19. 姉と魔法袋 その1
「なんだこの寒気は……」
心地良い陽気がいつものように眠気を誘ってもおかしくないはずなのだが、アケィラは不思議と真冬のような寒さを感じてブルブルと震えていた。
「これは風邪って感じじゃない。例えるなら……そう、嫌な予感だ」
ここ最近、嫌な予感が外れたことは無い。だとすると今回もまたトラブルに巻き込まれるのだろうか。それも、超ド級のものが。
「だが原因は誰だ。カミーラ達はダンジョンに潜ったばかり。なら勇者達が戻ってくるということか? あるいは領主が厄介な何かを持ち込んでくるか」
可能性が高そうなものを想像してみるが、どれもいまいちピンと来ない。この寒気はその程度のレベルのものではないと訴えかけている。
「店を閉めるか……いや、そうするともっと厄介なことになる気がする」
例えば店を破壊して突入して来て、騒ぎに気付いた大量の野次馬に見られながら実力やら秘密にしていたことがバレて平穏が完全終了するとか。
「今から夜逃げ……間に合うか?」
ちょっと外出した程度では店で待たれてしまうだけ。それなら逃亡するしか無いのだが、逃げ切れる気が全くしない。
「くそ!なんだってんだ!」
思わず頭を抱えて苦悩するアケィラ。
するとついにその災厄がやってきた。
「この気配はまさか!」
猛烈な勢いで店に近づいてきたその気配は、店の前まで来ると全く躊躇せずに扉を蹴破った。
「カミィラちゅわああああああん!」
「ぐべ!」
その人物は店内にアケィラを見つけると、全力で抱き着き、その豊満な胸元へと彼の頭を押し付けた。
「会いたかった会いたかった会いたかったよぉ~~~~!」
「ぐる……じい……はな……じで……」
「やーだー!もう離さないもん!」
「…………」
やがてアケィラの全身から力が抜け、窒息状態で気を失うことになってもなお、彼女はアケィラをずっと抱き続けるのであった。
「えくすひーる!」
「ぶは!?」
動かなくなったアケィラを人形のように愛でて愛でて愛でて愛でてようやく満足したその人物は、アケィラを奥の自室に勝手に連れて入り、ベッドで寝かせて回復魔法をかけた。
半死状態だったアケィラを一瞬で回復させた点、相当な使い手なのであろう。
目が覚めたアケィラが慌てて周囲を見渡すと、真横である人が添い寝していることに気が付いた。
「何やってるんだよ、エィビィ姉さん」
「久しぶりにアケィラちゃんと添い寝したくて」
そう、この破天荒な人物はアケィラの姉である。
「しかも俺の部屋に勝手に入って!」
「家族なんだから別に良いじゃない」
「家族だからこそ適切な距離感ってものがあるだろ!」
「アケィラちゃんったら全く変わって無いのね。恥ずかしがり屋さんなんだから」
「エィビィ姉さんこそ、そうやって俺の話を都合よく解釈するところ、全く変わって無いな」
口では絶対に敵わない。
諦めて体を起こそうと思ったアケィラだが、横から伸びて来た手でがっしりとホールドされてしまった。
「姉さん?」
「だーめー、もっとアケィラちゃん成分を堪能するの」
「俺が気絶してる間にたっぷり堪能しただろ」
「お話しもしたいの」
まるで抱き枕のように抱き着かれ、至近距離で甘い声をかけられてもアケィラは無反応だ。いくら相手が美人女性であり豊満な肉体を押し付けてこようとも、家族なのだから当然だろう。
「いや、店を開いてる途中だし」
「そうそれ!そのことについて話があったの!」
これまで笑顔でアケィラを堪能していたその女性が、はじめて不機嫌そうな顔になった。といっても可愛らしくむくれているような感じであり、本気で怒っているような雰囲気ではないが。
「どうして帰って来ないで、こんなところでお店開いてるの!」
「どうしてって、冒険者学校を卒業したら店を開くって言ってあっただろ」
「もちろん覚えてるよ。でもそれはうちの領で開くってことじゃなかったの!?」
「誰もそんなこと言ってないだろ」
むしろその選択肢だけは全く無かった。
もちろんそんなことを言ったら絶対に反対されるから曖昧にして誤魔化していたが。
「しかもどこでお店やってるかお手紙に全然書いてくれないし!」
「だって書いたら来るだろ」
「当たり前でしょ!」
「客の迷惑になるんだよ」
例えば店主を気絶させて抱き枕になどされたら商売になるはずがない。
