44. オープナーと騒がしい日々
「ふわぁ~あ、ねみぃ」
だらしなく顔を歪ませ、アケィラは慣れ親しんだカウンターに上半身を突っ伏した。
その感触は今までとは少し違い、武骨な硬さだけではなく僅かに柔らかさを感じられるものだった。
その理由はカウンターにテーブルクロスが敷かれているため。
殺風景で本当に店なのかと疑うような店内は様変わりしていた。
ガラガラだった棚には商品が置かれ、壁には絵が飾られ、窓にはおしゃれなカーテンがかけられ、部屋の隅には観葉植物が置かれ、床には絨毯が敷かれ、店前には大きな看板まで置かれている。
それでも客がゼロで暇そうにしているのは立地が悪いからか、あるいはここ最近の一連の事件の中心人物がアケィラであると公開されていないからか、それとも両隣の家に潜む実力者達の気配を感じて近寄りがたくなってしまっているのか。
「ふふ、店内だけは死守したぜ」
空き家だった両隣の建物を国が買い取り、アケィラ達を守護する人員が待機している。当初はオープナー・フルヤの店内に用心棒を常に配置すべきだと言われたが、そんなことをされたらリラックス出来ないと断固拒否をした。その結果、両隣で二十四時間体制で監視、ではなく守護することになったのだ。
「だが気軽に色街へ出かけられないのは面倒だな」
取り戻した平穏は、以前と全く同じものではない。もしもアケィラが外出しようものなら、両隣から人が飛び出し着いて来ること間違いなしだ。来るなと言われても陰からこっそり警護しようとするに違いない。そんな状況で色街になどいけるはずもなかった。
尤もチキンハートであるがゆえ、以前から口だけでほとんど行けなかったのだが、それはそれとして、警護以外にも行けない理由があった。
カランカラン、と入り口のベルがなり、アケィラはゆっくりと体を起こす。
「ただいま! おにいちゃん!」
「おう、おかえり」
入って来たのはノリィ王女。
彼女がこの店までついてきてしまったのだ。
名目上は社会勉強と魔法の訓練。
膨大な魔力を正しく扱えるよう、アケィラを師として仰ぎ、同時に社会の仕組みを理解する。
もちろん大事な王女を一人にして預けるなんてことはなく、今日も外出中は護衛がお供していた。
「お勤めご苦労、帰って良いぞ。むしろ帰れ」
「そんなに邪険にしなくて良いだろう!?」
「ちゃんと買い物出来たか?」
「うん!」
「無視するなー!」
カミーラの抗議を無視してノリィ王女の頭を優しく撫でてあげ、買ってきて貰った物を確認する。
「うん、ちゃんと買えてるな」
「えへん」
ノリィ王女は喜ぶとアケィラの膝の上に座った。
「これで魔法を教えてくれるんだよね、おにいちゃん先生!」
「ああ、買ってきて貰ったこの石を使うんだ」
「あの、アケィラさん? ずっとこのまま無視するつもりですか?」
完全に居ないものとして扱われているカミーラが今度は少し涙目で抗議した。女の武器を意図的に使っているのではなく、割と本気である。
「うるさいなぁ。ダンジョンにでも行ってきたらどうだ?」
「ぐぬぬ。アケィラが以前よりも冷たい」
「だってお前、オーマジクに手も足も出なかったじゃないか。鍛えて来なくて良いのか?」
「ぐは!」
何気ない指摘がカミーラのメンタルにクリティカルヒットした。
戦争で一番活躍しなければいけない場面で何も出来なかったことが相当悔しかったのだ。
「トゥーガックスだって新しい魔法の可能性やらとかを探しに旅立ったんだぞ。お前は何してるんだ」
「だ、だってカミーラがダンジョン深層は一人で潜っちゃダメだって……」
「仲間探せば良いだろ。いつまで同じこと言わせんだ」
「ノリィ王女の護衛の仕事とかもあるし」
「護衛なら両隣に山ほど住んでるから要らん」
「ううっ……」
カミーラだってこのままではまずいと分かっているのだ。
だがそれでも不安でここを離れることが出来ない。
「(あいつがついにアケィラに手を出そうとしたんだ。失敗したらしいが、聖女と仲が良いなんて話も聞いたし、このままじゃ誰かに先を越されてしまう!)」
あいつとは司書のこと。
そして司書だけではなくアケィラを狙う女性陣は日に日に増えている。
ノリィ王女だって、まだ幼いけれど油断は出来ない。
その結果、護衛の仕事を引き受けながらアケィラの元を離れられない生活が続いてしまっていた。
「どうせこの調子だと残りの四天王とか魔王とかと関わることになるんだろ。その時にまた足手纏いになるつもりか?」
「うわああああん!」
アケィラは決してカミーラのことを足手纏いだなど思っていない。
ただ、そうでも言わなければ踏ん切りがつかないのだろうと思って煽っただけ。
「アケィラの馬鹿ああああ!でも好きいいいい!」
その結果、カミーラは店を飛び出して行ったのだった。
「おにいちゃん、あれで良かったの?」
「気にするな。いつものことだ」
