振り向く。
集団の隅にいた吊り目の男が、眦をきっと持ち上げて闖入者を睨みつけた。
「何だ、お前たちは」
「あ、いえ……僕らはただの旅人です。今日、初めてこの街を訪れて」
「ただの流れ者が、我々に何の用件だ」
「えっと……揉めているような声がしたので。何かトラブルですか?」
ローブ姿の男は、「何だこの妙な子どもは」とでも言いたげな目線を向ける。
「貴様らには関係ない。早くここを立ち去るのだ」
「あの、えと、でも」
「貴様も教会へ連行されたいのか。我々の仕事を邪魔するな」
文字通り吐き捨て、男は僕たちから顔を背ける。
集団のリーダーらしき中年の男が、再び丸眼鏡の青年を連行しようと引っ張り始めた。
「ど、どうしよう……あのままじゃ、眼鏡の人が無抵抗に連れていかれちゃいますよ。アドルフさん、どうすれば」
「巻き添えを食うのは御免だ。かかわる必要はない」
傍らに立つ軍人は、他人事のように集団へ冷めた視線を送っている。
まるで取り付く島もなかった。
「お願いします……これだけは、父の形見であるこれだけは!」
なおも必死の抵抗を続ける青年のもとに、駆け足で近寄った。
「あの、形見って」
眼鏡の青年が、目じりに涙を溜めながら僕のほうを見上げる。
「あ……この本です。これには、父の研究の成果がまとめられているんです」
「形見、ということは」
「父は、二年前に死にました。優秀な植物学者でした」
「それで、その書物はお父様の研究結果だと」
「ええ。この本は、父の人生そのものです」
中年のローブ男が、僕の肩に手を置いて後方へ押しやった。
「教会の意向に反する者は、例外なく反逆者として処罰対象になる。お前も書物とともに焼かれたいか」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
中年男と眼鏡の青年の間に立ち、両手を広げる。
「彼が持っている書物は、植物研究についてまとめたものですよね? どうしてそれが焚書の対象になるんですか」
「お前に説明する義理はない」
「植物の研究は、土地の生態系を守り、薬草であれば医学の研究にもつながります。それを焚書にする必要が、どこにあるんですか」
「煩い。お前も反逆者の烙印を押されたいか」
こんな取り締まり……あんまりだ。
「これ以上我々の邪魔をするのなら、お前もこいつと一緒に処罰対象にしてやる」
中年男の筋張った手が、再び僕の肩を強く掴む。
このままじゃ――二人とも、力ずくで連れていかれる!