「それに貴族様が入り浸ってたら客が入りにくいだろ」
「安心して。他の客は来させないから」
「商売させろよ!」
「依頼は全部私達がもってくるから」
「それじゃあおままごとと変わらないじゃないか!」
家族しかやってこないお店など、それはお店と言って良いものなのだろうか。
愛が重い。
重すぎる。
それゆえ商売の邪魔になることは間違いなく、アケィラは家族には内緒で店を開いていたのだった。
「それじゃあアケィラちゃんはこれから帰るということで」
「おい俺の話を聞いてたか」
「し~らない」
「常連を裏切れないからここから離れる気は無い」
貴族と関わりたくないから常連を見捨てて逃亡しようとしてたのはどこの誰だ。
「お姉ちゃんのこと、嫌いになっちゃったの?」
「うっ……こ、今度ばかりはそれでもダメだ!」
「ちぇっ、効かないか」
瞳をうるうるさせて困った風を装えば、アケィラはいつも断れなかった。だが今回ばかりは断固として断った。もしここで帰ってしまったら、永遠に家族に絡まれ続けてうざい日々が続いてしまうから。
「そもそもどうしてここが分かったんだよ」
アケィラは家族に場所がバレないように、徹底して気を使っていた。
心配させて探されないように手紙をこまめに送り、その手紙も居場所が分からないように念入りに注意して文章を書き、手紙に勝手に付与されてしまう自然界の魔力の質から居場所を特定されないように手紙を自分の魔力でガッチガチに固めた。
そのかいあってこれまで冒険者学校を卒業後に実家からの干渉は全くと言って良い程無かったのだが、どうしてかバレてしまった。
「ここの領主さんが教えてくれたよ?」
「あ!」
そういえば、とアケィラは思い出した。
領主と契約を結んだ時、フルヤの名を冠しているが大丈夫かと確認し、領主は何とかするから大丈夫だと言っていた。それは貴族的なしがらみの話であって、そのためには当然相手側に連絡する必要がある。
「どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったんだ……」
あまりにも初歩的な過ちにアケィラは抱き枕になりつつがっくしと項垂れた。
「(だがあの時はそれ以外に選択肢が無かったし、なるべくしてなったとも言えるか)」
他の貴族からのアプローチを防ぐためには領主の協力は不可欠だ。
だが領主に特別扱いして守ってもらうとなるとフルヤの名の対処は絶対に必要となる。
貴族と関わり合いになるか、実家と関わり合いになるか。
いや、貴族と関わり合いになったら実家にいずれ情報が伝わると考えると、選択肢ですら無いのかもしれない。
つまりアケィラが爆弾解除を衛兵に見られた時点で、実家に居場所がバレることは確定的だったのだ。あるいは逃亡が成功していればまた違った話になったかもしれないが、そこは自身の運のなさを嘆くしかない。
「あれ、待てよ。そういえばエィビィ姉さん、ここに来て良かったのか?」
「お姉ちゃんが弟君に会いに来るのは当然のことだよ」
「誤魔化すなって。帝国貴族の、しかも次期当主の姉さんが、あまり仲が良くない王国に護衛もつけずに来るだなんて、大問題だと思うんだが」
「バレなきゃ平気だよ」
「おいコラ」
もしもバレたらスパイ行為のような敵対行動だと判断されて、政治的な緊張感が一気に高まること間違いなしだ。
「それに今の帝国は大変だから、他国に構っている暇なんてないよ。み~んなそう思ってるからバレても偽物だって思ってくれるかな」
「お家騒動か……」
その話もまた、アケィラが実家に帰りたくない理由であり、逃亡先に帝国を選ばなかった理由でもある。絶対に何らかの形で関わってくるだろうという嫌な予感がしたのだ。
「そしてアケィラちゃんは勘違いしていることがあります」
「勘違い?」
「お姉ちゃんは次期当主じゃなくて、現当主なのです」
「だったら猶更ここに来ちゃダメだろうが!」
フルヤ家は女系であり、代々当主は女性が担っているためエィビィが当主となることは問題ない。
しかしエィビィの見た目は二十代と言って良い程に若く、その若さで当主になるということは現当主になにかあったか、あるいはそれだけエィビィが飛びぬけて優秀ということか。
