32. 暗殺者と封じられた心
「来客者?」
「はい、アケィラ様と是非お話ししたいという方がいらっしゃいまして」
謁見の時の待機室。
そこでアケィラがノリィ王女と雑談をしていたらメイドがやって来て来客の知らせを持って来た。
「(王族や偉い人ならわざわざこんな回りくどい言い方をしないよな。だとすると誰だ?)」
例えば宰相の場合は『宰相がお呼びです』と問答無用で呼び出されるだろう。あるいはアケィラに気を使って会いに来る場合でも相手が宰相だとしっかりと伝えるに違いない。
しかしメイドは相手が誰なのかをはっきりと伝えようとしない。つまり言い辛い相手ということだ。
「(相手は王城に入れる人物。貴族か? だが貴族であってもそれなら明言するはず。誰かは分からないが、絶対に面倒な相手だろ)」
「何処でお話しすれば良いのでしょうか?」
「こちらに来るそうです」
「ここか……」
確かにこの待機室はソファーとテーブルがあり話をするのに向いている。
だが一点だけ向いていないことがあった。
「ノリィ王女、申し訳ありませんがお部屋にお戻り頂けますか?」
誰かも分からない相手と話をするのに王女が同席するというわけには行かないだろう。
「……はい。分かりました」
王女は少し考えてから素直に頷き、待機室を後にした。
「それで俺に会いたいってのはどなたですか?」
「教会のシスターです」
「(最大級に面倒な相手じゃないか)」
この国では教会の権力が強い。用の無い一般人では入れない王城に入れる上に、メイドに訪問の連絡をさせることが可能なのも、それを象徴している。
「(だがカロール村の修復をするのであれば、避けては通れないか)」
教会とカロール村。
この二つが密接に関係していることは周知の事実だった。
「分かりました。それではこちらで待っていますのでお呼び下さい」
「かしこまりました」
メイドは丁寧に礼をすると待機室から出て、シスターを呼びに行った。
するとすぐに扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
アケィラは立ち上がり来訪者を出迎える。
「失礼します」
ゆっくりと開けられた扉から入って来たのは、全身を覆う紺色のローブのシスター服を纏った女性。
「(色仕掛けで来たか)」
シスターは絶世の美女と言っても過言ではない程に美しく、並みの男であればすぐに見惚れてしまうだろう。
だがアケィラはカミーラなどの美少女に絡まれていたこともあり女性に耐性があり、そもそも商売女以外の女性を性的な目で見ないようにと日頃から心がけていたので誘惑されることは無かった。
「(しかもなんだあの腹のベルト。全身ローブだから普通は体型が隠れてるのに、あのローブのせいで胸が強調されてシスター服が卑猥な感じになってやがる。やはり色仕掛けの線が濃厚だな)」
アケィラは街でシスターを見たことが何度もあるが、彼女達は腹にベルトなどつけていない。
目の前のシスターはベルトのおかげで胸と尻の膨らみが強調されており、清廉さの欠片も感じられない。
「うふふ、初めましてアケィラ様。フィナと申します」
妖艶な笑みを浮かべて色気を演出するシスターに、アケィラは顔を顰めてしまいそうになるのをどうにか堪えた。
「どうも。こんなところまで来てもらって申し訳ないが、俺はあまり信心深い方じゃないから大層なお話とかできないぞ」
最初から口調を崩すくらいには、アケィラにとって彼女は敵に近い印象があるのかもしれない。
「うふふ。それは残念ですね。ですが本日お伺いさせて頂いた理由は別にあります」
「だろうな」
ただの挨拶のようなもので、信仰について話をしに来ただなど本気で思ってなどいなかった。
二人は向かい合うようにソファーに座って話を進めた。
「カロール村の修復を担当なさるそうで、教会としても是非挨拶をせねばと思った次第でございます」
「いずれ来ると思ったが、あんたみたいな若い女性が来るとはな。それとも見た目は若くても司教とかだったりするのか?」
「さぁどうでしょう。うふふ」
露骨に誤魔化そうとするフィナの様子をアケィラは訝しむ。
「(何故立場を誤魔化す。教会の上層部など権威に憑りつかれた者だらけだろうが。自らの立場を胸を張って宣言するのが普通であって、隠す意味が分からない)」
嫌な予感がしてアケィラは自然と警戒を強めるが、その僅かな変化を悟られてしまった。