アケィラにとって大事なのは平穏な日常だ。
厄介ごとを持ち込みそうな面々が店を離れ、ノリィ王女に魔法制御を教えながらまったりと店番が出来るのであれば、それに越したことは無い。
だが平穏が戻って来たとはまだ言い難い。
「相変わらずですね、アケィラ君」
「ふん。ちっとはマシな店になったじゃない」
「こ、こんにちは」
「お元気ですか?」
カミーラと入れ替わりで、今度は勇者パーティーが入って来たのだ。
「帰れ、授業中だ」
もちろんアケィラはいつも通り彼らを追い返そうとする。
「そんなに邪険に扱わないで下さいよ。今日はこれを渡しに来ただけなんですから」
「封筒?」
「はい、あなたのお姉さんから預かりました」
「ふ~ん」
エィビィはすでに実家に戻って帝国貴族当主として仕事に励んでいる。これまでも何度も手紙を送ってよこし、そこには他愛も無いことしか書かれていなかった。
どうせ今回もそうだろうと、大して期待せずに勇者から封筒を受け取りすぐに開いてみた。すると中には何枚もの便せんが入っている。
『アケィラちゃあああああああああん!会いたい会いたい会いたい会いた……』
一枚目をそっと封筒に戻して四枚目を取り出したら、そこには冷静な文章で本題が書かれていた。
内容を端的に表すとこうなる。
帝国のお家騒動が片付きそうなので気を付けろ。
「はぁああああマジかああああ」
長く続いていた醜い争いに終止符が打たれたとなると、まずは世界的に話題になっている神に遭遇した異世界人に興味を抱くのは自然な流れであろう。その異世界人が帝国貴族の養子となっているのだから、戻って来て様々な知識を授けろと言いたくもなる。
そして問題がもう一つあった。
『近いうちにパパとママがそっちに行くってさ』
「…………そりゃそっか」
アケィラを溺愛しているのは姉だけではない。
むしろ養父と養母の方が遥かに溺愛していたといっても差し支えない程だった。
そんな二人がアケィラの居場所を知り、来ない訳が無い。
いずれこんな日が来るだろうなとは覚悟はしていたが、また面倒なことになりそうだと気が重いアケィラであった。
「帝国の動きがどうにもキナ臭いから、これから僕達は帝国に向かおうと思う」
「そうなのか?」
「嬉しそうにするんじゃないわよ!」
最も大きな面倒事を持ってきそうな勇者が遠くに旅立つと知り、つい喜びが顔に出てしまった。
「こんなんが使徒様だなんて、皆が知ったらがっかりするわね」
「その呼び方は止めろ」
使徒様。
イナニュワからそう呼ばれたことでアケィラは心底嫌そうな顔になった。
「使徒様の機嫌を損ねないように言うことを聞けって皆を脅したのはどこのどいつだよ」
「俺は神に会ったことと、名前を使って良いって許可もらったことと、平穏に暮らしたいって言っただけだ。使徒だなんて一言も言ってない」
「明らかに勘違いさせようとしてるじゃない!」
「そんなの知らん」
アケィラが王城から店に戻れた理由。
それは自分が神と深い関係がある人物だと周囲に思わせて、我儘を通しやすくするため。
どれだけ丁重に保護したくとも、異世界の知識を無理矢理にでも引き出したくとも、本人がそれを望まないのに無理矢理そうしたら神の怒りに触れるかもしれない。
実際は絶対にそんなことはないとアケィラは知っているのだが、都合が良いので黙っている。
その結果、神の使徒だなんて勝手に思われてしまっているわけだが。
「(名前を使って良いって言質は本当にとってあるんだ。教皇みたいに私利私欲で世の中を荒らしているわけでもないし、このくらいは良いよな)」
神の名を使って強引に平穏を取り戻したアケィラ。
そのことに勇者パーティーは気付いていて、勇者も苦笑いしていた。
「そうだ、そのことで報告があったんだった」
「そのこと?」
「うん。と言っても同じ神様の話でもアケィラ君じゃなくて、聞きたくないかもだけど教会がどうなったか」
「確かに興味無いな。でも今後面倒なことになるかもしれないから聞いとくか」
ここで知らぬ存ぜぬをしたことで、平穏が脅かされる危険性に気付かない可能性がある。何しろアケィラは教会の上層部からは大層恨まれているはずなのだから。護衛達が守ってくれてはいるが、それを掻い潜って何かをやってくる可能性もあるため、聞いておくに越したことは無い。
「まず教皇をはじめとした私欲で暴走した連中だけれど、戦争で王国が勝利した瞬間に教徒たちに確保されたんだって」
「教徒達に?」
「相当腹に据えかねてたんだろうね。王国にとってはあくまでも他国の偉い人だから侵略行為にならないようにどうやって罰しようかと悩んでたらしいけど、そんなことをするまでもなく捕らえてくれたから、逃亡されなくて助かったよ。現在は余罪を徹底的に洗い出して処刑待ちってところかな」
「当然だな」
