幕間 ある令嬢とメイドの関係
全く本筋に関係ないので読まなくても問題ないやつです
黒和沢家。
玄木屋や花岸といった日本人であればだれもが知っているような大企業の創業者を筆頭に、財界の大物を多数輩出した、総資産数兆円とも言われる名家である。
複合商業施設のような巨大な本邸が東京都港区に存在するほか、全国各地に宝石の名を冠した別邸が存在しており、一族の人間はそれぞれその別邸に住んでいるという……とにかく「スケールが違う」という言葉がよく似合う一族だ。
さて、都内某区、駅から少し離れた閑静な住宅街に、黒和沢家の別邸のうち『瑠璃』の名を冠するものがあった。
一等地に建つ本邸と比べれば大きさこそ劣るものの、それでもこの住宅街においては場違いと言わざるを得ないほどの豪邸である。
そんな傍目から見れば城のようにさえ見える豪邸の、人を威圧するような大きさの門の前に、見るからに高級そうな車が停まった。
車が到着するよりも前から待機していた数人のメイドの前で、運転手である初老の男性が後部座席のドアを開けると、風に吹かれて車中から黒く艶やかな髪がたなびく。
降りてきたのは、一人の少女だった。
使用人たちを前に少し居心地の悪そうな顔をしながらも、佇まいは凛としていて、気品が伴っている。
彼女の名前は黒和沢藍璃。黒和沢家の三女であり、普段は学校に通い、黒和沢家の人間としての教育を受け――ネット上でエボニーの名を使い配信活動を行っているという、そんな特殊な高校生であった。
(次が十七時からだから、二時間は空くわね)
端末を開いてスケジュールを確認しつつ、彼女はこの屋敷のメイドを統括する、いわゆるメイド長を担う女性に声をかける。
「燈花は何処にいるのかしら?」
「先程、倉庫の清掃を命じました。急を要する物ではないのですが、仕事が欲しいとの申し出がありましたので」
「そう。なら問題ないわね。二時間借りるわ」
「かしこまりました」
それだけ言って、藍璃は足早に屋敷の中へと入っていった。
その様子をメイド達は眺めて……それからすぐにそれぞれ自分の仕事へと戻っていったのだった。
————
黒和沢家第三倉庫。
第一、第二と比べるとかなり使用頻度の少ないこの倉庫には、歴史を感じさせる様々な物が保管されている。
そこに、冴木燈花という名前のメイドがやってきた。
少し明るい色の髪をした彼女は、外見的には中学生か高校生か、と言うほどに幼い。
実際、年齢も16歳と言うことで、名家の使用人としては若すぎるということに間違いはなかった。
彼女は机の埃を払ってから、そこにいくつかの掃除用具を並べ、気合を入れるように小さくガッツポーズをする。
「よしっ」
気合は十分。早速掃除を始めよう……というところでなにか視界の端に気になるものを見つけたようで、彼女は一度掃除機を置いてからそちらの方へと向かった。
「よ……っと」
立てかけられた物の中から彼女が引っ張り出したのは、一本の竹箒だった。
最近では、もはや学校でも箒を使うことはない。彼女にとっても、実物を触るのはこれが初めてだった。
彼女は物珍しそうに箒をくるくると回しながら、倉庫の壁に取り付けられた鏡の前に立つ。
手に持った箒を鋭く払い、それから彼女は箒を回転させながら、自身もくるりと一回転した。
スカートの裾がふわりと浮き上がり、一緒に床に薄く積もったほこりが舞い上がる。
窓ガラスから差し込む光がほこりに当たって拡散し、キラキラと光り輝く中で、彼女はピシッとポーズを決め、それから口を開いた。
「オリエントブルーム……掃除の時間です」
「……ふふっ」
「ふあ!?」
背後から聞こえた笑い声に、燈花は思わず妙な声をあげてしまう。
恐る恐る振り返れば、そこにいたのはこの屋敷に住む令嬢その人であった。
「えっと……あの……」
そっと竹箒を置きつつ、彼女は目を逸らしながら聞く。
「……どこから見ていたのでしょうか」
「箒を引っ張り出した辺りからね」
つまり最初から最後まで見ていたらしい。
恥ずかしさで体が熱を帯びるのを感じつつも、燈花はどうにか平静を保った。
「そ……それよりも、私に何かご用でしょうか?」
「ええ。これから配信をしようと思うの」
倉庫の清掃がある、と言いかけた燈花を遮って、藍璃がつづける。
「加瀬さんには話を通してあるわ。倉庫は気にしなくても大丈夫よ。それとも、私と遊ぶのは嫌?」
「い、いえ! 黒和沢家に仕えるメイドとして、お嬢様が望むことは何でも致します!」
そう言って、燈花は竹箒を元あった場所に戻すと、すぐに藍璃の側に立つ。
一度倉庫の中を見てから、燈花の方に向き直って「部屋に向かいましょう」と言う藍璃の顔には、複雑な感情がにじんでいた。
(望むことは何でも、ね……)
燈花とともに自室に向かいながら、藍璃は昔のことを思い出していた。
藍璃がまだ小学生だった頃、本邸のメイドの一人が事故に遭い、一人娘を残して亡くなってしまったらしい。
件の一人娘はまだ小学生で、他に身寄りもなく、メイドたちの間でもどうしようかという話になっていたのだが、最終的に黒和沢家で引き取ることになった。
藍璃の父親が「娘の遊び相手になるだろう」と考えたのだ。
これまで家族とのかかわりが薄く寂しい思いをしていた藍璃はそのことに大変喜んだのだったが、しかし……家で母親からメイドの何たるかを叩きこまれていた燈花が、望まれていた通りの『藍璃の友人』になるはずもなく。
ほとんど同年代にも拘らず藍璃に対しては初対面から敬語は欠かしたことがなく、常に自分というものを出さずに、メイドとして藍璃を後ろからサポートする……主従としては百点と言える関係ではあったが、藍璃の望んだ友人像からかけ離れていたことは言うまでもない。
その態度を改善させるべく、藍璃が燈花をゲームに誘ったのが去年のことである。
いろいろと勘違いした父親が他のメイドにもゲーム関連の手伝いを命令するという想定外こそあったものの、二人はエボニーとエリスとして様々な世界を共にし、今では先ほどのような一面を見せるくらいには態度が軟化していっていた。
(とは言え、もっと友達のようになってほしいものなのだけど)
「——お嬢様?」
「……ん、ごめんなさい。少し考え事をしていたの」
「体調が優れないというわけでは……なさそうですね。フルダイブの準備ができましたので、どうぞ、おかけください」
藍璃はいつも通り、二つ連なったカプセル型の機械の片方に腰掛けた。
その様子を確認して、燈花は機械のドアを閉じようとし手を伸ばし……藍璃がその手を掴んだ。
「ど、どうかなさいましたか?」
「えっと……これって二人が同じ方に入っても動くかしら」
「無理だと思います……一人用のフルダイブシステムですので」
「そ……そうよね。ごめんなさい、少し焦ったというか、気が逸ったというか。閉めていいわよ」
少し顔を赤らめた藍璃に促され、燈花は機械を閉じる。
それからもう一台の機械を開け、その中に腰掛けて……藍璃に掴まれた手を見て自分の鼓動が早くなるのを感じながら、彼女は機械の蓋を閉めたのだった。