「そんなに警戒なさらなくても結構ですよ」
「(いやするだろ。露骨な色仕掛けをしてきている上に不自然に立場を隠そうとしてるんだぞ。どうやって警戒を緩めろっていうんだ)」
「もしアケィラ様がお望みであれば身の潔白を証明して仲良くしましょうか?」
「止めろ脱がんで良い」
「うふふ」
まるで色街を歩く娼婦のようだとアケィラは思うが、それで興奮するようなことはもちろんない。相手が商売女でなくシスターだからではなく、嫌な予感が今も増大しているからだ。
「さっさと用件を言え」
「本来であれば神について共に語り合い、お互い素の姿で心を紡いでからにしたいところですが、アケィラ様は手間がかかる面倒事がお嫌いと伺っております。ここは素直にお伝えしましょう」
「(まぁそりゃあ下調べはしてあるわな)」
素の姿云々は完全にスルーするとして、自分の性格が知られていることについては特に気になることでも無かった。むしろもっと詳しい事情まで調べ尽くされているだろうと予想していたからだ。
「カロール村の修復は本当に可能なのでしょうか。それを伺いたく参りました」
「今のところは分からない」
「と言いますと?」
「魔法使いの連中がどこまで出来るようになるか次第だな」
「アケィラ様お一人でなんとかなさるわけではないと」
「はは。俺一人の力なんてたかが知れてるさ」
もしここに彼を知る者がいたならば全力で否定するだろう。
今回のカロール村の件にしても、アケィラが教師役として空間の歪みの修復方法を教えなければならず、アケィラの存在は必須なのだ。
「うふふご謙遜を」
フィナもそのことを分かっているのだろう。アケィラの言葉を本気で受け取っている様子は無かった。
「ですが修復可能かもしれない、というだけでも素晴らしいことですね」
「本当にそう思っているのか?」
「もちろんです。聖女様もその時をお待ちしているでしょう」
「聖女様、か。空間の歪みに巻き込まれた人々を守っているらしいが、本当にそんなことが可能なのか?」
村全体の空間が歪んでしまったため、普通であればその中にいる人々は間違いなく死んでいる。だが教会の聖女が何らかの方法で彼らが死なないように守っていた。
「信じられないのも仕方ありませんが間違いありません。聖女様は今も奇跡を起こし続けております」
「その代わりにその村から動けないんだろ」
「悲しいことですが聖女様がお望みになられたことですから」
奇跡を行使し、村人たちを守ったとしても空間の歪みが修復されたわけではない。故に奇跡を止めてしまったのであれば村人たちは即死してしまう。故に彼女はカロール村に対して四六時中奇跡を起こし続けているのである。
「どうせ奇跡を起こすなら人々を外に出すような奇跡を起こせば良いのに」
「奇跡といえども万能ではないということなのでしょう」
「そりゃそうか」
教会は奇跡だなんて呼んでいるが、恐らくは何らかの魔法の一種なのだろうとアケィラは予想していた。近くで見ればカラクリが分かるかもしれないが、残念ながらアケィラは聖女に会ったことがまだ無かった。
「ああ聖女様。睡眠をとることも食事をとることもせずにその身全てをカロール村に捧げて人々をお救いなさる献身はまさに神の使途と言って良い振る舞いです」
「その高潔なお方を封印して奇跡を行使するだけの存在と化したのに罪悪感を感じないのかね」
「勘違いなさらないでください。全ては聖女様のご指示によるものなのです。わたくしたちは涙ながらに聖女様をかの地に封印し、奇跡が潰えないように魔力を供給しているのです」
「(どこまで本当なのかね。誰もその場を見て無ければなんとでも言えるな)」
たった一人で睡眠もとらず、何日も何か月も何年も魔法を使い続けるなど無理である。そのため聖女は奇跡を唱える以外の機能を封印し、カロール村に対して奇跡を起こし続けるだけの存在となっているとされている。
教会は彼女の聖力が尽きないように定期的に聖力の供給を行っていて、もしその供給が途絶えてしまったのであれば村は死に絶えてしまうだろう。
「(聖力が必要なんて話も胡散臭い。教会の人間でなければエネルギーを補充できないだなんて、権力を得るための方便にしか聞こえないからな。どうせ聖力なんてのは魔力と変わらないものだろ)」
