36. 聖女と奇跡の箱
「ん……ここは?」
ぼんやりとした意識の中でアケィラは光を感じ、ゆっくりと瞼を開こうとする。しかし視界は定まらず、自分が何処にいるのかも曖昧だ。一つだけ分かるのは、全身が温かな何かに包まれているという感覚だけ。
「朝……?」
自分がベッドで寝ていることに気付いたアケィラは、朝が来て目が覚めたのかと感じたが、まだ眠いのでもう一度意識を閉ざそうと瞼をしっかりと閉じた。
「待って待って。寝ないで起きて」
「…………ん?」
だが脳内に直接響くような明るい声が、アケィラの眠りを妨げる。
「ふわぁあ、誰だ?」
アケィラが寝ている部屋は夜でも警備が万全であり、不審者が入ってくることはない。ゆえに知り合いの誰かに起こされたのかと思ったが、聞き馴染みの無い声であると気付いて慌てて体を起こした。
敵が警備を掻い潜って攻めて来たかも知れないと考えたからだ。
「くっ……なんだ……これは……意識が……重い……」
慌てたことではっきりと目覚めるかと思ったのだが、相変わらず夢の中を揺蕩っているような感覚が消えてくれない。視界もぼやけたままで、ここが寝室であることが辛うじて分かるくらいだ。
「起こしてごめんね。正確にはまだ夢の中だけど」
「なん……だって……?」
周囲を確認すると、ベッドの脇にぼんやりと人型の光が漂っていた。一瞬警戒したが、その光があまりにも穏やかで温かいため、その警戒が強制的に解除されてしまった。
「(相手の感情を操作してくる敵とか、絶対強いやつじゃねーか。やべぇ)」
警戒心が強制的に変化させられたことで、逆にアケィラの警戒を強めることになってしまった。心が穏やかにさせられているのに、その状況でも警戒をするのは中々に苦労することのようで、アケィラは心の中で必死に戦ってた。
「ああ、ごめんごめん。そんなに警戒しないで。ほら、これならどう?」
「…………ふぅ」
心が自由になった感覚になり、アケィラは遠慮なく警戒をしながら一息ついた。
「ごめんね。気持ちが穏やかになった方がお話ししやすいかなって思ったんだけど、逆効果だったみたい」
「…………誰だ?」
「う~ん、今なら大丈夫そうだね。えい!」
「!?」
その瞬間、ぼんやりと漂うだけだった光が明確な形をとった。
「その姿、まさか聖女か!?」
「そうで~す。皆のアイドル、聖女ちゃんで~す」
「…………なんだ夢か」
「あ~寝ないで!ごめんなさい調子に乗りました~!」
涙目で慌ててアケィラに呼びかけようとする姿は、聖女というよりもただの少女のようにしか感じられなかった。
「ったく、何なんだよ。というか何が起きてるんだよ」
「ごめんごめん。リラックスしてもらおうと思ったのに、全部裏目っちゃった。私っていっつもそうなんだよね」
「…………説明してくれ」
「は~い」
なんとなくだが、面倒そうな相手だなと心の中で嘆息するアケィラであった。
「ここは貴方の夢の中です。そこに私が入り込んで、こうしてお話しをしに来ました」
「夢の中……だからいつまでも感覚がぼんやりしてるのか」
起きたはずなのに意識が全くシャキっとしない。
まるで夢の中にいるかのようだと思ってはいたが、本当に夢の中だったらしい。
「それで聖女様がどうして俺の夢に出て来たんだ。というか、本当に聖女なのか?」
「この聖女オーラが目に入らぬか」
「やっぱり敵か」
「なんでぇ!?」
相手のふざけた対応に対抗したようにも見えるが、別にアケィラはそういう意図があったわけではない。
「命を狙われてるんだ。聖女のフリをした敵が仕掛けて来たって思う方が自然だろ」
教会ならばそのくらいのことは平然とやってくるはずだ。
しかも最初に警戒させないような何かを仕掛けて来た。怪しまないわけがない。
