16. 領主と古い金庫
「ふぉっふぉっふぉっ、どうなされましたか」
「世の中の無常さについて嘆いていたところだ。構わないでくれ」
「ふぅむ、なんとも思慮深いお方ですのぅ」
領主邸へと向かう途中、アケィラは死んだ魚のような目をして魔導バスに乗っていた。
逃亡予定先が壊滅し、領主の使いに見つかった以上、観念するしか無かったのだ。
「(ああ、平穏よいずこへ)」
貴族と関わるなど面倒なことこの上ない。
それなのに公爵という地位の高い貴族に目をつけられるだなんて最悪である。
アケィラが住む街を中心とした一帯は、交易の中心でもあり、世界で唯一の冒険者学校が存在し、魔王軍との前線基地から程良く近く、ダンジョンから貴重な資源が入手できる超重要地域ということで、貴族の中でも特に偉い人が統治している。
そんな面倒そうな街にアケィラが住んでいたのは、冒険者学校に通っていたついでなのと、活躍しなければ偉い人と関わることはないと考えていたからだ。
だがそんな本人の思惑とは裏腹に、街を救う偉業を達成して見事に存在がバレてしまった。
平穏が音を立てて崩れたが、果たして再び元の姿に戻すことが可能だろうか。
それは今日の領主との会談にかかっている。
半分呆けている状態のまま魔導バスは目的の街に到着し、アケィラは老紳士の先導の元にフラフラと領主邸へと向かい、気が付いたら領主の部屋の前に立っていた。
「ご当主様。アケィラ様をお連れ致しました」
「うむ。入りなさい」
「(声が若いな)」
老紳士が明らかなお爺さん声をしていることもあり、声の若さが際立っていた。
そしてそれはもちろん声だけではない。
「失礼致します」
老紳士が無駄に豪華な扉を開けると、これまた豪華な机を前に座っていた若い男性が笑顔で迎え入れてくれた。
「(俺とたいして歳が変わらないじゃねーか。話は聞いてたが、本当にこんな若いのが公爵なんてやってるんだな)」
声の通りに見た目も若く、流石に学生ということは無さそうだが、二十代であることは間違いないだろう。
「(先代が早々にドロップアウトして息子に家督を譲った、か。俺だったら面倒だからマジ勘弁とお断りする話だな)」
ドロップアウトと言っても戦や病気で死んだというわけではなくピンピンしている。市井には『息子の方が優秀だから譲った』だなんて伝わっているが、本当のところがどうなのかは分からない。そこにもまた面倒な種がありそうで、アケィラは絶対にその話題に触れないと心に決めていた。
「ようこそ英雄殿」
「う……そ、その呼び方は……」
「おや、お気に召さないかな。しかしアケィラ殿が多くの人々の命を救ったことは事実であろう」
「ええと……その……」
「おっとすまない。立ち話は失礼だったな。どうぞおかけください」
「(公爵が俺に丁寧語なんて使うなよーーーー!)」
いつもハキハキと会話するアケィラも、公爵相手ではそうもいかないらしい。
戸惑いながらまともに話すこともできず、流されてふっかふかのソファーに座ってしまった。
その向かいには爽やかな笑みを浮かべる公爵が座り、老紳士はその背後で背筋を伸ばして立っている。
「改めて、良く来てくれたアケィラ殿。本来であればすぐにお呼びして礼を伝えるべきところ、私の不手際で遅くなってしまい本当に申し訳なかった」
「頭を下げないでください!公爵様が俺の、いえ、私のために時期を遅らせてくれたことは理解しております。大変感謝しております」
「ふふ、いつも通りの話し方で構わない。あくまでも今回の会談は非公式のものだからな」
「(そういう訳にはいかないだろうが!)」
問題ないからと言って、領主にタメ口など出来る筈が無い。
アケィラは絶対にこの甘言に乗ってはならないと分かっていた。
「そう緊張してくれるな。いくら公爵とはいえ私は見ての通りまだ若造だ。君と同じくらいの年齢であり、身分の差が無ければ友として街でふざけあってもおかしくないのだから」
「ご当主様」
「分かっているから皆まで言うな」
公爵として弱音を吐く姿を見せてはならない。言外にそう老紳士に諭された姿からは、若さゆえの甘さを感じさせる。だがそれが罠であることをアケィラは見抜いていた。
