18. 老紳士と再生の小箱
「ふわぁあ、眠い……ってなんか久しぶりな気がすんな」
眠そうにカウンターに突っ伏すのが日常だったのに、ここしばらくは貴族からの逃亡のことばかり考えていてそんな余裕が全く無かった。
カミーラとトゥーガックスは再度ダンジョンに潜り、勇者達はまだ魔王軍の残党狩りから戻って来ない。
領主との契約のおかげで他の貴族からちょっかいをかけられる可能性が無くなったこともあり、アケィラはようやく平穏な日々を取り戻したのだ。勝手に戻って来たような気もするが。
「よし、今日こそ色街へと向かうぞ」
「ふぉっふぉっふぉっ、若いですのう」
「うお!?」
下心満載の笑みを浮かべて立ち上がったら、正面から声をかけられて驚愕する。
何故ならばアケィラはその人物が店内にいることを全く意識していなかったから。
店に入ってくる前から客が誰なのか特定するアケィラが感知し逃した。
「爺さん、一体いつの間に!?」
「ついさっきですよ」
「心臓に悪いぜ。普通に入って来いよ」
「ふぉっふぉっふぉっ、店前を監視しているようでしたのでつい、仕事の癖が出てしまいまして」
「どんな癖だよ!執事じゃなかったのかよ!」
「執事は兼任とだけ」
「おっとそれ以上は聞きたくない。領主まわりの事情なんて絶対に聞きたくない」
「賢明ですな」
その人物は領主に仕えている老紳士だった。
雰囲気的にアケィラは彼の事を執事だと思っていたが、どうやらそれ以外にも怪しい仕事があるようだ。
「それで、あんたが来たってことは仕事か?」
領主とはオープナー専属契約を結んでいる。
ということは何か開けて欲しいものが見つかったということだとアケィラは考えた。
「いえいえ、本日は個人的にご依頼させて頂きたいことがございまして」
「個人的だぁ?」
正直なところ追い返したい。
最低限の契約業務以外は、極力貴族とは関わりたくないからだ。
だが領主の側近のような振る舞いをする老紳士を蔑ろにしてしまったら、領主の心証を損ねてアケィラを守ってくれるという契約を反故にされるなんて可能性もありえるのではないか。
そう考えると依頼を受けるしかない。
「まぁいい。それで、何を開ければ良いんだ?」
「こちらでございます」
老紳士が懐から取り出してカウンターに置いたのは、何の変哲もない木製の小箱だった。
アケィラは手袋をしてそれを手に取った。
「ふぅん。妙な魔力で覆われてやがんな」
「はい。店主殿にはこれを普通に開けて頂きたいのです」
「普通に?」
ということは、普通ではない開け方なら知っているということになる。
「ちょっと失礼」
老紳士はアケィラの手から小箱をそっと受け取り右手の手のひらの上に置いた。
「ふん!」
「おい!」
すると老紳士は右手で握りつぶすように小箱を壊してしまったではないか。
依頼品をいきなり破壊したことにアケィラはつい大声をあげてツッコミを入れてしまった。
「ふぉっふぉっふぉっ、焦らずご覧ください」
なんと壊れた小箱はゆっくりと元の姿に戻ろうとしているではないか。
「これは再生の魔法が付与された小箱らしく、壊してもすぐに取り出せてしまうのです」
そう説明している間に小箱は既に元の姿に戻ってしまった。
「再生については理解したが、中身を取り出すだけなら今みたいに壊せば取り出せるんじゃないのか?」
元に戻るまでには多少ではあるが時間がある。
その間に中身を探して寄り分けてしまえば良い。
「ふぉっふぉっふぉっ、この箱には何も入ってませんよ」
「ん?じゃあなんで開ける必要があるんだ?」
何かを取り出して貰いたいから依頼に来たのではないのだろうか。
アケィラの疑問に老紳士は何かを懐かしむかのような表情になって説明を始めた。
「これは先代から頂いたものです」
先代、つまり一つ前の領主のことだろう。
彼はその時から領主に仕えていたのだ。
「私は元々しがない平民でして、貴族様とは無関係な生活を送っていました」
今の老紳士の姿からは全く想像が出来ないが、話し始めたところでいきなりツッコミを入れるのは無粋だろう。
