21. 姉と魔法袋 その3
「アケィラちゃ~~~~ん!疲れたよ~~~~!」
外出していたエィビィが、店に戻って来てふにゃふにゃ顔でアケィラに抱き着こうとした。
もちろん抱き枕にしてアケィラ分を吸収して癒されるためだ。
「おっとっと」
しかし彼女は直前でその行動を止めた。
「危ない危ない。お仕事中に邪魔したら本気で嫌われちゃうもんね」
アケィラはカウンターで集中して作業中であり、いくら家族とはいえ楽しみを邪魔されたらガチ切れされてしまうのだ。エィビィは実家で何度もやらかしてしまい、自重することを覚えたのである。
「しかも私の魔法袋を直してくれてるんだから、終わるまでたっぷり眺めて待とうっと」
抱き着けないことは寂しいが、仕事中の真剣で楽しそうな弟の姿を見るのもエィビィは大好きだった。
一方でエィビィが戻ってきたことなど全く気付いていない程に集中しているアケィラは、魔法袋に魔力を纏わせて状態をじっくりと調べていた。
「ううむ。やっぱり亜空間維持機能がズタズタだ。相当激しい負荷がかけられたっぽいな」
魔法袋を開けようとしても中身が空のただの袋となっており、沢山の物を仕舞える広大な空間に繋がらない。それは魔法袋が攻撃されたかのようにダメージを負っているからであり、アケィラにはその攻撃の理由が想像出来た。
「実家から国境まで一日もかからず走って来たって言ってたもんな。どうやったかは知らんが、身体全体に大量の魔力を纏わせて強引にスピードアップさせたに違いない。その時に魔法袋に負荷がかかり、壊れてしまったんだろう」
本来であれば魔力が纏った程度では魔法袋は壊れないのだが、規格外の量と使い方のせいで異常をきたしてしまったのだ。
「強引に亜空間に接続してアイテムを取り出すだけなら可能だろうが、それだと勿体ないから直したいんだが、素材が少し足りないんだよなぁ」
露店や怪しい店で素材を購入したのは、魔法袋を修理するためだった。
アケィラはオープナーであって修理は本分では無いのだが、家族のためということでサービスするつもりだった。
「直してくれようとしてるだなんて、アケィラちゃん優しい!お姉ちゃん超嬉しい!」
目の前でクネクネ喜んでいる姉がいるが、アケィラは全く気付いていない。
あるいは気配を感じ取っているかもしれないが、完全に無視している。
集中力が必要な作業であるため、精神衛生上当然の行いである。
「うし、じゃあやるか」
魔法袋の傍には、各種素材を砕いてすり潰して粉末状にしたものが別々に分けて置かれている。
アケィラはそれらを魔力で持ち上げると、丁寧に魔法袋に纏わせた。
「まずは無属石を魔法袋の傷ついた部分に埋め込む」
無属石とは露店で入手した石であり、属性が付与されていない石のこと。
一般的に自然界の石は、空気中に漂う様々な魔力の影響を受けて微弱ながら属性が付与される。しかし極稀にあらゆる属性を受け付けない特殊な石が発見される。ただし完全に受け付けないのではなく、意図的に強めの属性を付与してあげれば染まってしまうため、魔力抵抗用の素材としては使えない。
魔法袋は高度で複雑な魔力式により成り立っており、ほんの僅かな属性が混じるだけで術式が崩壊してしまう。ゆえにアケィラは無属性でありながらも自由に属性で染められる無属石を術式の穴埋めとし、そこに正しい魔力をまとわせて強引に術式を復活させようとしているのだ。
「ぐっ……ムズイ……」
もちろん説明するだけなら簡単な話だが、それはいくら精密魔力制御を得意とするアケィラであっても至難の業である。
例えばある一枚絵があるとして、その絵は非常に小さい点の集まりで構成されているとしよう。その点が所々不規則に壊れていたり抜け落ちていたりするので、そこに小さな点をそっとはめ込み、しかも周囲の様子から正しい色を推測して塗らなければならない。そう考えると大変さが少しは分かるのではないだろうか。
しかも魔法袋に付与されている術式は平面ではなく立体であり、ほんの些細な間違いであっても元の魔法袋の亜空間に接続できなくなる。
「アケィラちゃんは、自分が世界で誰もなしとげたことのないことをやろうとしてるって知ってるのかな」
魔法袋はダンジョンなどで発見されるもので、人が作り上げたものではない。しかもどれだけ研究しても新たに作り出すどころか修復すら不可能とされている。
アケィラは知ってか知らずか世界初の偉業に挑戦しようとしているのだ。
「…………」
もう独り言も出て来ない。
額から汗が流れ、あごから滴り落ちているが、そのことすらも気付いていないくらいに集中している。
アケィラがここまで疲弊しているのはミュゼスゥを助けた時以来か。
「ふきふきしましょうね~」
エィビィが優しくハンカチで汗を拭ってあげるが、アケィラは顔色一つ変えない。顔に触れているのに気づかないというのは余程の集中力だ。ただの精密操作技術だけではなく、この高い集中力もまたアケィラの異質なスキルと言えよう。