「(チッ、わざと爺さんに窘められることで隙があるって思わせて俺を安心させようってやり方か。悪いがそういうのは通じないんだよ)」
むしろ公爵に対する警戒心をより強める結果となってしまった。
「おや……はは、なるほど。英雄殿は私が思っていた以上に鋭いお方のようだ」
「私はアケィラです」
「そして目立つことが大嫌い、か」
恐らく勇者にでも聞いたのだろう。
アケィラの性格については筒抜けのようだ。老紳士が口にした『噂』も出どころは同じに違いない。
「よし、アケィラ殿。貴殿の行いに敬意を表し、先日の襲撃事件は私の胸に秘めておくとしよう」
「良い……よろしいのでしょうか?」
「本当に話し方は気にしなくて良いのだぞ。それに襲撃事件を秘匿しておくことについても問題ない。公開したところで民を不安にさせてしまうだけだからな」
もしかしたら再び同じ事件が起きるかもしれないと思うと、他の街へと逃げ出す人が出てくるかもしれない。最悪、漠然とした不安が蔓延してパニックになり街が機能しなくなる可能性すらありえる。
そのことを考慮して公爵は事件を隠すと決めたようだ。
「もちろん街の守りはこれまで以上に強化するから、その点は安心して欲しい。もう二度と同じような失態は起こさん」
それは街がより安全になり住みやすくなるということを意味している。
アケィラが逃亡せずに生活を変えないのであればありがたい話である。
「感謝します」
「ふふ、感謝するのはこっちの方だ」
「ですが本当によろしいのでしょうか。お貴族様には色々とあると思うのですが……」
大きな成果を出した平民に恩賞を与えなかったことで、他の貴族から責められて立場が悪くなるのではないか。公爵という大きな存在はその程度ではゆるがないが、若くして家督を引き継いだこともあり、政治的手腕が未熟だと囁かれるのは気分的によろしくないはずだ。派閥の結束も揺らいでしまうかもしれない。
「私の心配をしてくれるのか」
「差し出がましい真似をして大変申し訳ございませんでした」
「責めているわけではない」
それに公爵の心配をしているわけでもない。
アケィラが心配しているのは、あくまでも自分のこと。
「(派閥争いが激化してそれに俺が巻き込まれるとかマジでやめてくれ!)」
たとえば店に公爵の敵対貴族の使いがやってきて呼び出され、たいして礼などしない公爵とは違って私はたっぷりと報奨金を渡すからこっちの陣営につけ、なんて誘われることはないだろうか。もちろん断れるわけがなく、かといって公爵の敵になるだなんてありえない。アケィラを困らせるなと勇者が奮起して両陣営にケンカを売って状況が混沌とする可能性はないだろうか。
どちらにしろ、平穏は遥か彼方へと遠ざかり、胃が痛くなる毎日を送り、どうやって逃げ出せばよいかを考える日々になってしまうに違いない。
そんな未来が来ないと信じたいがために、公爵の判断の良し悪しを確認していたのだ。
そしてそのアケィラの内心を公爵は正しく理解していた。
「貴殿の不安も尤もだ。ゆえにそれに対する解決案を、私からの褒章としようではないか」
「解決案ですか?」
もしそんなものがあるのであれば、確かにそれはアケィラが心から喜ぶ褒美であろう。
「アケィラ殿。私と契約を結ばないか?」
「(最悪だ!公爵と関係ズブズブになるだなんて、どこが褒章なんだよ!)」
貴族とは距離を置きたいアケィラにとって、喜ぶどころか絶望するような提案だった。
だがそんなことはもちろん公爵だって分かっている。
分かっていてアケィラが喜んでそれを選ぶだろうと考えていた。
「もし契約を結んでくれたら、我が公爵家が他の貴族からの接触に対しアケィラ殿の盾となろう」
「!?」
アケィラが絶対に関わりたくない貴族。
それから守ってくれるというのは、平穏を望む彼にとってあまりにも大きな提案だ。
公爵家が貴族社会でそのことを強くアピールすれば、手を出すのは難しくなる。
何故公爵家がアケィラを守るのかと逆にアケィラに注目が集まりそうなものだが、それも平穏を望む英雄の希望を叶えるためと説明すれば納得させられるだろう。
公爵家との契約は、アケィラにとって確かに褒章となりえる提案だ。
しかし問題が無いわけではない。