「ですがある時、気付いたのです。私は他の人よりも優れた力があると。岩を破壊するような真似は誰にも出来ないのだと」
それが誇張ではないことをアケィラは知っている。
金庫破りの時の老紳士の筋肉を見たので納得せざるを得ない。
「力を知った者がどうなるか。増長して悪に染まるか、喜び勇んで正義の道を歩むか。私が選んだのは前者でした」
だとすると老紳士は元々犯罪者だったのだろうか。
「私が若い頃、この国の貴族は横暴な者が多く、民は不満を抱えていました。そこで私は貴族を懲らしめてやろうだなんて考えてしまったのです」
それは世の中の状況次第では正義にも悪にも取れる行いだった。だが老紳士が己の行いを悪だと断言しているということは、彼自身が己の行いに正義など無かったのだと分かっていたのだろう。
「もちろん、多少力があるだけのこと。しっかりと守られた貴族に手出しすることなど出来ず、すぐに私は暴漢として捕まってしまいました」
平民が貴族を害しようとしていた。
極刑に近い罰が与えられることは間違いなかったはずだ。
「そんな私をお救い下さったのが先代だったのです。自分を害しに来た無頼漢を、先代はお許しになった。そしてあろうことか、自分の付き人として取り立てて下さったのです」
危険だからお止めください。
恐らく何人もの部下が諫めようとしたに違いない。
それでも先代は彼を傍に置くと決めて譲らなかった。
「先代の仕事を間近で見ることで、私はすぐに己の過ちに気付きました。先代は民の事を深く考えていらっしゃった。貴族の全てが民を蔑ろにしているわけではない。貴族というくくりで彼ら全てを憎み、悪と断じた自分はなんて愚かだったのかと」
深く後悔し、そして心よりお仕えしたいと強く思った。
その結果が今の老紳士の姿、ということなのだろう。
「この小箱は、私が先代の傍付きになった直後に頂いたものです」
「(やっとその話かよ)」
小箱についての話だったはずが、全く興味が無い老紳士のヒストリーが延々と語られて辟易していたが、ようやく本題に入ったようだ。
解錠依頼の際は、それを本当に開けて良いかを確認するためにバックグラウンドを説明してもらうことになっているが、時々このように興味が無い話を聞かされることがある。仕事なので仕方ないが、全部無視して開けてしまおうかと思う時が時々あるアケィラであった。
「先代はこう仰っていました。『この箱の中にお前の悪しき心を封じた。もしもお前が元の生活に戻りたけば、これを開けて何処にでも行くが良い』と」
「ぶっ壊して開けちゃってるじゃん」
先ほど老紳士はこの小箱を握りつぶしてしまった。
先代の言葉が正しければ、老紳士には悪の心が戻ってしまっただろう。
「ふぉっふぉっふぉっ、話は最後まで聞きなされ」
「お、おう」
どうやらまだ話は終わりでは無いようだ。
「私は先代の言葉を信じ、この小箱を開けませんでした。そして長い歳月が経ち、この小箱の存在を完全に忘れていたのです」
「でもここにあるということは思い出したのか」
「はい。先代が早々とご隠居なさるという話を伺った時、私は先代様との想い出に耽っていました。その時にこの小箱のことを思い出しました。そしてなんとなく興味が湧いたので、先代に当時の話は本当だったのかと質問しました」
「なるほどな。嘘だったわけだ」
「はい」
だから老紳士は遠慮なく小箱を破壊したのだろう。
先代は若い頃の彼の凶暴さを鎮めるために嘘をついた。
彼自身に凶暴でなくなったと思い込ませようとしたのかもしれない。
「ですが先代はこうも仰りました。中身が気になるなら開けてみれば良いと、お前があの時と違うならば簡単に開けられる、と」
「だが破壊は可能だが開けることは出来ないってことか」
「厳密には可能なのです。物凄い力を入れると開くのですが、すぐに閉まってしまいます。ですがそれは間違った開け方のはずなのです。力で開くのであれば、当時の私でも開けられたはずですので」
試しにアケィラは力を入れて蓋を開けようとして見た。
すると確かにそれはびくともしなかった。
「私は当時から何も成長していないのでしょうか」
だからこれを開けられないのではないか。