俺達が力を貸さなければ村が全滅してしまうがそれで良いのか。協力してやってるのだから多少は便宜を図れ。そうやって教会は権力を得ていたのだ。
「それなら一刻も早くカロール村を修復しないとな」
「その通りでございます」
「そうなると教会の権力が弱くなるが構わないのか? それともこれまでの恩を盾にするつもりか?」
「何のことでしょうか?」
すっとぼけようとするフィナだが、彼女の瞳の奥が僅かに揺らいだのをアケィラは見逃さなかった。
「俺にカロール村を修復されると困るんじゃないかって言ってるんだよ」
「考えすぎでございます」
「考えすぎ、なるほど、考えすぎか」
元から会話で情報収集などするつもりはなかった。
面倒なことはここら辺で終わりにしようと、アケィラは警戒を最大レベルにしてフィナを睨みつけた。
「俺に色仕掛けして少しでも油断したら、その瞬間に殺してやろうと構えているくせにか?」
その瞬間、フィナが何らかの動きをしようとした。
「!?」
だがその体は全く動かず、フィナは驚愕の表情を見せた。
老紳士の動きを封じた、力を入れれば入れるほどに動けなくなる魔法だ。
「うふふふ」
しかしフィナはすぐに余裕を取り戻し、腕を動かした。
「ちっ!これのカラクリもバレてるのか!」
アケィラはソファーから立ち上がり思いっきり彼女と距離を取った。するとそのアケィラに向けて彼女は小さな針のようなものを投擲する。力を入れずゆっくりとした動作でありながら、その針のスピードは中々のものだった。
「力が無くても俺を始末できる暗殺者を送り込んでくるとか、本気で殺す気満々だなな」
フィナはゆったりとした動きで、それなのに当たったらタダでは済まないナニカが塗られてそうな針をどんどんと投擲する。
その軌道をアケィラはしっかりと見切り避け続ける。
戦いは苦手ではあるが、冒険者学校に通っていて多少は揉まれていたのだ。冷静さを失わなければこの程度どうってことない。もちろん、魔法で彼女の動きを封じていなければ一瞬で詰め寄られて殺されていたかもしれないが。
「だが王城で仕掛けるとか馬鹿なのか。捕まえてくれって言っているようなものだろ」
ここで叫べばその声を聞いて誰かがやってくるだろう。あるいは部屋の外にメイドが待機しているかもしれない。アケィラは助けが来るのを待てばよく、暗殺者は捕まり教会は責任を追及されるだろう。
「いや、教会がそんなバカげたことをするか?」
アケィラが考えているようなことは教会だって考えているはずだ。それなのにここまで強引な手段を取るということは、勝算があってのことのはずだ。
例えばフィナは教会に罪をなすりつけようとしている、教会とは無関係な人間であると主張するとか。
そのためにはフィナが生きていては困るはず。
嫌な予感が最高潮に達したその時。
「おい馬鹿止めろ!」
フィナがお腹の辺りを撫でると、ローブの裾から緑色のガスのようなものが噴出する。どう考えても吸ったらアウトだろう。
「逃げ……くそ!」
息をせずに猛ダッシュで入り口まで走れば逃げ切れるだろう。だがそれではフィナが死んでしまう。ガスを使った自爆特攻を仕掛けて来たのだ。
「うふふふ」
このままでは死ぬというのにフィナの表情は安らかだ。
その雰囲気は狂信というよりかは、何が起きるのか分かっていないかの感じである。
「まさか操られてんのか。面倒すぎるだろ!」
これがただの悪人であるならば見捨てて逃げる選択肢もあっただろう。だが操られているかもしれないと分かってしまっては、ここで見殺しにしてしまっては目覚めが悪すぎる。
アケィラのお人好しを知っていての作戦なのか偶然なのか。
どちらにしろアケィラは彼女を救う方法を選択したらしい。
「あのガスは空気より重い。ならこのまま下に……いや待てよ。どうしてあんな分かりやすい色付きのガスなんかを使ったんだ?」
暗殺するのであれば、もっと目立たない方法を使うべきだ。
「まさかあれは目くらましで、この部屋にすでにヤバイ何かが充満してやがるのか」
だとするとアケィラはもうその攻撃を食らってしまっているはずだが何も影響は出ていない。
「最初から守っておいてマジで助かった」
それはフィナが来る前からアケィラが己の全身を魔力で覆い、外部からのあらゆる攻撃をシャットアウトしていたからだ。本来であれば魔法的な攻撃しか守れないやり方なのだが、アケィラ独自の方法で物理的なガスなどの類も防げるようになっている。