「その契約は政治的な意味で難しいかと思います」
「それはアケィラ殿がフルヤを冠していることを指しているのか?」
「はい」
アケィラ・フルヤ。
この世界で名字を持てる者は、貴族や大商人など権力を持つ者。
ではアケィラの『フルヤ』は何を意味しているのか。
彼のことを調査した公爵は、そのことを知っている。
「その点は気にしなくて良い。むしろ良い方向に進むと考えている」
「…………ではもう一つ。契約の具体的な内容を教えてください」
他の貴族からのちょっかいが無くなった。
フルヤも大丈夫。
だとすると残された問題は一つ。
公爵家がアケィラに何を望むか。
それが面倒な話であれば、結局は平穏などやってこない。
「とても簡単な話だ。アケィラ殿の仕事をやってもらいたいだけだ」
「私の仕事ですか?」
「そう。オープナーとしての仕事だ。開けてもらいたい物があった時に、開けに来てほしい」
「それだけでよろしいのですか?」
「ああ。そもそもこれは褒章なのだから、貴殿が嫌がることは選べないだろう?」
それではアケィラにとってメリットしか無いではないか。
貴族からの干渉が無くなり、大好きなオープナーの仕事だけをやれば良い。
アケィラの脳裏に平穏さんが笑顔で手を振りながら戻ってくる姿が浮かぶ。
「(いや、騙されてはダメだ。俺と繋がりを持つことで、何か問題が起きた時に何かやらせるつもりに違いない。たとえ契約外だろうが、公爵に頼まれたら断れる訳が無いからな)」
そしておそらくはそれこそが公爵の狙いなのだろう。
だがそれでも、アケィラにとって美味しすぎる契約であることに間違いない。
今まで通りの平穏を享受可能な可能性が最も高い選択肢であり、選ばないだなどあり得ない。
「(何もかも公爵の手のひらの上ってことか。ならお望み通り踊ってやるよ)」
それで平穏が戻るのであれば。
「分かりました。是非契約を結ばせて頂きたく思います」
「良かった、と言いたいところだが、念のためアケィラ殿の実力を確認させてくれないか?可能であれば私も間近で見てみたい」
「…………構いませんが、何か開けたい物があるのでしょうか?」
「丁度良い物がある」
ここで解錠に失敗してしまったら契約は無かったことになるだろう。
それすなわちアケィラの平穏が再び去って行くということになる。だが解錠に絶対の自信を持つアケィラは全く不安に思っていなかった。
公爵に案内されてアケィラが連れてかれたのは、小さな倉庫部屋。
その中央奥に、明らかに貴重品が入ってますよと言わんばかりの黒い金庫が置かれていた。
高さはアケィラの腰くらいで、中央に車のハンドルのようなものと、その左右に小さな数字が書かれたダイヤルがある。
「あの金庫だが、祖父の時代から開かずの金庫となっているらしいのだ」
「解錠スキルは効果が無いのでしょうか」
「うむ。どうやらアレは錠として判定されないらしいのだ」
「からくり箱と同じパターンか」
解錠方法を考え始めたからか、アケィラの口調が本来のものへと変わろうとしていた。
その様子を公爵は嬉しそうに見ていた。
「中には大したものが入っていないと言われているから、好きにやってくれて構わない」
最悪破壊しても良かったのだが、美術品としても価値がありそうな金庫を壊すのは勿体なく、中身に期待できないと言われてたこともあり現在まで放置されていた。
「開け方に希望はあるか。じゃなくて、ございますか?」
「ううむ……命令だ。普通に話せ」
「え、で、ですが」
「言い方に気を使っていては仕事をし辛いだろう。公の場で無ければ問題ないし、誰にも文句は言わせん」
「本当によろしいので?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「しつこいぞ」
「…………分かった」
まだ不安はあるが、公爵命令と言われたら流石に従うしかない。
「それで、開け方とはどういうことだ?」
「魔力を使った方法と、魔力を使わない方法だ」
個人的には魔力を使わず開けてみたいのだが、今回の解錠は公爵に実力を見せるためのものだ。魔力操作を見せた方が良いのではと思い確認した。
「なんと、魔力を使わなくても可能なのか!」