そんな不安を抱いていたところに、アケィラと出会った。
「店主殿にこの箱のからくりを解き明かして頂き、開かない理由が私にあるのであれば、より精進いたす。そのためにこちらをお持ちしました」
「先代に開け方を聞いてみれば良いだろ」
「先代は笑うだけで、これ以上は何も教えて下さらないのです」
「ふ~ん」
話を聞き終えたアケィラは小箱に手を伸ばす、ことはしなかった。
「そりゃあ笑うしかないわな」
「え?」
そして笑顔を老紳士に向けたのであった。
先代が彼に向けたのと同じように。
「まさかもう分かったのでございますか!?」
触れたのは一瞬だけ。
それだけでからくりが解けたのだろうか。
あるいは話を聞いている間に何かを視たのだろうか。
どちらにしろあまりにも速すぎる。
「確信は無いが、今の話を聞いてたら大体想像ついたぞ」
「え?」
アケィラはまだ何も調べてなどいなかった。
老紳士の話から想像しただけに過ぎない。
「というか何で分からないかな」
「そんなに簡単なことなのでございますか?」
「俺の想像が正しければな」
もしその想像が違っていたとしたら、それはそれで調査すれば良いだけの話。
先に調査して確証を得てから説明すべきなのだろうが、先代の思いを無下にしているような気がしていてアケィラには出来なかった。
「だが俺が答えを言うのもなぁ……」
「私が気付かなければならないこと、ということなのですね」
「そうなんだが、このままだと一生気付かない気がするし、ヒントくらいは許してくれるかな」
心の中で見知らぬ先代に詫びを入れたアケィラは、老紳士に向けて大きなヒントを出した。
「先代はあんたにどうなってもらいたいって思ってたんだ?」
「どう、ですか?」
暴れん坊で力自慢で貴族を懲らしめてやろうと血気盛んな若者。
そんな彼の暴力性を小箱に閉じ込めたと宣言し、傍で成長を促した先代。
「(暴力性を閉じ込めてあるとか、元の生活に戻りたいならこれを開けろってのが罠なんだよな。硬くきつく封じられているってつい思ってしまう)」
だがその考えに囚われていては永遠に開けることは出来ないだろう。
先代は老紳士の暴力性を封じ、大人しくなってもらいたかった。
だとすると力を入れてはダメなのだ。
「(そっと優しく触れれば、きっと簡単に開くだろうさ。そうやって優しい人間になって欲しいというのが先代のメッセージだったんだろ)」
老紳士はとっくに優しい人間になっているに違いない。
だが小箱が強固に封じられているというイメージが強すぎるが故に、どうしても強く開ける方法を考えてしまう。
先代が望む姿になっているのに、勘違いで開けられない。
それがおかしくて先代もアケィラも笑ってしまったのだ。
「少し考えてみます」
老紳士はまだ答えが出ないようだが、アケィラのヒントをもとに持ち帰って考えることに決めたようだ。
「おうよ。今回は開けなかったから報酬はいらねーよ」
「いえ、報酬はしっかりと支払わせて頂きます。アドバイス頂いただけでも、大変助かりましたので」
「お堅いねぇ。だったら報酬はその箱で良いわ」
「この箱ですか?」
「ああ、開いたらで良いから少しだけ貸してくれ」
「それが報酬となるのでしょうか?」
「なるなる。十分になるさ」
「はぁ……それで店主様がよろしいのでしたら」
再生の魔法が付与された小箱。
それそのものはレアではない。再生の魔法はトゥーガックスも使用可能で、それなりに一般的なものであるからだ。
だがアケィラはその小箱にかけられた魔法は別の物だと思っていた。
「(恐らく形状記憶の魔法。蓋が開いても勝手に閉じるってことは、治るのではなく元の形に戻る力が働いているに違いない)」
そしてそれは冒険者学校では聞いたことが無い魔法である。
「(しかも本当にそっと開けると形状記憶が発動しないなら、めちゃくちゃ面白い仕組みだ。調べがいがある)」
オープナーとして、興味がそそられる依頼品だったのだ。
「(爺さん、早く開けてソレを持って来てくれよ)」
ワクワクするアケィラだが、それがまた別の面倒を引き起こすことになるということに、全く気付いていなかった。




