第12話 揺れ動く関係
闇の中から、妖しく光る二つの目がこちらをじっと見つめている。
今すぐ、この場から逃げ出したい――。
そう思うのに、全身が金縛りに遭ったように固まり、指一本動かせない。
やがて、正体不明の光と目が合った、その瞬間。
ゆらりと影が蠢き、闇を裂きながら物凄いスピードでこちらに襲いかかってきた!
――殺される!
喉が破れんばかりの勢いで、声にならない声を張り上げた。
◇◇◇
「――サン! おい、ネイサン!」
両肩を激しく揺さぶられ、はっと目が覚めた。
茶髪に凛々しい顔立ちをした青年が、こちらを心配そうにのぞき込んでいる。
「大丈夫か。うなされていたぞ」
「あ……アドルフ、さん。ここは……」
「まだ寝ぼけているな――昨日の朝、俺たちはエルディア城を発っただろう。ここは、エミュンカラの郊外にある安宿だ」
ああ、そうだ。
僕とアドルフはヴァルノーヴァの故郷を離れ、長い旅に踏み出したばかり。
その初日に通り抜けた森で、正体不明の賊に奇襲を受けた。
先ほどまで見ていた夢は、謎めいた襲撃者の悪夢だったのか……。
「一晩眠ってスッキリ……ってわけにはいかないか。悪夢でも見てたんだろ」
ずばりと言い当てられ、「な、なんで」と声が裏返る。
アドルフは右手に持っていたタオルを、無造作に枕元へ放った。
「汗、拭けよ。それか一風呂浴びてこい」
額に手を当てると、寝汗で手のひらがべっとりと濡れる。
僕は素直に相棒の助言を受け入れ、宿の湯へと向かった。
無人の浴槽で、人肌の温度の湯に身体を沈める。
全身の凝り固まった筋肉が、少しずつほぐれていくようだ。
ぼんやりとしていた意識も、次第にクリアになっていく。
部屋へ戻ると、すでに身支度を整えた相棒から「だいぶマシな顔になったな」と揶揄われてしまった。
パンとスープだけの簡素な朝食を済ませ、僕たちは日の出とともに宿を発つ。
宿の薄暗さに慣れていた目には、白い朝日が眩しかった。
◇◇◇
エミュンカラを出れば、第一の目的地――オラカロンまでは一直線だ。
だが、オラカロンまでの道程はこれまで以上に遠い。
おまけに、途中で小さな山をひとつ、越えなければならないようだ。
「山越えも含めて、オラカロンまで丸二日ってところか」
アドルフの言葉に、再びげんなりしかける。
そんな僕の士気を上げるように、軍人の相棒は続けて言った。
「せっかく文化都市に来たんだ。半日くらい、街見学でもするか。街の中心部は栄えているだろうし、ちょっとした情報収集もできるかもしれん。必要な物資があれば買い込んでおこう」
そう聞けば、俄然気合も入るというものだ。
早朝の風に背中を押され、道行く歩調も自然と早まる。
「調子が良いからって朝から飛ばすな。自分の体力を考えて歩け」
諫める相棒の声も、昨日よりどこか柔らかい。
初めてまともに顔を合わせたときは、無骨で杓子定規な青年という印象だった。
けれど、一日を共に過ごした今、その印象は少しずつ変わり始めている。
表の顔は、冷静かつ、時に冷徹で容赦のない軍人。
その裏で、小さい炎のような温かさと、仲間想いで情に厚い一面が垣間見える。
城の生活では、どこかで数回すれ違う程度の関係でしかなかった。
互いの存在を強く意識する機会もなかった。
旅の相棒にならなければ、その距離は永遠に開いたままだっただろう。
それが今は、ファーストネーム(僕の場合は仮の名だけれど)で呼び合い、たまに軽口を叩くまでの仲に縮まった。
……いや。
距離が縮まった、と思うのは、僕の思い上がりだろうか。
僕はアドルフと違って、未だに敬語口調が抜けていない。
彼は彼で、家臣と主という絶対的な関係のもと、きっぱりと一線を引いているかもしれない。
そう。
僕とアドルフの間には、まだ目に見えない境界線が存在している。
それは、安易に飛び越えてはいけない線なのか。
あるいは、いずれ自然と踏み込んでいく線なのか。
力加減を誤れば壊れてしまうガラス細工のように、微妙に揺れ動く関係。
今はまだ、それを勢い任せに打ち砕くときではない。
剣の先を突き合わせる兵士のように、互いの間合いを図りながら。
それぞれの本音を覆う、分厚い膜を一枚ずつはがしながら。
少しずつ、歩み寄っていけたらいい。
悠然とした足取りで隣を歩く彼に、ちらと視線をやる。
陽光を真正面から受け、ほんの少しだけ目を細めたしかめ面。
昨日の朝、城の中にいたときまでは決して見せなかった顔だ。
この一日で、怒りも、笑みも、呆れた顔も知った。
まるで、人跡未踏の地で宝箱を発見したときのような、不思議な高揚感。
僕の知らない彼の表情が、きっとまだまだあるに違いない。
これからの長い旅の中で、“影武者殺し”以外にも新たな目的を見つけた気がした。