「ああ」
「ううむ。どっちも見たい。だが……ううむ……魔力ありで頼む」
「分かった」
それさえ分かればこれ以上聞くことは無い。
アケィラは自然体で金庫の元へと向かい、まずは大きなハンドルと二つのダイヤルを軽く操作した。
「古いが錆びている様子は無い。保存の魔法がかけられているのかもな」
だとすると壊してしまうかを気にする必要はない。
「しかしこれ、どこが開くんだ?」
正面は全面が金属で覆われていて、正しくダイヤルやハンドルを操作したとしても開きそうな場所が見当たらない。念のため上、裏、左右を確認したがそちらも同様だ。
「魔力で確認するか」
手のひらを金庫にかざし、極薄魔力を生成して金庫の周囲を纏わせた。
「おお、話に聞いていた通り、なんと凄まじい精密操作だ!」
どうやら公爵は他人の魔力を見れる程に、魔法の才能があるようだ。
声を上げて食い入るようにアケィラの操作を観察し始めた。
そんな背後のことなど全く気にしていないアケィラは、金庫に対して違和感を覚えていた。
「やっぱり変だ。開きそうな場所が分からん。しゃーない、潜るか」
金庫の中にまで魔力を通過させ、中の様子を強引に確認する。そしてダイヤル付近のカラクリを探ろうとしたのだが。
「何だこれは!?」
何かに気付き大声をあげて驚くアケィラ。
そしてすぐに盛大に笑い始めた。
「あはははは!こりゃあ傑作だ!面白すぎんだろ!」
そんな反応をされたら気にならないはずがない。
「一体どうしたんだ?説明してくれ!」
公爵が興味津々でアケィラに声をかけると、アケィラは魔力操作をやめて立ち上がり、楽しそうに笑いながら振り返った。
「この家の中で一番力がある奴を呼んでくれ」
「力?どういう……いや、それなら彼を使ってくれ」
「爺さんが?」
「ふぉっふぉっふぉっ、僭越ながら力には自信がございます」
どう考えてもそうは見えない老齢の男性なのだが、公爵が言うのであればそうなのだろう。
「ならあのハンドルを持って、手前に引くように持ち上げて欲しい」
「と言いますと?」
「あの金庫。鍵なんてかかってないんだよ。ダイヤルはブラフだ。めちゃくちゃ重いだけで、前側が持ち上がるようになってる」
だから解錠スキルを使っても効果が無かったのだ。からくりですらなく、鍵もかかっていないただの箱だった。
「何だって!?お、おい、やってみろ!」
「かしこまりました」
慌てて公爵が老紳士に命じると、老紳士はハンドルを持ち、全身に力を入れた。
「ぬおおおおおおお!」
途端に体中の筋肉が盛り上がり、まるで別人のように変貌したではないか。
「(あの爺さんマジで何もんだよ)」
魔人じゃないかと訝しんでしまいそうな老紳士の変貌にアケィラが唖然とする中、金庫の前面が徐々に持ち上がる。
「ぬおおおおおおお!」
そして老紳士がそれを上部まで持ち上げると、カチリと音がして固定された。
「本当に開いた。まさか重いだけだったなんて……」
公爵もまた呆然としていたが、すぐに冷静になった。
「そうだ、中身は何だ?」
大したものは入っていないと聞かされていた。
だがそれは何かが入っているということでもある。
多少ワクワクしながら公爵は金庫の中を覗いた。
「鍵?」
中に入っていたのは意匠が凝らされた一本の小さな鍵。
広い金庫の中にはそれだけしか入ってなかった。
「え、それって?」
「アケィラ殿。これが何か知っているのか?」
「似たようなのを最近見た」
商業ギルドの男が持って来た宝石箱の中に、同じような鍵が入っていた。
まさかそれと同じものがこんなところで出て来るとはあまりにも予想外。
「(嫌な予感がする)」
宝石箱は盗賊が持っていた。
あまりにも豪華な意匠から、貴族から盗んだものだろうとアケィラは考えていた。
そして今、公爵家からも似たような鍵が見つかった。
そのどちらもアケィラが関わってしまったのは果たして偶然なのだろうか。
戦争の時と同じように、何かの流れに関わり始めているのではないだろうか。
せっかく平穏が戻ってきそうだと思っていたのに、また波乱な日々がやってくるかもしれない。
そう恐れたアケィラだが、この鍵が何を意味するのか分かる日は大分先になるのであった。