「よし」
三時間程経過して、ようやくアケィラは一言発した。
流石にそろそろ休憩を入れるのだろうか、と思いきやアケィラは他の粉末を魔力で浮かび上がらせ、魔法袋に纏わせてゆく。
「こいつらで魔力を固定させてゆく。劣化遅延の宝石が見つからなかったから、時間との勝負だ」
術式に埋め込み、属性を付与させた無属石。
それはそのまま放置すると術式から弾き出されてしまう。それを爺さんの店で購入した植物を使って馴染ませる作業が必要なのだが、本当ならば劣化遅延の魔石を使い弾き出されるまでの時間を延長させてから時間をかけて馴染ませる必要があった。だが劣化遅延の魔石はレアなもので見つからず、遅延無し、つまり超ハイスピードで作業する必要がある。
ここからが最も集中力を要する最大の難関になる、ということだ。
「おもしれぇ、おもしれぇなぁ……」
だがそんな超難易度の作業をアケィラは心底楽しそうにやっている。彼がこれほどまでに頑張るのは、家族のためだからというだけでなく、好きで好きでたまらない作業であるということなのだろう。
「アケィラちゃん、かわいい」
そんな弟の様子をエィビィは微笑ましそうに見ている。
「来て良かった。守れて良かった」
どうしても我慢できなくなったエィビィは、弟の首筋にそっと優しくキスをして、再び離れて様子を見守り始めた。
「術式固定、開始」
緑の粉末が次々と無属石の欠片を埋め込んだ場所へとまとわりつく。
非常に細かな一粒一粒を、寸分の狂いなく同時に正しい場所へと移動させる。
「疾く」
付与させた緑の粉を、無属石の欠片と周囲の術式の間を埋めるように滑り込ませる。もちろん既存の術式を壊さないように慎重な作業が求められる。
「疾く」
一つ一つの作業を丁寧に確実に、だが一つ一つ順番に作業しては到底間に合わない。
「疾く」
二つ、三つ、四つ五つ六つ七つ八つ。
同時作業量を徐々に増やし、スピードアップをするが、まだまだこれでは間に合わない。
「疾く」
全て同時に作業せず、少しずつ部分部分修正すれば良さそうなものだが、術式を中途半端に修正すると新たな術式として完成して固定されてしまう可能性があるため一気にやるしかない。すでに作業が完了したところがあるため、ここからは成功するか失敗するかの二択で後戻りはできない。
「疾く」
遅い。
まだ遅い。
そろそろ術式が抵抗の意思を示し始める。
「疾く」
十、二十、三十、四十。
集中力は高まる一方で、頭が焼けるように熱い。
「疾く」
だがそれが楽しい。
楽しすぎる。
アドレナリンがドバドバ出て、幸せすぎて、こんな苦労が永遠に続けば良いとすら思ってしまう。
「疾く!」
目をカッと見開き、息をするのも忘れ、ただ目の前の魔力操作という世界に没頭する。
そして……
「ふぅ」
突然、アケィラの全身から力が抜けた。
脱力し、椅子の背もたれに上半身を預けるようにしてぐったりする。
「お疲れ様。アケィラちゃん」
「……姉さん、いたんだ」
「うん」
エィビィは弟を労わるように優しくタオルで汗を拭いてあげる。アケィラは目を閉じて素直にそれを受け入れ、気持ちよさそうにして心と息を整えていた。
姉と弟の静かで穏やかな時間。
そこには確かに家族の温かさがあった。
「もう平気。あんがと。ふわぁあ」
落ち着いたアケィラは伸びをしてあくびをした。
いつものぐうたらではなく、大仕事を成し遂げた疲れによるものだ。
「魔法袋直ったの?」
「ああ、確認して見てくれ」
エィビィは魔法袋を開けると、手を突っ込んだ。
そして中から一枚のタオルを取り出した。
「すごい。本当に使えるようになってる」
世界中の誰もなしとげたことのない偉業を弟はやってのけた。
もしもこのことを発表すれば、世界は弟を放っておかないだろう。
姉として弟を自慢してアピールしたい気はある。
だがそれをすると平穏を望む弟を本気で困らせることになるだろうからと自重した。
「ありがとうアケィラちゃん!お姉ちゃんとってもうれしい!」
「うお!姉さん!?」
感極まったのか、おあづけを食らっていて我慢できなくなったからなのか、エィビィは弟に思いっきり抱き着いた。
「姉さん離れろって!」
「い~や~だ~」
また今日も姉に抱き枕にされてしまうのか。
難しい仕事を終えて気分が良かったのに、またいつも通りの辟易とした気分に戻ってしまう。
あることに気付くまでは。
「あれ、姉さん首に傷がついてるぞ」
抱き着かれたことで首の後ろ側が視界に入りたまたま気付き、なんとなく指摘しただけ。
「え!?」
しかしエィビィは大きくバックステップしてアケィラから距離を取った。
「姉さん?」
どうして傷を見られただけでそんなに大きな反応をするのだろうか。
「あ、あ~どこかでこすちゃったのかな。ヒール。よし、これで治ったよ」
そしてどうして焦ったような雰囲気で慌てて治したのだろうか。
嫌な予感がする。