「お兄さん命を狙われてるの!? そりゃあ怪しまれちゃうか」
「まるで俺のことを知らないかの様子だな」
「うん知らない。ずっと閉じ込められてたから外の様子なんて全く分からないもん」
「嘘くせぇ」
「本当なのに~、ほらほら、この聖女オーラで信じてよ」
「嘘くせぇ」
確かにその少女から感じられる雰囲気は聖なるものと言っても過言では無いだろう。だがそれも、そう感じさせるための罠の可能性が否定できない。
「そもそも私がお兄さんに何かするつもりなら、起こさないでとっくにやってるよ」
「(夢の中で起こさなければ手を出せない制約があるかもしれない。そもそもここは本当に夢の中なのか)」
疑えばキリがなく、かといってどうすれば信じられるのかという答えも無い。
「分かったよ。信じられないが話だけは聞いてやる」
「そうこなくっちゃ」
「それで良いのかよ」
「うん。最初から信じてくれるとは思ってなかったし」
本当に聖女なのに、などといじけそうなタイプだとアケィラは感じていたので、少し意外だった。
「それで、聖女様はどうして俺に会いに来たんだ?」
「その前に教えて欲しいな。お兄さん誰?」
「そういやさっきも俺の事知らないって言ってたな。なんで見ず知らずの相手の夢に化けて出てくるんだ」
「化けてないし!死んでないし!この奇跡は誰の夢に出るか選べないの」
「は?」
「私の望みを一番叶えてくれそうな人の夢にお邪魔するって奇跡だから」
「微妙に不便だな。いや、便利なのか?」
自分で対象を選べないのは不便なように思えるが、自分が知らない人も含めて自動的に最高の相手が選択されるというのは大きなメリットだろう。
「ということでお兄さんは誰なの?」
「しがないオープナーだ」
「オープナー?」
「分からないなら気にするな」
「気になる……でももっと気になるのはそのしがないお兄さんがどうして選ばれたんだろう?」
「何かの間違いだろ」
「奇跡が間違えたことなんて今まで一回も無いよ」
「じゃあ今が最初の一回だ」
「え~そんなことある? それにこの部屋ってかなり豪華だし、やっぱりお兄さん偉い人なんじゃないの?」
「何かの間違いだ。諦めて他の人の夢に入り直せ」
聖女と知り合ったら面倒事にしかならない。
そう思ったので知らぬ存ぜぬでこの場をやり過ごし、他の人に任せようとするアケィラだった。
「それは出来ないんだよ~」
「何でだ?」
「何故か分からないけど大量の聖力の補給が来たから、それを使ってこの奇跡を起こしてるんだ。もう一回これやる余裕ないの」
「折角補給したのにいきなり使うなよ!」
教会に聖女の命を盾にされないように、ある手段を使ってこっそりと聖力を補給したのに、この聖女はそれをすぐに使ってしまったのだった。これではまた聖力がカツカツになってしまう。
「ということはお兄さんが補給してくれたの!? ありがとう!」
「うっ……そ、そういう話を聞いただけだ」
「そんな大事な話を聞けるだなんて、やっぱりお兄さんは凄い人なんでしょ」
「ぐうっ」
能天気に見えるからと侮ってしまったのか、アケィラの立場が聖女にバレつつあった。
「でもどうやって教会の人達を説得したんだろう。私の周りって教皇の息がかかった人達で囲まれているから、補給するチャンスなんて無かったと思うんだけど」
「はぁ……教会の連中じゃなくても聖力を補給する方法に気付いたんだよ」
「そうなの!? すごーい! 聖力の正体に気付いたんだ!」
もう一度この奇跡を起こすことは難しいと聞かされたアケィラは、仕方なく自分で情報収集をすると決めたようだ。聖力の再度の補給は可能だが、教会にバレずにいつまでも可能かと言われると微妙なところだったのだ。