「フィナが無事なのは耐性があるからか、そもそも最初から狂っているのか、時限性の毒が盛られているのか、緑のガスの方で殺すつもりなのか。ええい、考えている時間は無い!」
アケィラは魔力をフィナの身体にぶつけて調べようとする。
「くっ……しつこい!」
だがフィナはガスの中でも引き続き針を投げてこようとする。緑色のガスが充満し始めているせいで視界が悪く避けるのが大変だ。
「とりあえずフィナにガスを吸わせないように守ることは出来たが、この状況で調査するのかよ」
自身のガード、フィナのガード、フィナの身体に力が入らないように封じる、フィナの針攻撃を避ける。
これら全てを同時に実施しながらフィナにかけられた洗脳を急ぎ解除し、救援を呼んで彼女を保護させる。
あまりにもハードな状況に脳が焼けてしまいそうだった。
「マジか……なんてえげつない真似を……」
調査を開始したアケィラはすぐに気が付いた。
彼女のローブの下。全身におぞましい呪いのような紋が刻み込まれていることに。
「クソッタレ!オープナー・フルヤを舐めるな!その程度で封じた本物の心など、一瞬で開いてやるぜ!」
アケィラは紋に魔力を流し込み、強引に破壊しようと試みる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
するとフィナは白目を剥いて物凄い叫び声をあげてしまう。
「少し我慢しろ!」
その叫びを無視するかのようなセリフだが、アケィラは焦っていた。
「力任せに紋を消すと発狂して死ぬようになってやがる。なんて醜悪な呪いなんだ」
つまり丁寧に死を回避させながら解呪する必要がある。
だが時間が無い。
教会は彼女を確実に殺すつもりだろう。アケィラを殺すよりも念入りに準備しているはずだ。何しろ彼女が教会の所業を口にしてしまったら教会の立場が激しく悪化してしまうのだから。
そしてここに救援で飛び込んで来た者達もアケィラの生存を優先して彼女を殺してしまう可能性が高い。そうなってしまったら、こうやって彼女を救おうと行動していることが無駄になってしま。
「消せないのなら書き換える!」
そちらの方が本当は難しいと分かっているのだろうか。
だが難しいといってもそれは技術的なことであって、作業量は消すよりも遥かに少ない。
「おにいちゃん!」
いざアケィラが作業しようと思ったら、入口の向こうから声がかけられた。
「その声はノリィ王女!? 入ったらダメだ!致死性のガスが撒かれてる!」
「それならなんとかなる!助けを呼んできたから!」
何故彼女はアケィラがピンチであると分かったのだろうか。
いやそれよりも何故アケィラのことを『おにいちゃん』と呼んだのだろうか。
「(くっ……後でまた呼んでくれるだろうか)」
妙なところで集中力が切れそうになったが必死に耐えた。
「なら俺の合図で突入してくれ! そして敵を絶対に死なせるな!」
「はい!」
敵を死なせない理由など、王城の人間であれば分かるだろう。
アケィラと同じことは教会を疎ましく思っている王城の人間であれば誰でも考えつくことだからだ。
「苦しみはこれで終わりだ。封じられた心を解放してやる。『洗脳』を『自然治癒』に変換!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛……あ゛…………」
苦しんでいたフィナは力なくその場に倒れ、緑のガスに埋もれるように横たわった。見た目に悪いが、魔力でガードしてあるため平気である。
「今だ!」
アケィラの合図で扉が大きく開かれ、途端に待機室内にピュリフィケーションなどの大量の魔法が放たれた。それらを放ったのは宮廷魔術師長やミュゼスゥを始めとする魔法に覚えのある者達。そして待機室内がクリーンになったら、衛兵らしき人物と一部の魔法使いが飛び込んで来てフィナを確保し、彼女に様々な魔法をかけていた。
「ふぅ、なんとかなったか」
とはいえこれから先にも面倒なことが待っている。相性の悪い宮廷魔術師長に説明を求められたり、もっと上の偉い人との話があるかもしれないし、教会も諦めはしないだろう。
「おにいちゃん大丈夫!?」
「はい。助かりましたノリィ王女」
しかし幼女に『おにいちゃん』と呼ばれるだけで、不思議と疲れが吹き飛んでしまうかのように感じたアケィラであった。