今更だが自浄作用が働いたということだろうか。そのきっかけとなったのがアケィラの存在だったのだ。神様に会った異世界人が明確に教皇を否定してくれたことで、踏ん切りがついたのだ。
「魔族との繋がりとか、アケィラ君にとって因縁のあるコゥカ伯爵との繋がりとか、真っ黒な話が沢山出て来てるらしい」
「おいおい、それじゃまさかここしばらくの一連の面倒事って」
「全部教皇が原因かもしれないね」
「……ぶん殴ってやりてぇ」
魔族との決戦の裏にはコゥカ伯爵がいて、コゥカ伯爵もまた教会に唆されていた。
カロール村の異変も教会が引き起こしたものであり、教会が何もしなければアケィラの平穏が脅かされることにはならなかった。そう考えると怒りをぶつけたくなるものだ。
「気持ちは良く分かるよ」
「その割に勇者君はなんか嬉しそうなんだが」
「僕はきっちり殴ってやったからね」
「は?」
「例の私とミュゼスゥを狙ったクソ野郎のことよ」
ミュゼスゥが呪われた時、解呪して欲しければ体を差し出せと教会で言われた。
その時の男を、勇者パーティーはフルボッコにしていたのだった。
「最高にスッキリするからアケィラ君も是非教皇を殴ってくると良いよ」
「やだよめんどくせぇ」
気分的には原型が分からなくなるまでボコボコにしたいところだが、そのために皇国になど向かったら信者達に囲まれて帰れる気がしない。流石にそんなリスクは負えなかった。
「残念。次の教皇にアケィラ君を推す声があるらしいから、教皇になっちゃうかなって思ったのに。教皇になったアケィラ君の姿を見たかったなぁ」
「ぶはっ! なんの冗談だ!?」
「冗談も何も、神様に近しい人に上に立ってもらいたいのは信徒としては普通の感情じゃないかな」
「くっ……」
すでに関係は終わっていて近くは無いのだが、ここで強く否定してしまったならば、今度はそれならばと国に利用されまくってしまうかもしれない。神との近さを匂わせて自由を得ているからこそ、面倒なことになってしまっていた。
「しばらくは教会とは関わらない方が良いと思うよ」
「言われなくてもそうするさ」
元から関わる機会なんて全く無かったのだ。
普通に暮らしていれば大丈夫に違いない。
なんて甘く考えてしまっているがゆえに、オチが読めたようなものだが。
「じゃあ僕達はそろそろ行くね」
「ああ、気をつけてな」
「そうだ、もう一つだけ言うことがあった」
「は?」
「この街の領主様からだけど、なんでも教皇の部屋から鍵が見つかったとかなんとか。僕には良く分からないけれど、アケィラ君なら分かるって言ってた」
「鍵……?」
アケィラは完全に忘れていたが、それは商業ギルドが店に持ち込んだ宝石箱と、領主の館の金庫から出現したものである。それと全く同じものが教皇の部屋から見つかったのだ。
後にこの鍵がとんでもない事態を引き起こすことになるのだが、今のアケィラがそのことに気付くはずもなかった。
「ということで、今度こそ終わりだから行くね」
その言葉を最後に、勇者パーティーは店から出て行った。
カミーラとトゥーガックスは修行へ。
勇者パーティーは帝国へ。
姉も帝国からしばらくは離れられない。
面倒事を引き起こしそうな主な面々が、少しずつアケィラの元から離れて行く。
これまでトラブルが続いていたから、その反動でようやく平穏が来たのだろうか。
アケィラは気分良く、今度こそノリィ王女に魔法を教えようとしたのだが。
「外がうるさいな」
オープナー・フルヤの店前は閑静な通りで普段人の声などほとんど聞こえないのだが、まるで祭りでもあるかのように大勢の声でざわめいている。
何があったのか外の様子を魔法で確認しようと思ったら、物凄い勢いで入り口の扉が開かれた。
「アケィラ様! 奥へお下がりください!」
「は?」
入って来たのは焦った様子の護衛の一人。
そしてその後ろには白いローブを着た集団がいた。
「使徒様!」
「使徒様だ!」
「おお、あれが使徒様!」
「是非ともお話を!」
「きゃあああ!使徒様あああ!」
彼らは教会の信徒達。
そして彼らはアケィラを見て『使徒様』と呼び、喜びの声をあげるではないか。
使徒が誰なのか。
国はそれを明らかにしていない。
だが人の口に戸は立てられない。
使徒がオープナー・フルヤの店主であるという噂が、教会の信徒達の間で広まってしまい、一気に押し寄せて来たのだ。
「大変なことになっちゃったね。おにいちゃん」
膝上のノリィ王女が見上げると、アケィラの顔は真っ青になっていた。
せっかくやってきたと思った平穏が、勇者達と共にまた旅立ってしまったのだから。
「どうしてこうなったああああ!」
オープナ・フルヤ。
しばらくぶりにオープンしたその店で、また新たに騒がしい日々が開幕するのであった。
以上で完結になります。
伏線色々残してますが、続きは予定してません。
当初はアケィラが店でチマチマ依頼をこなすだけのお話にするつもりがどうしてこうなった。