「もしかして気付いたのがお兄さんだったりして」
「さぁな。それよりさっさと話したいことを言え」
「あ~誤魔化そうとした。やっぱりお兄さんって凄い人だったんだね」
「うるさい。話せって言ってるだろ」
「は~い」
アケィラの凄さがなんとなく分かったからなのか、聖女は安心したかのような笑みを浮かべていた。
「私からのお願いは一つだよ。私達を見捨てて欲しいの」
「は?」
あまりにも突拍子もないお願いに、アケィラは眉を顰めた。
何しろ自分達が助けようとしていた人から、見捨てろと言われたのだから。
「これは私だけじゃなくて、あの空間異常に閉じ込められた人の総意だよ」
「…………」
「もちろん王妃様も承諾してる」
「…………」
「どうせ私達を人質にして、教会が好き放題やってるんでしょ。それで多くの人を悲しませるくらいなら、助かるかどうかも分からない私達を見捨てて欲しいの」
「…………」
聖女は外の状況を知らない様子だった。
だが知らなくとも教会の性質を知っているが故に、簡単に予想はついたのだった。
「お前は村の人と話が出来るのか?」
「ううん。私は基本的に心も体も封印して奇跡を維持するだけの存在にしちゃってるから」
人間としての心が残ったままだと、何年も動かずに奇跡を維持するだなど気が狂ってしまう。そうならないために、自身に徹底した封印を施したのだろう。
「ただ、それだと奇跡を終了しても良い時が来ても気付かなくなっちゃうから、時々ぼんやりと意識が浮上する時があるの。その時にカロール村の人達が話しかけてくれるんだ」
「カロール村の人達も話せる状態なのか?」
「うん、別空間に隔離する奇跡を使ってるから、そこで生活してるよ」
「別空間……流石奇跡と言ったところか」
今のアケィラでは何をどうすればそれを起こせるのか分からない。
あるいはいつも通りその瞬間を視れば分かるのだろうか。
「ならわざわざ死ぬ必要はないだろ。お前達はただの被害者だ。外の世界で何が起きようが気にする必要なんかない」
「あはは、そう割り切れたら楽なんだけどね」
「…………」
自分のせいで誰かを苦しめてしまっているかもしれない。
たとえ自分が最大の被害者であったとしても、どうしてもそういう気持ちを抱いてしまう。
カロール村とは心優しい人が多く集まった村なのかもしれない。
「それに隔離した空間も広くは無いから、村の人達もストレスが溜まっちゃってるんだ。このまま狂うくらいならって言い出し始めてるの」
「そうか……」
その空間がどういう場所なのかは分からないが、生きることは出来ても快適な場所では無いのだろう。数年間も我慢できていたことがあるいは本当の奇跡なのかもしれない。
「お前達の事情は分かった」
「良かった。じゃあ他の人にもこのことを伝えてあげて」
「聖女が夢に出たから見捨てろなんて言っても誰も信じないと思うが」
「大丈夫。今頃陛下の夢にも王妃様が出現してるはずだから。二人セットなら信じて貰えるでしょ」
「…………陛下、今頃ボコボコにされてそうだな」
「あはは。多分ね~」
王妃は心優しい人物ではあるが、恐妻としても知られている。
陛下が王妃を見捨てられず教会をのさばらせて国民を苦しめただなど知ったら、魔法で灰にされてもおかしくない。
「お前はやっぱり本物の聖女だったんだな」
「いきなり何? なんか照れる」
「別に他意は無い。教会の連中の攻撃だったら、見捨てろなんて絶対に言わないからな。自分達が不利になるだけだし」
「なるほど確かに」
目の前の存在は間違いなく聖女だとアケィラは確信した。
だからというわけでも、意地悪していたわけでも無いが、諦めかけている聖女にようやく希望の光を照らしてあげる。
