第10話 仲間のために
「――止めろおおぉぉ!!」
喉が枯れんばかりの絶叫とともに、勢いよく地面を蹴る。
冷静な思考など無い。ただ無我夢中だった。
宙を飛び、一直線に敵の影へ突っ込む。
透明化魔術の膜が、視界の中で一瞬だけ揺らめいた。
第四の襲撃者は、こちらの奇襲に全く気づいていない。
弓矢を構えたまま、アドルフの背中へ狙いを定めている。
間に合え!
飛びかかった体勢のまま、全体重を乗せる勢いで敵にぶつかる。
透明人間からの完全な不意打ちに、第四の襲撃者は弓矢を手にしたまま、草の海に沈み込んだ。
「ネイサン?! お前、何を――」
アドルフの驚く声が重なったが、今はそれに返す余裕もない。
弓使いは「何だこれは!」と素っ頓狂な声を上げながら、草むらの中でもがいている。
振り回すローブの影から、鏃の鋭い光が閃いた。
まだ諦めていない!
僕は右手の短刀を逆手に握り直し、敵のローブめがけて勢いよく振り下ろした。
ザクリ、と布を裂く重い手応え。
腕に力を入れ、刃先をさらに下へと押し込む。
杭代わりとなった短刀がローブを地面に固定し、敵の動きを完全に封じた。
「なっ……なんだこのナイフは! くそっ」
焦りの声を薙ぎ払うように、敵の手から弓矢を力いっぱい叩き落した。
乾いた音とともに、相手の武器は草に飲み込まれて見えなくなる。
「ア、アドルフさん……」
草むらから身を起こした瞬間、地鳴りのような悲鳴が上空へ突き抜けた。
続いて、重たい何かがどうっと地面に倒れる音。
まさか、アドルフさんが――?!
心臓が跳ね上がり、全身の血が凍りつく。
だがその恐怖は、一瞬で霧散した。
視界の端に、見慣れた広い背中と茶髪が映った。
勇ましい軍人は敵の最後の一人を倒したところで、長剣をひと振りして血を払い、鞘へ収めた。
剣の鍔と鞘の触れ合う金属音が、森の静寂に澄んだ響きを落とす。
思わず安堵の息をつき、よろけながら草むらから抜け出た。
「よ、よかった。無事だったんですね、アドル――」
「何をやっているんだ、お前は!!」
落雷のような怒号が轟いた。
全身に怒気をまとったアドルフが、大股でこちらへ歩み寄ってくる。
「一度逃げたら戻ってくるなと、確かに言ったはずだぞ!」
「わ、忘れてません……言われた通り、戻ろうとしました。でも――」
「でも、なんだ」
猛禽類を思わせる鋭い視線が、正面から睨み据える。
その迫力に足が竦み、自然と身体が震えてくる。
「あいつが……あの弓使いが、アドルフさんを狙っていると思って。だから」
「お前、四人目の存在にどうやって気づいた」
叱責に混ざった、疑念の声。
僕は迷った挙句、魔術を使って襲撃者の位置を探知したこと、それからアドルフに危険を知らせるため戻ったことを正直に話した。
聞き終えた彼は、盛大な溜息をつく。
「なるほど。あの弓使いがお前の突撃に気づかなかったのも、透明化の魔術を使っていたからか」
そして、短髪をがしがしと掻きむしった。
「だが言わせてもらえば、お前の行動は無謀だ。計画なしで、冷静な判断も下せず、感情の赴くままに敵陣の中へ飛び込んだ……そもそも、あの弓使いの存在なら最初から知っていた」
「え……でも、敵は完全に隠れていて、背後から狙われたらさすがのアドルフさんでも」
「甘い。あんな稚拙な気配隠し、目を閉じていても位置が丸わかりだ」
つまり――無駄だったのだ。
仲間を助けたい一心で引き返したのも、がむしゃらに敵へ短刀を振り下ろしたのも。
アドルフにとっては、僕の行為は何の意味もなかったのだ。
膝から力が抜け、その場にへたりと座り込む。
自分の無力さが刃と化し、胸に突き刺さるようだ。
「なあ、一つきいてもいいか」
目の前でアドルフがしゃがみ、僕と目線を合わせる。
「なぜ、引き返した。敵が潜んでいると分かりきっていたはずのところへ」
「それは……さっきも言った通りです。あの弓矢使いが、アドルフさんを狙っていると気づいて、それで」
「俺を助けようと、戻った?」
「そう、です」
しゃがんだ姿勢のまま、軍人は頭を垂れる。
数秒の沈黙が、妙に長く感じられた。
怒っているのか、呆れているのか……。
唇を噛みしめていると、アドルフはふいに頭を上げた。
その顔からは激高の色が消え、代わりに浮かべていたのは――苦笑。
「ありがとう」
「……え?」
思いがけない一言。
聞き間違いか、空耳かと疑った。
だが、軍人の男は穏やかな眼差しを僕に向けたまま、もう一度「ありがとう」と繰り返す。
「本当に戻ってくるとは思ってなかった。期待もしていなかった。だが……いざそう言われると、存外に嬉しいものだな」
「あ、あの。アドルフさん」
「ただし、次からはあまり無茶な真似をしないでくれ。殿下の身に傷一つでもつけた日には、俺の首が飛ぶ」
自分の首を手刀で切る真似をして、アドルフは小さく肩を揺らして笑った。
「まあ、今日のところは怪我もないようだし、大目に見てやるよ」
彼は立ち上がると、服についた草や小枝を払い落す。
その横顔は、いつもの冷静沈着な軍人のそれに戻っていた。
「連中のせいで予定が狂った。急ぐぞ」
くるりと背を向けて歩き出す。
見慣れたはずの後ろ姿は、先ほどよりも大きく頼もしく、僕の目に映っていた。




