第8話 食べちゃいたい
自分で言うのも何だが、あたしはかなり優秀な人間だと思う。
勉強はできるし、スポーツだって得意な方。誰とだってすぐに仲良くなれるし、嫌われることより好かれることの方が多い。
でも、そんなあたしにも致命的な弱点がある。
――家事ができない。
厳密にはできないわけじゃない。普段から最低限のことは自分でやっているし、実際、生活が成立する程度にはできる。
ただ不器用ゆえ、佐伯みたいに何でも高水準でテキパキとこなせない。
特に料理は苦手で、彼に作ってもらうまではそれはもう味気のない食事の毎日だった。
本当に、本当に、彼には助けられてばかり。
だけど、いつまでもその優しさに甘えたりはしない。今日あたしは、ちょー美味しい料理で佐伯の胃袋を掴んでみせる!
「ご飯は炊いてあるみたいですけど、メインは何を作るんです?」
「カレーだよ! ママ直伝、天城カレー!」
カレー。日本人なら誰でも知っている家庭料理の一つ。
胃袋を掴むとか言って簡単すぎないかって? いやいや、甘いね。お子様カレー並みの甘々思考だね。
さっきも言ったけど、あたしはバカじゃない。
無理に難解な料理を披露して失敗するより、お手軽に作れて確実に美味しいものを提供した方が絶対にいい。佐伯だってその方が喜ぶはず。
「この前、ママに会ってさ。その時に久しぶりに食べたくなって作ってもらったの。うちのカレー、本当に美味しんだよ!」
「いいですね。カレーって家庭の色が出るので、よその家のを食べるの好きなんですよ。天城さんのところは、どういう感じで作るんですか?」
「玉ねぎを大量に入れるの! みじん切りで、どっさーって!」
通常四個のところを、ママは倍の八個入れる。
他の具材は、ジャガイモと鶏の手羽元だけ。
これがシンプルでとても美味しい。
さて、まずは玉ねぎから。
こいつの調理が終われば、作業の八割が完了したと言っても過言ではない。
皮を剥いて水洗いし、ボウルに移す。八個全て剥き終わり、さて、と包丁を握る。
思い返すと最後に包丁握ったの、佐伯にオムライス……という名のチキンライスを作った時だ。何か久しぶりで緊張するな。
大丈夫、大丈夫……。
ただ、みじん切りにするだけだし。
事前に切り方は調べてある。一言一句、間違いなく記憶している。
それを頼りに、まず半分に。八個全てを二等分して……ふぅ、ここからが正念場だ。
面の方を下にして、端から縦に細かく切れ込みをいれてゆく。
猫の手で、ゆっくりと……うん、そうそう!
あたしってば上手いじゃん!
「っ! わっ、目がぁ……!」
「だ、大丈夫ですか、天城さん!?」
「だい、丈夫っ! 何でもないから!」
玉ねぎを切ると目が痛くなる――そんな当たり前のことを忘れ、指を切らないように手元をガン見しながら作業をしてしまった。
……やばい、涙が止まらない。
すごく痛い……けど、ちゃんとやらなきゃ。
今日はあたしが、佐伯の奥さんなんだから!
「天城さん、包丁を置いてください。僕が代わりにやるので」
「えっ、佐伯!? ダメだって、座っててよ!」
気づくと、彼が隣に立っていた。
包丁を持つあたしの右手にそっと自身の手を添え、優しく離すように促す。
「言ったじゃん、今日はあたしが奥さんなの! 惚れさせるための作戦なんだから、ちゃんと従って!」
「いえ、ですが……」
「ですがも何もないよ! それとも、あたしが作ったものが怖くて食べられないってこと!?」
そう口にして、まずいことを言ってしまったとすぐに後悔した。
別に佐伯は、そんなことは微塵も思っていない。きっとあたしが玉ねぎに苦戦しているから、親切心で手を貸そうとしてくれただけなのに……。
「……ご、ごめんなさい。今あたし、酷いこと言っちゃった……っ」
涙目でよく見えないが、彼はあたしを見て笑ったような気がした。
ガサゴソと何かを取り出し、今度は冷凍庫を開ける。何をしているのだろうと思っていると、「これ使ってください」とタオルらしきものを渡される。
「保冷剤を包んでいます。まぶたの上から当てて冷やせば、痛みが和らぐと思いますよ」
「えっ……あ、ありがと……」
言っているうちに、いつの間にか包丁は佐伯の手に。
トントンと、軽やかな音を鳴らす。あたしとはまるで違う、気持ちのいいリズムを刻む。
「天城さんの邪魔をしてしまったことは謝ります」
そう呟いて、刻んだ玉ねぎをボウルに移した。
「でも、これって夫婦ごっこなんですよね? だったら、困ってる奥さんをただ座って見てるとか、僕のしょうに合わないので無理です。仮に夫婦になるなら、僕は二人で一緒に悩んで頑張り合える夫婦になりたいので」
あたしの方を見て、彼は笑った。
「……って、何か臭いこと言ってますね、僕。い、今のは忘れてください……っ」
恥ずかしそうに……だけど、揺るぎない意思を持って。
……あぁあ。
あぅう~……!
んぁあ~~~~~!! もぉおおおお~~~~~~~~~!!
好き!! すきすきすき大好き!!
何だよこの男はよぉ!!
いつもいつもいつも、どれだけあたしのことキュンキュンさせたら気が済むのさぁ!!
やばい……やばいやばいやばいっ、ちょーやばい!! 抱き着きたい!!
今すぐギューッてして、ちゅっちゅしたい♡ でも料理中だからできないの辛い♡
うぎぃ~~~~~♡♡♡
我慢しろあたしぃ~~~~~♡♡♡
「玉ねぎを片付けてるうちに、天城さんはジャガイモの皮むきをお願いします。それと僕、これ終わったらあとは見守っているので安心してください」
「……っ」
「天城さん?」
「ちょ、ちょっと待って! 今あたし、戦ってるから! 佐伯を食べちゃいたい自分と戦ってるからー!」
「……はい?」
佐伯と出会って、早三ヵ月。
きっとあたしは、もっともっと、死ぬまで一生、彼の好きなところに出会い続けられると思う。未来のことは何もわからないけど、そう確信できる。