「だが俺達はお前らを見捨てない」
「……どうして?」
「もうすぐ助けられるのに、見捨てる意味が分からないからな」
「え?」
悪戯が成功したかのように笑うアケィラと、呆気にとられた顔になる聖女。
「(こいつこんなに可愛かったのか)」
色々と警戒したり考え事をしていてアケィラは気付いていなかったが、今になって聖女がかなりの美少女であることに気が付いた。
「き、気休めは止めてよ」
「気休めじゃない。今頃陛下も同じ説明をしているはずだ」
「え、マジの?」
「マジだ」
「大マジ?」
「大マジ」
「冗談じゃ済まされないよ?」
「だからマジだって。空間異常を治す手段はもう見つかって準備中だ」
「ええええええええ!」
死を覚悟した途端、いきなり救われるだなど言われたら、そりゃあ全力で驚くだろう。聖女は顎が外れるくらいに口をあけ、その間抜けな姿で美少女が台無しになっていた。
「だからお前らは悲劇のヒロインらしく大人しく待ってな」
「そういうわけにはいかないよ!それならそれで言わなきゃならないことが山ほどあるし!」
「ん?」
「教会の戦力とか、今の村の周囲の状況とか、他にもたくさん!」
「なら言えば良いだけだろ。覚えてられるか分からんが、陛下も同じこと聞いてるだろうし、擦り合わせればなんとかなるだろ」
「うううう、こんなことになるなら準備して来たのにぃ~!」
悔しそうに地団太を踏む聖女の姿を、アケィラは微笑ましそうに見ている。
彼女の表情が嬉しくて嬉しくてたまらないといった感じだったからだ。
「お兄さん、ありがとう」
「俺は大したことはしてないよ。それに、感謝するのは全部終わってからだ」
「大体お兄さんのことが分かって来た気がする。終わっても面倒だからって感謝させてくれないつもりでしょ」
「うっ……」
「たとえ逃げても絶対に見つけて感謝するからね!」
「わ、分かったよ」
逃げた方が面倒なことになりそうな予感がして、受け取らざるを得ないと判断するアケィラであった。
「お礼は何が良い?」
「言葉だけで良い」
「そういうわけにはいかないって。う~ん……そうだ、結局オープナーって何なの?」
「開かない物を開ける店のことだ」
「開かない物を……? 変わった店だね」
「かもな」
変わったどころか、おそらく世界で唯一の店だろう。
「なら開けて欲しい物を持って行くよ。お兄さんはそういうのが喜ぶタイプと見た」
「…………別に良い」
「その反応。予想通りだね」
「マジで気を使うな。どうせ鍵を失くした宝石箱とかそういうものだろ」
「ふふん。そんなつまらないものじゃないよ。絶対にお兄さんが気に入るもの」
これまで多くの物をオープンしてきたアケィラに、聖女は堂々と宣言した。
きっとアケィラの実力を知らないからそう言えるだけだろうと、アケィラは期待していなかったが、次の聖女の言葉に見事に興味を惹かれることになってしまった。
「本当の聖力でないと開かない箱だよ」
「なんだと?」
「聖女の力ってね、魔力を本当の聖力に変換して奇跡の魔法を発動するものなんだ」
「じゃあなんだ。その箱の開け方が分かれば奇跡の仕組みも解析可能ってことか?」
「分かれば、だけどね」
「…………ふっ、言ったな。面白い。良いだろう、その依頼オープナー・フルヤが請け負った!」
面倒事など大嫌い。
聖女なんか勇者と同じく面倒事の塊でしかない。
だが心底面白い依頼を持って来てくれるのであれば話は別だ。
聖女の提案はアケィラがやる気を出すに十分なものであった。
「だからもう少し頑張れ」
「っ!? はい!」
だがそのやる気も、聖女を勇気づけるための演技だったのかもしれない。
その優しさこそが、アケィラの根底にあるものなのだから。