それもこれまでのように平穏を脅かす類のものとは別の予感。
「アケィラちゃ~ん!」
姉がまた抱き着いてきたが、今度はアケィラは困ることが無い。むしろ真剣な表情のままだ。
「(姉さんが何かを誤魔化そうとしてる?)」
だとすると、一体何を誤魔化そうとしているのだろうか。
「(これまで姉さんが本気で誤魔化そうとした時って確か……)」
弟を甘やかそうとしているのを止めるように言っても聞いてくれない。そんな軽い冗談のような誤魔化しではなく、本気で誤魔化そうとしていた時の想い出。
それは例えば、アケィラが実験で誤って庭の木を焦がしてしまった時、何故か両親に怒られなかったことを不思議に思って姉に聞いたらしらばっくれたこと。姉が自分が魔法の練習でミスをしてしまったと嘘をついてアケィラを庇ったのだ。
「(姉さんはいつも俺を守るために嘘をついて誤魔化す。だとすると今回も俺を守るため?)」
ではアケィラを守るためとして、果たしてそれと首の後ろの傷がどう関わってくるのだろうか。
「(そもそも姉さんが傷つくなんて信じられない。相当な手練れと戦わない限りありえないぞ)」
本人はどこかでこすっただなどと言っているが、彼女の焦った反応から考えるに信じられない。しかも隠したがっていたことを踏まえると、意図的につけられた傷である可能性の方が高そうだ。
本当に戦っていたのか。
戦っていたとすると外出していたときなのか。
何のために、どうして戦っていたのか。
「(まさか)」
アケィラの脳裏に、爺さんの言葉が蘇る。
『伯爵の気持ちになって考えてみるんじゃ』
「(伯爵は全ての策を潰した俺を憎んでいる)」
だとすると何をしようとするだろうか。
『くけけけ、最近見られているような気がするんじゃないか?』
「(街で感じる視線は伯爵の手の者が俺に差し向けた刺客だった可能性がある。でも視線は感じたが決して手を出して来ず、すぐにその視線は消えていた)」
それはアケィラに知覚されないように気配を消して離れたのだと思っていたが、違う可能性もあるのではないか。
「(逃げたのではなく、消された?)」
誰に?
一番の候補として挙がるのは領主だ。
アケィラの盾として他の貴族から守ってくれると契約しているからだ。
だがこの推理の流れでそれはおかしい。
首の傷に気付いてしまった今ならば、第一候補は別の人物になるはずなのだ。
「(姉さんが俺を守ってくれていた? 外出してたのは、俺を襲ってくる相手を撃退してくれていた?)」
そんな馬鹿なという気持ちと、この姉ならやりかねない、という気持ちが混在する。
「(おかしいと思ってたんだ。いくら俺の居場所が分かったからって、姉ちゃんがどうしてたった一日で魔法袋がズタズタになるほど焦ってやってきたのか)」
いくらブラコンな姉であっても、領主という立場もあるのだから仕事の調整をしっかりとやってから来るというのがアケィラの姉に対する印象である。それを放棄してまでやってくるというのは、会いたかったからではなく、弟の危機を守りたかったからではないか。
「(姉さんは俺を守りに来てくれたのか)」
心が温かい。
家族に心配をかけてしまったことは申し訳ないが、それ以上に血の繋がってない自分のことを本当の家族として心から愛してくれていることがあまりにも嬉しい。
「ありがとう、姉さん」
「…………」
きゅっと姉の抱擁が少し強くなった。
姉の想いをたっぷりと実感して嬉しく思う。
それと同時に、暗いものもまた、心の奥底から湧き上がってくる。
「(姉さんが傷ついたのは誰のせいだ)」
大切な家族を、たとえかすり傷とはいえ傷つけただなど許せない。
それにもしかしたら姉はもっと大きな傷を戦いで負い、それを回復して隠しているだけな可能性すらある。
「(平穏に拘り、面倒なことから逃げようとした俺のせいか?)」
アケィラが現実を受け止め、人付き合いをしっかりと行い真面目に商売をし、貴族に対しても毅然とした態度で自分の力で立ち向かっていればこんなことにはならなかっただろうか。領主に積極的に協力することで、領主は実家に連絡しなかったかもしれないのだから。
「(いや、違う)」
確かにそれは姉が守りに来ない未来に繋がったかもしれない。
しかし根本的な問題は別にある。
そもそも誰かさんが暗躍などして、野心の元に公爵家にケンカを売らなければこんなことにはならなかったのだ。あるいは戦争も、爆弾騒ぎも、何も起こらずアケィラは平穏な日々を享受し、家族を心配させることもなかったのだ。
「コゥカ伯爵!」
アケィラは激怒した。
他ならぬ大切な姉を傷つけた、その原因となった存在を激しく憎んだ。
「アケィラちゃん!?」
姉を強引に引き剥がすと、アケィラは心のままに早足で店から出ようとする。
「お前だけは……お前だけは絶対に許さない!」
家族を傷つけたその報いを受けさせるために。
アケィラは店を飛び出したのであった。