フルヤが両親のことについて触れずにツッコミを入れたということは、後者なのだろう。
「領地の事ならママとパパがやってくれてるから安心して」
「安心できねぇ。というか、姉さんが当主になったなら、母さんが来ると思ったけど」
「領主権限です」
「大丈夫かあの領……」
心配するフリをしているが、全く心配などしていなかった。
弟バカ、息子バカな家族ではあるが、その点を除けば非常に優秀であると知っているからだ。
「そもそもアケィラちゃんだって、帝国貴族だってバレたら問題でしょ。だから一緒に帰ろ!」
「俺は冒険者だから良いんだよ。家督を継がない貴族の子供が冒険者になって他国で活動するなんてのは普通な話だろ」
「ぶーぶー、ずーるーいー、冒険者なんてやってないくせにー」
「ずるくないし、冒険者学校で学んだことを活かして店を開いてるし」
元々アケィラは魔力操作が得意ではあったが、冒険者学校に通ったことで実力が向上し、オープナーとしてやっていけるようになったことは間違いなかった。
「ということで、店番に戻らなきゃならないから、そろそろ離れてくれ」
「ちぇっ、仕方ないか。お店を開くのはアケィラちゃんの夢だったもんね」
「ありがとうエィビィ姉さん」
本気でお持ち帰りする気は無かったのか、ようやく抱き枕状態から解放された。
「そうだ。お店と言えばアケィラちゃんにお願いがあるんだった」
「お願い?」
ベッドから起き上がり凝り固まった身体をほぐしていたら、エィビィが懐からあるものを取り出した。
「この魔法袋なんだけど、開かなくなっちゃったから開けて欲しいの」
「魔法袋?アイテムボックスあるのに使ってるのか?」
亜空間に物を格納するアイテムボックス。それと同じ効果がある魔法袋。
同じであれば片方は不要ではないかと、アケィラは姉がそれを持っていることを不思議に思った。
「魔法が封じられることもあるから、こっちも使うことにしてるの」
「姉さんの魔法を封じるとか、どんな化け物だよ」
「割と居ると思うよ。国境の魔力障壁だって今の私じゃ通過出来ないから、そこまで走って移動したし」
「走って?一体どうやってここまで来たんだ?」
「だから魔力全開で走って、国境越えて、そこからは転移魔法でドーン、って感じかな。一日で着いたよ」
「ここから帝国までどんだけ離れてると思ってるんだよ、この魔法チートが」
「えへへ、アケィラちゃんに褒められちゃった」
領地から国境までの距離は魔導車を使っても三日はかかる距離だ。更に国境からこの街まではそれ以上かかるほどの距離があるにも関わらず、距離に応じて必要魔力量が激増する転移魔法を使って移動できる人物など、世界中を探してもほとんど見つからないだろう。
アケィラとは全く違ったベクトルで、姉もまた驚異的な実力の持ち主であった。
「相当無茶して走りやがったな。魔法袋が壊れたのもそれが原因だろ」
受け取った魔法袋を試しに魔力を纏わせた眼で視てみた。
「うお、なんじゃこりゃ。めちゃくちゃになってる」
全く使い物にならないレベルで壊れていた。
「こんなん普通なら廃棄だぞ」
「でもアケィラちゃんならなんとかしてくれるよね」
「もちろんだ。俺を誰だと思ってる」
「私の愛しい弟ちゃんで、魔力操作の天才!」
「エィビィ姉さんに褒められてもあんまり嬉しくないな」
「何で!?本気で褒めてるのに!」
大量の魔力を使いこなす姉と、精密操作が得意な弟では分野が違うのだが、自分では不可能な魔力の扱い方が可能ということで、どうしても劣等感に近いものを感じてしまうのだろう。
「まぁ良いか。直すのにどれだけ時間かかるか分からないから後で宿に届けに行くわ。どこの宿に泊まるんだ?」
「ここ」
「は?」
「ここ」
「冗談だよな?」
「ううん」
「帰れ!一日で帰れるんだろ!」
「やだ!満足するまでアケィラちゃんと一緒にいる!」
「マジかよ……」
アケィラは知っている。
エィビィのこの態度が本気であると言うことを。
そしてどれだけ言っても絶対に考えを変えないだろうということを。
「(平穏さんカムバアアアアアック!)」
領主との契約により見えて来た平穏が、あっという間に失われたことに嘆くアケィラ。
落ち込んだ気分を少しでも慰めるべく、壊れた魔法袋の調査を始めるのであった。




